第三章:古き竜の寝所

160話:血の癒し

 

『――無事か、竜殺し』

「見た通りだな」

 

 剣の内から響くボレアスの声。

 それに応じながら俺は小さく息を吐いた。

 確かゲマトリアの《吐息》に呑まれたはずだった。

 しかし熱さは無く、気付けば周囲の様子はガラリと変わっていた。

 さっきまでの豪華な城の中ではない。

 ゴツゴツとした岩肌に囲まれた、暗い洞窟のような場所。

 俺はその床――いや地面?――に仰向けに転がっている状態だ。

 腹の上辺りでもぞりと動く気配がある。

 

「……ギリギリ、だったけど。

 なんとか《転移》が、間に合ったわね」

 

 か細い吐息の混じる声。

 俺の上で力なく横たわりながら、アウローラは囁くように言った。

 暗いせいで見え辛いが、その背には黒く焦げた爪痕が刻まれている。

 致命傷ではないにしろかなりの深手なのは間違いない。

 

「悪い、助かった」

「助けられたのは、私も同じよ」

 

 そっと髪を撫でれば、アウローラは小さく微笑んだ。

 流石にかなりしんどそうだ。

 

『《転移》したのは良いが、此処は何処なのだ?

 見たところあの城の中ではないようだが』

「悪いけど、私もロクに座標を合わせずに発動したから……。

 最低限、壁の中に突っ込まないようにはしたけど」

「……とりあえず、ゲマトリアやら他の真竜の気配は無さそうだな」

 

 アウローラを腕に抱きながら、とりあえず起き上がる事にした。

 背中の傷にだけは触らないよう注意する。

 彼女は少し安心した様子で、素直にこっちに身を任せる。

 改めて辺りを見回すが……ぱっと見は自然洞窟か何かっぽいな。

 

「まさかとは思うが、地上とかじゃないよな?」

『それは無かろう』

 

 流石にまたあの空飛ぶ城に戻るのは大変過ぎるだろうと。

 そんな俺の危惧はボレアスが即否定した。

 

『城内を移動する分には制限は無いようだがな。

 内外の出入りに関しては《転移》はできんよう防御されていたはずだ』

「ええ、だから此処は間違いなく城の何処かだと思うけど……?」

「? どうした?」

 

 話している途中、不意にアウローラが顔を上げた。

 不思議そうな表情で辺りに視線を巡らせる。

 何かに気付いたようだが……?

 

「……まさか」

『あぁ、そのまさかかもしれんぞ長子殿』

「? 何の話だ?」

『この場所が何処かという話だ、竜殺しよ』

 

 今俺達がいるこの場所の事か。

 こんなゴツゴツした洞窟みたいな場所、あの城内にあるとは……。

 

「……いや、あるか。あるよな。

 城の中って言って良いか微妙に怪しいけど」

『少なくとも《転移》できた以上、「城の外」という判定では無いようだな』

 

 ボレアスの言葉は俺の予想を肯定するものだった。

 アウローラも此方を見ながら頷く。

 つーことはだ。

 

「此処、城の土台になってる部分か」

 

 それは元は《古き王》の一柱。

 遠い昔には《空を塞ぐもの》と呼ばれた古い竜。

 今は物言わぬ岩塊として、空飛ぶ城の一部として使われているようだが。

 軽く足踏みしてみるが、感触はただの岩と変わらない。

 そう言われてなければこれが竜の身体なんて思いもしなかっただろう。

 俺の腕の中で、アウローラはキョロキョロと周りを見回す。

 

「……予想通りと言うか。

 やっぱり封印術式を受けて魂を束縛されてるみたいね。

 全体から気配は感じられるけど、流れる魔力は酷く微弱だわ」

『当人は「寝てる分には丁度良い」とでも思ってそうだがな』

「冗談にもならない冗談は止めて貰える?」

 

 愉快そうに笑うボレアスに、アウローラはうんざり顔でため息を吐いた。

 が、直ぐに表情を苦痛に歪める。

 やっぱり背中の傷は軽くはないようだ。

 

「大丈夫か?」

「大丈夫……と言いたいけど、ちょっと辛いわね」

『長子殿が弱音を吐くとは珍しい。

 それだけあの《邪焔》で受けた傷は重いか』

「ラグナ……いえ、真竜バンダースナッチと戦った時と同じぐらいにはね。

 治すにも少し時間が掛かるわ」

「とりあえず、治療ができるならそっちに専念してくれ。

 警戒とかは俺とボレアスがやる。良いよな?」

『――ま、仕方あるまい』

 

 そう言うと、剣から炎が噴き上がる。

 それは一瞬で人の形を取り、ボレアスが再び顕現を果たした。

 

「とりあえず、付近に敵の気配は無いな。

 いや、ゲマトリアは此方の警戒を掻い潜る奇妙な動きを見せた。

 故に安全とは言い切れんがな」

「少なくとも雑魚の接近は分かるだろうしな」

 

