第二章:嵐に挑む者たち

292話:怒れるヘカーティア


 天の裁きにも似た、巨大な雷。

 大真竜ヘカーティアが放った《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 避ける術はなく、正直耐えられる道理もなかった。

 その一撃を受けてもまだ、俺たちは嵐の中を飛んでいる。

 全力で守りを固めてはいたが、それでも厳しいはずだった。

 それでも耐える事が出来たのは――。

 

「――壊させないで欲しい、など」

 

 バチバチと、青白い火花が散る。

 ボレアスの背の上で、最も前に出た男。

 アカツキは、この場の誰よりも強い意思を込めて叫んだ。

 

「私を侮ってくれるなよ、ヘカーティア!!」

 

 機械で出来た身体、そのところどころが爆ぜている。

 飛び散る火花は、生身で言えば血飛沫に近い。

 

「この身を砕く覚悟も無しに、君の前に立ったと思うのか!

 私は誰よりも君の事を知っている、誰よりもだ!

 或いは君自身よりも!」

『っ、玉砕覚悟か! アカツキ……!!』

「あぁそうだヘカーティア!

 君が私を愛していると言うのなら、私も君を愛している!

 どれほど力の格差が圧倒的でも、犠牲を承知でなら耐える手段ぐらいはある!

 ――私の愛を侮るなよ、大真竜……!!」

 

 鋼の翼を広げる巨竜が、ほんの僅かにだが怯んだ気がした。

 力の差は未だに歴然。

 文字通り、嵐を前にした虫ケラぐらいにはある。

 それでも意思の強さだけは、間違いなくアカツキが上回っていた。

 

「ボレアス、このまま近付けるか?」

『ハハハッ! 我を誰だと思っておるのだ、竜殺しよ!』

 

 確かに一発で撃墜されるという事態だけは避けられた。

 しかし、天を裂くような雷を完全に防ぎ切れたワケじゃない。

 背に乗る俺たちは勿論、飛び続けているボレアス自身も鱗をかなり焼かれていた。

 力尽きても不思議じゃなかったが、《北の王》は強気に笑ってみせる。

 落ちるどころか速度を上げ、吹き荒ぶ嵐の中を突き進む。

 

「あと二度だ!!」

 

 叫ぶ。

 輝く稲妻の眼を、嵐の竜へと真っ直ぐ向けたまま。

 アカツキはその右腕を掲げていた。

 

「同じ《吐息》が来ても、あと二度ならば耐えられる!

 二度までなら、我が身を砕く事と引き換えに皆を守ろう!

 故に構わず進まれよ!」

「っ、アカツキ殿! それでは貴方が――!」

「構わない、元より覚悟の上で私は此処に立っている!」

 

 己の死を、肉体の破壊を引き換えにしての守護。

 ヘカーティア相手にも聞かせる形で、アカツキは高らかに宣言する。

 それで良いのかと問うテレサにも、一切の躊躇なく構わないと頷いた。

 文字通り、全霊を賭して愛を示す。

 絶望しかない嵐の中で、その魂の在り方は何よりも強い。

 

「馬鹿な男だ。

 ――馬鹿な男ではあるが、その生き様には敬意を表しよう」

「……コピーとは言ってたけど、本当にコピーなんだか。

 昔の――私の知ってるアカツキと変わらないわ、ああいう所は」

 

 ウィリアムはそう呟くと、月の光を宿した大剣を握る。

 その背に庇われたブリーデも、従える騎士の一部を展開していた。

 

『なぁ! お前の恋人がこんだけ無茶してんだぞ!?

 いい加減に考え直して――』

『僕も、僕も愛してるよアカツキ。この世の誰よりも、誰よりもだ!!

 だから、その愛を邪魔してくれるなよ――!!』

 

 猫の説得は、残念ながらまるで届かない。

 風はますます強さを増して、暗雲の間を跳ね回る雷も勢いを強める。

 更に地獄と化した嵐は、空間ごと俺たちを押し潰そうと荒れ狂う。

 これはアウローラたちの防御で支えちゃいるが、どう見てもキツそうだ。

 

『何を捨てても構わない! 何を犠牲にしても良い!!

 僕は僕の愛を取り戻す、必ずだ!

 過去の過ちも何もかもを、この手で拭い去る!

