492話:彼方の星を目指して


「イーリス……!!」

「どわっ!?」


 姉さんが繰り出した渾身のタックル。

 いや、実際は単に抱き着いてきただけだけどな。

 どうあれ、こっちの馬力じゃ抵抗のしようもない。

 半ば押し倒される形で、オレと姉さんは思いっきり転がった。

 転がって、姉さんの腕に強く抱き締められる。


「ちょっ、姉さん苦しい……!」

「あ、す、すまないっ」


 割りとマジで窒息の危機だったので、力が緩むと素直に安堵した。

 ……まだ、完全に気は抜けないけど。

 姉さんの体温を感じて、ちょっと安心してしまった。

 力は抜いても、離さないままの腕に触れる。

 うん、間違いなく姉さんだ。


「一応聞くけど、出待ちしてたワケじゃねぇよな?」

「そ、そういうわけじゃないぞ。本当だからな」

「分かってるよ」


 本気で焦った様子なので、つい笑ってしまった。

 姉さんはそういう事するタイプじゃないってのは、理解した上で聞いてるよ。


「……私も、お前と同じく理想世界とやらに半ば取り込まれた状態だったからな。

 自由に動けるようになったのは、お前がこの『果て』に辿り着いたおかげだ」

「で、急いで駆けつけてあのタイミングだったと?」

「あぁ、酷くギリギリになってしまったよ」


 すまないと謝る姉さんに、首を横に振る。

 確かに、相当ギリギリではあった。

 が、あそこで間に合ったからこそマーレボルジェの不意を突けた。

 だから結果オーライで、なんの問題もない。


「……それで、イーリス。

 間に合ったのは、良かったんだが……」

「うん?」

「コレは、どういう状況なんだ?」


 コレ。

 そう言って、姉さんが視線を向けた先は。


「あー、うん。まぁちょっと、気合いで手伝って貰ったというか……」

「気合いで片付けて大丈夫なのか……?」

『何か問題が?』

「強いて言うならお前の存在そのものが問題だよ」


 ヤルダバオト。

 今、オレたちはコイツの肩の上にいる。

 マーレボルジェを吹き飛ばしてからは、とりあえず大人しいが。

 それでも、手綱を握る手は緩められない。

 気を抜いたら、その時点で何をするか分かったもんじゃないからな。


「…………」

「や、姉さん。また無茶苦茶してって顔だけどよ。

 オレだって別に、やりたくてやったワケじゃねぇから……!」

「うん、分かる。それは分かってるんだが……」

『何か問題が?』

「うるせェよバカ」


 マジで何も問題とも思ってないのがタチ悪いな、コイツ。

 出来れば、このまま素直に従ってくれれば良いが……。


「……?」


 ふと、空気の変化を感じた。

 顔を上げると、姉さんも同じように辺りを見回していた。

 どうやら気のせいじゃないらしい。

 さっきの戦闘の痕跡が、まだ色濃く残った『果て』の領域。

 見た目上の変化は無い――そう思った時。


『――やっと、あるべき形に戻りますね』


 ヤルダバオトが、淡々とそんな言葉を口にした。

 同時に、見える世界の全てがひび割れる。

 脆いガラス細工が壊れるのと、まったく同じように。

 崩壊は瞬く間に辺り一面へと広がって、周囲の空間が剥がれ落ちていく。

 その向こう側に、広がっている景色は――。


「…………なんだ、こりゃ」


 呆然と呟く。

 先ず目に入ったのは、満天の星空だ。

 夜の空、そのど真ん中に放り込まれたみたいな。

 見渡せる全方位、その全てが淡く輝く星々に彩られていた。

 それだけなら、単に綺麗な景色だと眺めていたかもしれない。

 けど、違う。

 オレが見ているのは、ただの星空とはまったく別物だった。


「…………これは、蛇……か……?」


 姉さんも、オレと同じモノを見ている。

