491話:ザマァ見ろ


『ギ――ィ、アアァアアアアァアアァァッ!?』


 汚い絶叫が尾を引いて、辺りの空間を震わせる。

 その声を掻き消すほどの破壊音。

 連続する光と爆発が、マーレボルジェの巨体を容赦なく削っていく。

 オレは、それを間近で見ていた。


『排除します』


 繰り返される言葉。

 同じ声で、何度もそう口にしながら。

 《天秤狂い》――竜王ヤルダバオトは、悪徳の王に向けて光の槍を突き刺す。

 《吐息》を武具の形に固めた一撃。

 強靭な鱗も、分厚い血肉の鎧も。

 その輝きの前では、防御としては殆ど役に立っていない。

 復元する速度よりも早く、ヤルダバオトは相手の《竜体》をぶっ壊し続ける。

 見ててドン引くぐらい、本当に容赦がない。


「きっついなオイ……!!」


 で、オレがいるのはそんなヤルダバオトの肩の上だ。

 一応――マジで、申し訳程度にってレベルだが。

 ヤルダバオトにお願い(命令)して、その力で保護はして貰っていた。

 貰ってはいるが、根本的に雑なんだよな。

 余波が直撃して来ないだけマシだが、熱も音も揺れもガンガン伝わってくる。

 炎の中で、巨人に掴まれたまま振り回されてるような。

 そんな結構な地獄を味わいながら、どうにか意識だけは強く保つ。

 トんだら、その時点で死ぬ。

 ヤルダバオトの制御に全力を傾けてるし、マジで余裕がない。


『ぁ、ぐゥ……!! こんな、こんな馬鹿な……!?』


 そして、余裕がないのはマーレボルジェも同じだった。

 戦いの趨勢自体は、完全にヤルダバオトの方に傾いている。

 向こうも、一応反撃を試みちゃいるが。


『排除します』


 その一つ一つを、ヤルダバオトは丁寧に磨り潰していく。

 《吐息》の熱線を弾き、間髪入れずに《天墜》をねじ込む。

 巨体を活かした質量攻撃も、体格差など無関係なパワーで容易く圧倒する。

 復元も完全に間に合わなくなっており、勝敗はもう火を見るより明らかだった。

 当然、マーレボルジェもそれは理解しているだろう。

 だからこそ、焦りの色はどんどんと強まっていく。


『こんな、あり得ない……!! 私はマーレボルジェ!!

 《造物主》に選ばれし、全ての悪徳の王だぞ!!

 なのに、何故、あり得ない、あり得るはずが……!!』

「負け犬の遠吠えが見苦しいぞ、クソ野郎」


 垂れ流される戯言を、オレは鼻で笑い飛ばす。

 こっちもこっちでくっそキツいが、それはおくびにも出さずに。

 強い態度と言葉で、マーレボルジェを嘲笑ってやる。


「分かってねェようだから、何度でも言ってやるよ。

 《造物主》は、お前みたいな三下に興味なんかねぇよ。

 お前なんぞたまたま波長が合って、勝手に都合良く動いてるだけの働き蟻だ。

 どうせ向こうは存在すら認知してないだろ。

 それが『選ばれた』だの何だの、勘違いしてのぼせ上がって。

 ホント、どうしようもない間抜け野郎だよ。お前は」

『ッ~~~~…………!!』


 嘲るオレに、マーレボルジェは反論しようとした。

 が、そんな余裕をヤルダバオトは許さない。

 こっちの話など無関係に、強烈な攻め手が途切れること無く続いている。

 殴る、殴る、殴る、殴る。

 技術を扱うことも出来るクセに、今のヤルダバオトは酷く暴力的だった。

 コイツには小細工など必要ないと、そう判断してるんだろうけど。

 それにしたって、ゴリラばりのパワーだけでぶん回してやがるな……!


『クソ、クソックソックソッ……!!

 まだ、まだだ、まだ私は、こんなところで……!!』

『――――』


 ヤルダバオトは何も語らない。

 語らず、変化もなく、マーレボルジェを追い詰める。

 どれだけ足掻こうが、もう終わりは見えていた。

 誰の目からもそれは明らかで――。


『こんな、ところで……終わりであってたまるかァァァァ――――ッ!!』

「な……っ!?」


 轟く咆哮。

 その響きは、断末魔の絶叫に近かった。

 同時に、これまでで一番凄まじい衝撃が撒き散らされる。

 ――自爆した!?