 あぁ、そうでなければ狂ってしまいそうなんだ……!』

 

 とっくに狂い果てた有り様で、ヘカーティアは叫んでいた。

 笑っているのか、泣いているのか。

 それは彼女自身も分からないのかもしれない。

 ただその声に応じるように、嵐はどんどん強くなるばかり。

 力の底がまるで見えて来ない。

 

『愛してるよ、アカツキ! 愛してる!!

 本当に、心から――』

「ホントうるさいわね、さっきから」

 

 激しい怒り。

 それこそ、吹き荒れる嵐よりも激しく。

 全てを焼き尽くす劫火にも似た憤怒を込めて、アウローラが口を開いた。

 ここまでのマジギレは、逆に珍しい気がする。

 

「さっきから聞いてれば、愛がどうだの何だのと。

 ちゃんちゃら可笑しいわね、死にたがりのヘカーティア。

 それとも間抜け面のヘカーティアとでも呼んであげようかしら?」

 

 嘲りの言葉にすら、端々から怒りが滲んでいる。

 逆に言われた方も燃える眼差しをアウローラに向けた。

 

「あら、いっちょまえに怒ったの?

 そんな知能があったなんて驚きだわ。

 そこのナメクジも大概だけど、貴女も昔っから馬鹿だったものね」

「おいコラちょっと!?」

 

 何故か流れで罵倒されるブリーデ。

 アウローラは当然のようにその抗議は無視する。

 

「どうせ貴女は自分がどれだけ馬鹿なのか、自覚すらしてないでしょうね。

 そんな馬鹿な貴女に、私が親切に教えてあげようって言うのよ?

 怒るよりもむしろありがたがって欲しいぐらい」

『戯言ばかりほざくなよ、《最古の邪悪》……!!』

「戯言はお前の語る愛とやらよ。ホント、笑わせてくれるわ」

 

 激しい怒りと共に、ヘカーティアの意識は完全にアウローラに釘付けだ。

 隙と呼ぶには余りにも心許ない。

 その僅かな間隙を使って、ボレアスの翼は距離を縮める。

 

「愛する者のためなら全てを犠牲にする。

 ええ、正直に言うわ。

 お前のその姿勢自体には、私も共感していたのよ。

 もし私が同じ立場なら、きっと同じ事をする。

 或いは、もっと酷いことだって山ほどしたかもしれないわね」

『かもしれない……?』

「おっと、それ以上いけない」

 

 竜の尾にそっと足を乗せた猫を遮っておいた。

 

「だけど、今のでもう確信したわ。

 お前と私は違う――お前の語る愛は、私とは違うってね」

『何が違うと? いや、お前と僕の愛を同列に語るな――!!』

「愛に違いなんて無いわ、それが愛であるのなら。

 ――だから、お前の語るそれは愛なんかじゃないの」

「…………」

 

 否定されたヘカーティアの愛。

 アカツキは黙したまま。

 それはきっと、アウローラにしか言えない事だった。

 

「私は、私の愛のためなら万物を犠牲にできる。

 だけど、愛した人まで傷つけようとは思わないわ。

 ――愛を語り、愛を認めた相手を。

 それさえも砕こうとする妄執エゴを、お前は愛と語るの?」

『…………ッ!!』

 

 嵐が震えた。

 ヘカーティア自身の動揺が、彼女の支配する空間全てに伝播する。

 鋼の竜にボレアスの翼が届くまで、あと少し。

 

「ねぇ、どうなの? 答えなさいよ、ヘカーティア!!」

『お前が、僕の愛を語るなと言ってるんだ《最強最古》!!』

 

 憤怒のままに大真竜は叫んだ。

 その怒りを表すように、嵐は一層強烈に吹き荒れる。

 更にヘカーティアの牙から、再度青白い光が溢れ出す。

 稲妻を凝縮した《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 しかも一度目よりも明らかに規模がデカい。

 

「構わず進め!!」

 

 迷いは何処にもない。

 アカツキは全てを受け切る気だ。

 ボレアスの翼は止まらず、阻む嵐の壁を切り裂いていく。

 ギシギシと、アウローラたちが展開する防御が軋みを上げた。

 今にもブチ破られそうな状態で、ギリギリを耐え続ける。

 

「来い、ヘカーティア!!