 その言葉の通り、目の前に横たわっているのは空じゃない。

 巨大な――『巨大』なんて言葉じゃ、まるで足りないぐらいの。

 途方もない大きさの、蛇だ。

 夜に見えていたのは、その蛇――いや、『竜』の胴体で。

 星だと思っていたのは、身体に纏っている鱗の輝きだった。

 ……これまでも、『図体のデカい相手』は散々見てきたつもりだった。

 動き回るだけで大陸をぶっ壊しそうな、そんなバカでかい化け物も知っている。

 けど――これは、流石に。


「幾ら何でも、スケールがおかしいだろ……!?」

「……なんだって?」


 半ば呆然と呟いたところで、ヤルダバオトがその言葉を口にした。

 聞き返した姉さんに、《天秤狂い》の竜は頷くような仕草を見せる。


『今見えているアレは、愚かな我らの父。

 《造物主》を名乗った者の残骸が変化したものです。

 先ほどまで私たちがいた世界。

 あの全ては、父の内側に展開された結界――異界と言った方が正しいでしょうか』

「……あの世界が、全部?」


 それが事実だとしたら、とんでもない話だ。

 ヤルダバオトはこんな事で冗談を言うような、そんな可愛げのある奴じゃない。

 ……つまり、《造物主》はオレらの想像を遥かに超える怪物なワケだ。

 あり得ない理不尽を見上げて、オレは笑ってしまった。

 これから、「ムカつく」なんて理由でコイツに挑まなきゃならない。

 考えただけで馬鹿馬鹿しくなるが。


「上等だよ、クソが」


 どうしようもない、絶望的な格差。

 それを直に感じながら、オレは敢えて強い言葉を口にする。

 見たまま、星空そのものに挑むようなもんだ。

 勝てるワケがない、そんなものは百も承知。

 だとしても、コイツをぶっ飛ばすために此処まで来た。

 今さらヘタレるなんて、それこそあり得ない話だ。

 それに――。


「このどっかに、アイツらもいるんだろ?」


 星のように輝く鱗。

 今なら、何となく理解できる。

 あの光の一つ一つが、《造物主》が取り込んだ無数の魂だ。

 自分自身を理想世界の『殻』にして、呑んだ人々の魂に望む楽園ゆめを与える。

 結局のところ、それが手品の種だ。

 不死不滅である《造物主》の内側に留まれば、全ての魂に死が無くなる。

 それは停滞するばかりの凪の理想郷。

 何も知らないのなら、確かに悪い世界じゃなかったが――。


「そんな場所にアイツが……レックスが、留まったままなんてありえねェからな。

 姉さんもそう思うだろ?」

「あぁ。そしてあの人が行くのなら、主も共にするはずだ」


 間違いねぇな。

 レックスに、アウローラ。

 『果て』を抜けた影響か、今はハッキリとその名前を思い出せる。

 見上げた輝きのどれかが、あの二人のモノなのか。

 それとも、オレたちより早く出ていっちまった後かもしれない。

 どちらにしろ、こっちがやる事は同じだ。


「どうにかアイツらと合流しようぜ。

 そうすれば、ボレアス辺りも自動的についてくるだろ」

「合流する――というのは、私も賛成だが……」

「言いたいことは分かる」


 世界を呑み干すような、巨大な蛇竜。

 この《造物主》の残骸の何処かに、レックスたちがいる――それは間違いない。

 間違いないが、問題はどうやって探すかだ。

 手探りなんてレベルじゃない。

 砂漠に落とした針を探す方が、まだ難易度が低そうだった。


「けど、やるしかねぇだろ。

 オレたちだけじゃ、流石にこのデカブツはどうしようもないし」

「確かにその通りだが……」


 堂々と話しちゃいるが、今のところ《造物主》に大きな動きはない。

 眠っているのか、単にこっちが小さ過ぎて目に入らないのか。

 どちらかといえば、後者な気はした。