 マーレボルジェの《竜体》。

 見上げるほどの巨大な蛇の身体が、目の前で木っ端微塵に爆発したのだ。

 強烈な熱波と、それに混じる毒気。

 恐らく、生身で浴びれば一瞬で死んでいた。

 ギリギリのところで、ヤルダバオトの手がオレを包む形で守ってくれた。

 反射的に飛ばした命令が間に合っただけか、それとも自主的に守護してくれたか。

 そのどちらか、オレにもちょっと判断が付かなかった。

 多分、聞いても答えないよなコイツ。

 いやそんな事より――。


「マーレボルジェの奴はどうなったっ?」

「はぁ!?」


 逃げようとしてる?

 ヤルダバオトの言葉に、オレは即座に力を――《奇跡》を操る。

 意識を拡大し、より広く遠くを見通せるように。

 魂の反応は、直ぐに捉えることが出来た。

 デカいガワを脱ぎ捨てたせいか、動きが驚くほど速い。

 不規則な軌道を描いて、マーレボルジェは急速にこの場を離脱しようとしていた。

 ――マズい、このままだと逃げられる!

 今のマーレボルジェは、理想世界の『果て』に蓋をしている領域の主だ。

 アイツをどうにかしないと、ここで立ち往生って可能性もあり得た。


「おい、何でぼーっと突っ立ってんだよ!?」

『アレはもう、均衡を乱すには矮小になり過ぎましたから。

 別に放って置いても問題ないのでは?』

「無くねーよ追いかけてくれ!!」


 マジで行動基準が謎過ぎるだろ……!?

 無理やり命令すると、一瞬遅れてヤルダバオトも動き出す。

 背中の十字架を光らせての高速飛行。

 急加速に振り落とされないよう、歯を食い縛って堪える。

 ヤルダバオトもかなり速い――が、マーレボルジェの逃げ足も負けてない。

 何処へ行くつもりか知らないが、塔のあった空間をぐんぐん離れやがる。

 クソ、面倒臭ェ……!


「おいコラ、待ちやがれクソ野郎!!

 尻尾巻いて逃げるとは、恥ってもんがねぇのか!!」

『そんなものは犬の餌以下だと、君も分かっているだろう!?

 この場を逃げ切りさえすれば、お前たちは何処にも行けなくなる!!』


 後方へと景色がぶっ飛んで行く中。

 遥か正面に、かろうじてその姿が見えた。

 サイズは人間よりややデカいぐらいの、宝石の鱗を纏った蛇。

 それが長い身体をくねらせて、凄いスピードで空中を泳いでいた。

 距離はなかなか縮まらない。

 残る力を、全部逃げるためだけに費やしてるのか。

 蛇――マーレボルジェは、視線だけを後ろのオレたちに向けて来た。

 必死に逃亡を続けながら、声だけは余裕を滲ませて。


『実際のところ、君だって限界に近いはずだ!

 ヤルダバオトの力を強化し、更に封印術式を利用して制御まで行う!

 ハッキリ言って、人間の限界を超えた行為だろうが!!』

「笑わせんな、まだまだ余裕だっての……!」

『強がっているのが見え見えだなぁ!

 私は無理に戦わずとも、逃げ回ってそちらが力尽きるのを待てば良い!

 分かってしまえば簡単な話だ!』


 勝ち誇り、ゲラゲラと笑うマーレボルジェ。

 ここに来て狡っ辛い野郎だ……!

 キレた勢い任せに、ヤルダバオトの魂に更に火を注ごうとする。

 本当に限界かどうか、試して――。


「っ――く、そ……!」

『無理な力の行使は、均衡の破綻を招きますよ』


 そこは忠告してくれるのかよ。

 親切なのかそうでないのか、正直まったく分からんわ。

 いや、今はそんなことより……!


『ハハハハハハッ! 無駄だ、無駄だ無駄だ無駄だ!!

 最後に笑うのはこの私、マーレボルジェだ!』

「こ、の、クソ野郎……!!」


 幾ら罵っても、逃げるマーレボルジェには物理的に届かない。

 出せる力は限界寸前で、これ以上はヤバい。

 無理を押して道理を踏み越えるのにも、流石に限度があった。

 だけど、ここで諦めたら何もかも無駄になる。

 せめてあと一手。

 あと一手、あの野郎の動きを止めることが出来たら……!