 それがお前の愛だと、恥じること無く言うのなら……!!」

『アカツキ――!!』

 

 愛する者の名を呼び合う二人。

 交わされるのは、万物を焼き潰す雷の吐息。

 視界を真っ白に焼く閃光の中で、アカツキは耐えていた。

 掲げた右腕は半ばから砕け、それ以外もところどころ炭化させながら。

 ヘカーティアの放つ雷撃を自らの身体で受け止める。

 

『まだだ――!!』

 

 間髪入れず、三度目の《吐息》が解き放たれる。

 今の威力を連射できるのかよ。

 二度は耐えられると、アカツキはそう言っていた。

 つまりこの一撃で機械の男は崩れ去る。

 だから俺はここで動いた。

 

「レックスっ!?」

 

 アウローラが悲鳴じみた声を上げるが、ちょっと我慢して欲しい。

 剣を構えて、俺はアカツキと並ぶ形で前に出た。

 落ちてくる稲妻の塊を、こちらも剣と鎧で受け止めた。

 

「《盾よシールド》……!!」

 

 気休めではあるが、自分でも力場の盾を展開しておく。

 全部直撃したら即死だろうが、半分以上はアカツキが受け持ってる。

 周りに展開した守りで多少威力も減衰されていた。

 だったら耐えられるだろうと、そう考えたが。

 

「まぁ、何とかなったな!」

「無茶をする……!」

「そこはお互い様ってことで!」

 

 そういうアカツキの方こそ、俺より遥かにボロボロだ。

 最初から行けば止められるかと思って、タイミングを計った甲斐はあった。

 二度で崩れ落ちるはずだった男は、まだ立っている。

 俺も鎧の下を盛大に焼かれたが死んではいない。

 まだ生きて、まだ立っている。

 だったらもう少しぐらいは耐えられるはずだ。

 

『いやいや死ぬって! あんま無茶すんなよ!?』

「それならアンタも死ぬほど働きなさい……!」

『既にめっちゃ頑張ってんだけどねぇ!』

 

 アウローラさんは、常識的な猫を締め上げるのは許してやって欲しい。

 実際、誰も彼もがこれ以上なく頑張ってる。

 それでどうにか相手に「近付ける」だけってのは、なかなか厳しいが。

 

『――凄いな。あぁ、認めるよ。君たちを侮り過ぎてた』

 

 空気が僅かに変わった。

 怒りと敵意と狂気が綯交ぜだったヘカーティアの気配。

 そこに少しだけ、冷たさが加わった。

 どうやらこっちが頑張り過ぎたせいで、向こうも冷静になったらしい。

 良くない流れだ、マジで。

 

『僕にはこれから、やらなくちゃいけない事がある。

 とてもとても大事なことなんだ。

 ――だからもう、終わりにしよう』

 

 その言葉と共に、嵐が縮んだ。

 実際は、周囲に拡大していた魔力の一部を凝縮。

 それによってヘカーティアの目の前に、球状に纏めた竜巻が形成された。

 位置は丁度こちらの進行方向。

 巨大な《竜体》と比較すれば小さいが。

 俺たち全員を呑み込んでも余りある圧縮された暴風の塊だ。

 加えて、雷の《吐息》もチャージされている。

 今度こそ完全に叩き落す気だ。

 

『格下相手に余裕のない事だな、ヘカーティア……!』

『あぁ、無いよ。これ以上は邪魔されたくない。

 だから吹き飛べよ、《北の王》。

 僕は君ほどに不相応な望みは持っていない。

 ささやかな願いを、阻まないでくれよ』

 

 苦しげに笑うボレアスに、ヘカーティアは冷たい怒りで応じる。

 此方も今さら止まれない。

 どうしようもない破滅があると分かっていても。

 止まっても同じなら、前に突っ込むしかない。

 

「――君の願いを阻もう、愛するヘカーティア。

 残念ながら、届く前にこの身は砕けてしまうだろうが」

 

 それこそが私のささやかな願いだと。

 砕けかけた鋼鉄の身体で、アカツキは立ち続ける。

 俺はアウローラとテレサを背にして、改めて剣を構え直した。

 

「テレサ、アウローラや俺からは離れるなよ。

 絶対に、届かせるからな」

「っ、はい……!」

 

 テレサは勿論だが、隣で微妙に諦めが入ってる鉄男もだ。

 ここまでやったのなら、是非とも最後まで付き合って貰わないとな。

 さぁ、覚悟を決めるか。

 状況が絶望的にヤバいのぐらいは、いつもの事だ。

 

『――――!!』

 

 ヘカーティアの放つ咆哮は、空を裂く稲妻に似ていた。

 落ちる雷と、唸る暴風。

 俺たちは真っ直ぐ、その嵐の中心へと飛び込んだ。

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