 ならば警戒する事自体には意味がある。

 アウローラが負傷している現状、暫くまともな戦闘は避けたいところだ。

 

「……で、問題はこっからどうするかだな」

「傷を塞ぐだけなら、そんなに時間は掛からないと思うから」

「それは焦らなくても良いからな」

 

 抱っこしたアウローラの頭をゆっくりと撫でる。

 彼女の使う魔法は極めて貴重な戦力だ。

 またゲマトリアと交戦する事を考えれば、可能な限り万全な状態にして貰いたい。

 なんて言ってると、ボレアスが俺の腕に触れて来た。

 逃げる際にゲマトリアの爪を受けた右腕の方だ。

 

「そういう貴様も、あの大公の一撃を受けたのを忘れていないか?」

「正直、言われるまで忘れてたわ。いたい」

「それは痛いどころじゃないでしょ……!?

 私もうっかりしてたけど……!」

 

 アウローラは当然として、俺も地味に重傷だった。

 自覚した事で痛みが神経をゴリゴリと削り出す。

 傷としてはアウローラが受けたのと大体似たような状態だ。

 《邪焔》付きの爪で腕の一部が抉られている。

 俺のはアウローラよりは浅いが、それでも軽い負傷でもない。

 とりあえずは賦活剤を呑んで……。

 

「そういえば、アウローラもこれ呑めば少しは傷も塞がるか?」

「あー……いえ、それは私が呑んでも効き目は薄いから。

 貴方が呑む分にはちゃんと治ると思うわ」

「そうなのか」

 

 懐から取り出した賦活剤入りの瓶。

 それを示すと、アウローラは曖昧な表情で応えた。

 俺以外が呑むと身体に悪いらしい劇薬だ。

 人間より頑丈な竜であるアウローラなら大丈夫かと思ったが。

 横で聞いていたボレアスが何やら喉を鳴らしている。

 

「まぁ、それの原料は長子殿の体液であるからな。

 幾ら濃くても自分の一部を自分に戻すだけで効き目は薄かろうよ」

「言い方!!」

 

 ……そういえば何で作られてるのかは聞いた覚えがなかった気がする。

 いや便利だし、中身は別に気にした事もなかったが。

 まぁそういう事なら仕方ない。

 顔を真っ赤にして吠えるアウローラは一先ず置いて、賦活剤の方を呑んでおく。

 右腕の痛みが和らぎ、肉が一部繋がって行く感覚。

 うん、効果は抜群だな。

 

「よし、とりあえずは良いな」

「……レックス」

「ん? どうした?」

「あー……いえ、何でもないわ。

 貴方の役に立ってるならそれが一番よ」

「あぁ、いつも助かってるぞ」

 

 それは間違いなく事実だ。

 とりあえずまたアウローラの頭を撫でていると。

 

「……なにかしら」

「いいや?」

 

 横でまたボレアスがニヤニヤと笑っていた。

 それに気付いたアウローラが顔を赤くしたままで唸る。

 はて、なんか面白がるような事があったか?

 首を傾げる俺の様子を見ながら、ボレアスはますます笑みを深める。

 

「傷の治癒を早めたいのなら、方法はあるだろう?

 よもや長子殿が知らぬワケもあるまい」

「ん? そうなのか?」

「…………」

 

 何故か黙りこくるアウローラ。

 ボレアスはわざとらしくため息を吐いて。

 

「大体、常から機会があればやっている事だろうに。

 今さら何をそんな……」

「ちょっとアンタはホントに黙りなさいってば……!」

「??」

 

 うーん何の話だコレ。

 傷の治りが早くなる手段があるって事は確かみたいだが。

 俺の視線に気付いたせいか、アウローラは更に赤くなった。

 

「何か問題があるのか?」

「問題、と言うか……」

 

 ゴニョゴニョと小さく呟いているが、良く聞こえない。

 傍に寄って来たボレアスがわざとらしく肩を竦めた。

 

「要は血だな」

「血?」

「そう、その薬は結局は長子殿の一部だ。

 故に長子殿が呑んでも効き目は薄い。

 そこまでは良いな?」

「あぁ」

 

 理屈はイマイチ不明だがそういうものらしい。

 しかしそうなると……。

 

「この場合は……お前か、俺の血か?」

「なんだ、理解が早いではないか。

 付け加えるなら我よりもお前の血が良いな。

 効果は別にしても長子殿もそちらの方が嬉しかろう」

「だから言い方……!」

 

 アウローラの声は半ば悲鳴になっていた。

 しかし血、血か。

 血を吸って回復とか吸血鬼ヴァンパイアを連想するな。

 魔人ダークワンでも最も強力とされる夜の貴族。

 まぁ俺も直接出くわした事はないんだが。

 そもそも数が少ない彼らは、この時代でもまだ生き残ってるのか。

 と、まぁそれは兎も角だ。

 

「俺の血なんか効くのか?