 あり得ない仮定を頭の中で回す内に、マーレボルジェは更に速度を上げた。

 後方に置き去られるオレたちを見ながら、悪辣な蛇の顔で嘲る。

 そう、嘲笑うことに気を取られすぎて、前を気にしていなかった。


「――――随分と余裕そうだな、マーレボルジェ」

『は』


 だから、反応できた時点でもう手遅れだった。

 進路を塞ぐ形で現れた、一人分の影。

 マーレボルジェの口から、間抜けな声が漏れる。

 その舌が何かを言うよりも早く、拳の一撃が蛇の顔面を叩き割った。


『ァ、ガ、アアァアアアアアッ!?』

「喧しい」


 痛みに絶叫する顎を、つま先が容赦なく蹴り上げる。

 オレはその様を見ていた。

 見て、胸の奥から絞り出すように叫ぶ。


「姉さん……!!」

「あぁ。すまない、イーリス。

 来るのが少し、遅くなってしまった」


 笑う。

 いつもと同じ微笑みだ。

 理想世界から出ていくオレを見送った時とも、変わらない。

 優しくオレに笑いかけながら、姉さんの手はマーレボルジェを捕らえる。

 人間よりもデカい蛇は、何とか逃げ出そうと長い胴を振り回す。

 が、鱗を掴む指はびくともしない。


『ッ……ま、待て、テレサ!!』

「待つ理由があるか、元ご主人様?」


 オレに向けるのとは真逆に、姉さんは冷たい声で告げる。

 絶対に逃さない。

 睨む眼に込められた意思を感じて、悪徳の王は身を震わせた。


「私の妹を、また随分と手こずらせてくれたようだが。

 その無駄な悪あがきも、これで終わりだ」

「――あぁ、そういうこった」


 捕まって、もう逃げることもできないマーレボルジェ。

 やっとそれに追いついた。

 ヤルダバオトの肩から、足掻く蛇の姿を見下ろす。

 未だに逃げようと試み続けるその様は、いっそ哀れですらあった。


『ま、待て、待ってくれ!

 こ、ここは神が造り上げた理想世界!

 争う理由など、さ、最初からないはずだ!

 なぁ、そうは思わないかね!?』

「かもしれねぇな」

「…………」


 姉さんは何も言わない。

 ふざけた命乞いを吐き出す蛇に、オレは頷いてやる。

 ほんの少しだけ、マーレボルジェの面に希望が過ぎったようだった。


『そうだろう、聡明な者なら理解できるはずだ!

 我々が戦う理由など、本当にちっぽけでくだらないものだと!!

 神の慈悲を享受し、死の恐怖から解放され、永遠に幸福の中で生き続ける!

 その素晴らしさに比べれば、何と矮小で無意味なことだろうか!

 そうだ、今なら、今ならまだ間に合う――』

「姉さん」

「あぁ」


 戯言も、一通り聞き終えたと。

 そう判断して、姉さんに声をかけた。

 瞬間、蛇の身体が派手に蹴り上げられる。

 弾丸もかくやという勢いで、頭上高くへと吹き飛んだ。

 よし、これなら問題ないだろう。


「頼むわ、ヤルダバオト」

『ええ』

『ぁ――ま、待って……!?』

「うるせぇよ」


 正十字の光が輝く。

 逃げ場はなく、防ぐ手立てもない。

 無様に命乞いを続けるマーレボルジェに、オレは最後の言葉をぶつけた。


「テメェも、《造物主》の野郎もムカつく。

 ぶっ殺す理由なんて、こっちはそれだけで十分なんだよ」

『…………!!』


 理想世界がどうとか、それとはまったく無関係だ。

 絶句するマーレボルジェ。

 そして、裁きの光は容赦なく振り下ろされる。


『排除します』


 ヤルダバオトの《天墜》。

 万象を破壊する光の一撃が、宙を舞う蛇を打ち砕く。

 今度こそ、完全に。

 僅かな欠片すら残さず、マーレボルジェは粉々に消滅した。

 断末魔の悲鳴も、耳には残らない。

 光に呑まれて完全に消え去ったのを見届けて、細く息を吐き出す。

 そして、一言だけ。


「ザマァ見ろ、クソ野郎」


 もう何処にもいない悪徳の王に、そう別れを告げてやった。


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