 微妙に腹が立つけれど、状況としては好都合だ。

 相手が何もして来ないのなら、こっちは好きに動けるからな。


「オイ、そっちは何か妙案はないか?」

『質問の意図はもっと明確に』

「だから、このクソみたいにデカい奴の中から、人探しをしたいんだよ。

 見つける手段か何か、お前は持ってないのか?」

『特定の何かを見つける手段には長けていませんね。

 そういうのは、私よりも長子殿の方が得意でしょう』

「やはり、そういう話になってしまうか……」


 ヤルダバオトの回答に、姉さんは難しい顔で唸る。

 確かに、アウローラの魔法ならこんな状況でも何とかしてくれそうだ。

 とはいえ、今のそれは単なる無い物ねだりだ。

 オレの《奇跡》なら、死ぬほど頑張れば広範囲を調べる事もできるはできる。

 頑張り過ぎるとマジで死にかねないが。


「……しゃーない、他に良い手も浮かばねぇし。

 オレの《奇跡》で地道に探しまくるしかなさそうだな」

「無理をしてはダメだぞ、イーリス」

「無理のし時ではあるから、難しい話だね」


 気遣う姉さんに、軽く冗談めかして笑う。

 さて、やることは決まった。

 あとは兎に角、気合いと根性で……。


『――


 本当に、一切の脈絡なく。

 もう随分と聞き慣れてしまった、イマイチ理解不能なお決まりの文句。

 また言い出しやがったな、コイツ――と。

 オレの方は、そう聞き流しかけたが。


「待て、ヤルダバオト」


 姉さんは違った。

 何かに気付いた顔で、虚空に眼を向けるヤルダバオトに問いかける。


「今、均衡が乱れてると言ったな。

 それはどういう意味だ?」

『言葉の通りですが』

「いや意味が分からんわ。

 つか、姉さんも一体何を……」

「この巨大極まりない《造物主》の残骸を見て、と。

 お前には知覚できるんだな?」

「…………あ」


 姉さんの言葉を聞いて、オレもやっとその可能性に思い至る。

 均衡が乱れている。

 コイツが何を基準に、それを感じて判断してるのか。

 分からない――分からないが、確かなことは一つ。

 ヤルダバオトの知覚は、何かしらの変化を正確に捉えている事だ。


『天秤が揺れ、均衡が乱れている。

 これほど明白であるのに、分かりませんか?』

「分かんねーよバカ!

 ……分かんねェから、その『均衡が乱れてる場所』に連れてってくれ。

 出来るだろ?」

『良いでしょう』


 頷くヤルダバオト。

 続いて、その背中に負った正十字が強く輝いた。

 ……これでホントに、レックスたちを見つけられる保証はない。

 が、徒手空拳で闇雲に探すよりかはずっとマシのはずだ。

 そう信じて、オレは腕輪の術式に力を込める。


「じゃあ頼むぜ、ヤルダバオト。

 さっさと向こうと合流したいし、なるべく急ぎでな」

『分かりました』

「滅多なことは言わない方がいいぞ、イーリス……!」


 姉さんが、そう言った瞬間。

 とんでもない加速に、視界がいきなりぶっ飛んだ。

 『なるべく急ぎ』という要望通り、ヤルダバオトが凄まじい速度を出したのだ。

 いや、マジで速いな……!?

 振り落とされないよう、伸びてきた姉さんの腕にしがみつく。

 星の鱗が、まるで流れ星みたいに過ぎていく。

 何処へ向かってるかは不明のまま、《均衡の竜王》は虚空を翔け抜ける。


「待ってろよ、バカ野郎ども……!」


 姉さんの手を強く握りながら、小さく呟く。

 きっと、アイツらも待っている。

 何の根拠もなく――けれど、何よりも強く確信しながら。

 オレたちは彼方の星を目指すように、高く遠くへ飛び続けた。

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