 まだ半分ぐらい死人なんだろ、俺」

「お前も少し言い方を考えた方が良いな。

 その疑問自体は尤もだがな」

 

 言いながら、ボレアスはちらりとアウローラの方を見る。

 何も言わない……というより、どう言ったら良いか分からない様子だ。

 それを見ながら、ボレアスはまたわざとらしくため息を吐く。

 

「確かにお前の魂はまだ燃え尽きたままだ。

 そういう意味では死人に近いな。

 ――が、それとは別にお前は竜殺しの剣と繋がっている。

 《北の王》たる我の魂に、これまで斬った真竜どもの魂。

 剣に宿るそれらの火は、蘇生中のお前の血肉と溶け合っている状態だ」

「良く分からん」

「これまで斬った竜の魂の分だけ、その魔力の一部がお前に染み込んでいるのだ。

 霊血、と呼んでもそう間違いでもあるまい。

 古き竜の血と比べてもそう見劣りはせんだろうよ」

 

 ふーむ、成る程?

 イマイチ良く分からん部分はあるが。

 要するに俺の身体には竜の魔力が溶け込んでいると。

 確かにそれなら、俺自身がまだ死人でも関係ないだろう。

 ボレアスの言葉に頷きながらアウローラを見る。

 彼女は少し恥じらった様子で俺の目を見つめ返した。

 

「アウローラ?」

「な、なに?」

「俺の血、呑めば傷も何とかなるのか?」

「……即治るワケじゃないけど。

 大分マシにはなると思うわ」

「じゃあ決まりだな」

 

 迷う必要もない話だ。

 しかし血を呑ませるのはいいが、どうやるべきか。

 手首とかで良いのか?

 などと考えていたら、アウローラの手がするりと伸びて来た。

 細い指が俺の兜に触れた。

 血の冷えた青白い肌と、それとは真逆に熱を帯びた吐息。

 アウローラの燃える瞳が、間近から俺の目を覗き込んでいた。

 

「……良いの?」

「あぁ、出来れば死なない程度にな」

 

 軽く笑って応える。

 するとアウローラは、俺の頭から素早く兜を取り去った。

 そしてそのまま唇を首筋の辺りに触れさせる。

 柔らかい感触の後には鋭い針が刺さったような痛みが走った。

 とりあえずアウローラの身体をしっかりと抱いておく。

 焼けた傷痕がある背中にはなるべく触れないようにしながら。

 

「んっ……ふ……」

 

 こくりと、アウローラは小さく喉を鳴らした。

 血が流れていく感覚。

 焼けたように熱い舌が何度も肌をなぞる。

 それが少しくすぐったい。

 ボレアスと目が合ったが、お互いに何も言わなかった。

 ただボレアスの方は肩を竦めて笑っていた。

 どれだけそうしていたか。

 

「……は……っ」

 

 熱っぽい吐息をこぼして。

 アウローラはゆっくりと顔を上げた。

 視線が絡むと、また直ぐ恥じらうように顔を伏せてしまったが。

 口元が赤く濡れていたので指で拭っておいた。

 賦活剤を呑んだばかりだったので出血の影響は少ない。

 

「どんな具合だ?」

「……大分良くなったわ。その、ありがとう」

 

 俯き気味だが、確かに顔色は良くなった気がする。

 背中の傷もゆっくりとだが再生し始めたようだ。

 うん、効果があるのかちょっと心配だったが大丈夫そうだな。

 

「吸い尽くされんで一安心だな、竜殺しよ」

「だから言い方……!」

「まぁそこは信頼してるんで」

 

 結構夢中で吸われたが、そこは気にしないでおこう。

 これで一先ずは、俺もアウローラもある程度は回復できたな。

 

「改めて、こっからどうするかだな」

「……一応、案はあるわね」

「早速だな」

 

 俺の血で元気も出て来たらしい。

 まだ少し赤い顔のまま、アウローラは言葉を続ける。

 

「ゲマトリアは一筋縄じゃ行かない相手よ。

 少なくとも、今の戦力で戦い続けても勝てるかは分からない程度には」

「間違いないな。それで、長子殿にはどんな妙案が?」

「お前だって分かっているでしょうに。

 ……仮にこのまま戦っても、勝つ為の戦力が足らない。

 それならどうするのか?

 一番手っ取り早いのは、新しい戦力を引っ張って来る事」

 

 新しい戦力と、言葉にするのは簡単だ。

 そして敵地のど真ん中という状況では、考えられる可能性は一つしかない。

 アウローラは指先で床や壁を示し、俺の想像が正しい事を証明する。

 

「この寝坊助を叩き起こす。

 ――仮にそれが上手く行っても、素直に引っ張り出されるか。

 そこまで含めて賭けになってしまうけど、ね」

 

 それでもゼロと比べれば無限に等しいと。

 俺の腕に身を預けながら、アウローラは皮肉げに笑ってみせた。

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