幕間3:星神の祈り


『――随分としてやられたみたいね? アストレア』

「黙れ、シャレム。何も問題などない」


 《巨人の大盤》と呼ばれる荒野の一角。

 そこに黄金の女――裁きの神たるアストレアの姿があった。

 死んだ大地には、つい先ほどまで動いていた《巨人》の残骸が転がっている。

 八つ当たり気味に潰したのは、これで何匹目か。

 自身が苛立っている自覚はアストレアにもあった。

 だからこそ、彼方より届く言葉につい声を荒げてしまう。


『貴女がそう言うのなら良いけれどね。

 ……どうやら、その来訪者たちは私が想定していた以上に厄介なようね』

「……油断していた事は認めよう。

 穢れた罪人と、たかが人間。神の力の前には無力だと」

『反省できているのなら何よりだわ』

「いちいち余計な事を言うのは止めろ」

 

 空の上に立ちながら、アストレアは唸るように返す。

 感情的なアストレアと違い、語りかけてくる相手の言葉は淡々としている。

 その温度の低い声に、からかうような響きがある事をアストレアは理解していた。

 ――まったく、コイツはいつもそうだ。

 今この場にはいない相手。

 帰還の遅いアストレアに、《人界》から言葉だけを飛ばして来た神。

 《星神》シャレム――その御名を持つ最も古い神の一柱。

 《裁神》たるアストレアと同じ十の神々であり、一応の立場としては等しい。

 だが、《人界》を統べる王の腹心である彼女は明確にアストレアよりも格上だ。

 格上ではあるのだが。

 

「それで? 御身は常に多忙であろうに。

 無様を晒した私を笑うためにわざわざ遠見を繋げて来たのか?」

 

 物言いに遠慮の文字は一切ない。

 アストレアも、相手が貴き神である事は理解している。

 理解はしているが、それ以上に個人としての付き合いの長い相手だ。

 礼儀が必要でない場では特に遠慮はなく、シャレム自身もそれを受け入れていた。

 

『誤解よ。私は貴女のことが心配なだけよ、アストレア』

「私が王の娘だからか?」

『貴女だからよ。

 王の娘である事は、重要かもしれないけど今は関係ないわ』

 

 即座に。

 一切の迷いもなく、シャレムはそう応えた。

 アストレアの方はすぐには言葉を返さず口を閉ざす。

 王の娘。

 勢いで口にしてしまった事を、流石にアストレアは省みた。

 

「…………すまない、少し苛立っていた」

『そういうところがまだ子供ね、貴女は。

 可愛らしいから私は好きよ』

「うるさい、黙れ」

 

 反省したばかりだというのにコレである。

 シャレムからすれば、アストレアは幼い頃から見ている娘のようなもの。

 当人に悪意はないだろうが、接し方は子供扱いの延長に近い。

 それが気に入らず、アストレアはつい反発しがちだった。


『――それより、貴女の身に起こった事だけど』

「…………来訪者たちに裁きを下す直前。

 何者かの力によって、かなり遠方まで強制的に転移させられた。

 殆ど抵抗の余地もなく、だ」

『神である貴女にそんな真似ができる輩。

 幾らこの《巨人の大盤》が広いと言っても、そうはいないわね』

「…………」


 シャレムに対し、肯定も否定もせず。

 アストレアは広大な大地を、神の権能たる千里眼で見渡す。

 神と言えども全能ではない。

 たかが数名を探すにはこの《巨人の大盤》は大きすぎる。

 なかなか再度の発見には至らない事が、アストレアの感情を刺激する。

 そんな内心を、彼方の《人界》に身を置いたままシャレムは理解していた。

 聞こえない程度に、細くため息を吐いて。


『……一度、《人界》に戻って来なさい。アストレア』

「裁きがまだ終わっていない。

 それを妨害し、私に狼藉を働いた者も――」

『それが誰かは分かっているでしょう? 私も敢えて口に出す気はないけど』

「シャレム、私は」

『それとも、《星神》の名において命じた方が良い?』

「…………」

 

 それはこれまでで一番強い言葉だった。

 単なる忠告ではない。

 《星神》が有する神としての権利は「王権の代行」。

 それが必要なら、シャレムの言葉は《人界》の王が語る言葉に等しい。

 如何に神と言えどもこれに逆らう事は不可能だ。

 自身の権利を使って止めても良いと。

 そう告げるシャレムに、アストレアは奥歯を軋ませる。


「私に、裁きの神たる私に、あの罪人どもを見過ごせと?

 《巨人》や鬼とは異なる悪神の眷属。

 更に《摂理》を穢す悍ましき輩までいる。

 これを裁かずにおけば、神の威信は地に墜ちるぞ」

『見過ごせとは言っていないわ。けど、今の貴女は冷静じゃないわ。

 貴女は強く優秀な神、それは私も良く理解している。

 けど若く、今この瞬間も引き時を見誤っている。

 一度こちらに戻って、少し頭を冷やしなさい。

 私が言っていることはそれだけよ』

「…………」

『貴女のおかげで、現時点での来訪者の脅威度は理解できた。

 確かに悪神の眷属は放置できないし、《摂理》を穢す者についても気にはなる。

 だけど、それは速やかに《人界》に脅威をもたらすものかしら?』

「……いや。《人界》の護りは完璧だ。

 何人であろうと、王の威光を穢すことなど不可能だ」

『分かっているのなら問題ないわ』


 拘っているのは、アストレア自身の意地に過ぎないと。

 言外にそう告げられた事に、裁きの神たる女は拳を握り締めた。

 ――裁きの神。王の娘。

 己を示すその単語を思い、密かに歯噛みする。

 今の自分はそれらに相応しい存在であろうかと。

 自問自答を繰り返すほどに、焦りは募って行くばかり。

 今回も容易い仕事だと、そう侮ってしまった結果ではないのか?

 ギリっと、奥歯から小さく軋む音が響いた。


「…………分かった」

『アストレア』

「帰還する。他に小言はあるか?」

『いいえ。なんなら、お茶の用意でもしておきましょうか?』

「不要だ。別に腰を落ち着ける気はない。

 お前の言う通り頭が冷えたら、またあの罪人どもを探しに……?」

『? アストレア、どうかしたの?』

 

 不意に途切れた声。

 それを不審に思い、シャレムは呼びかけるが。

 アストレアは応えず、千里を見通す眼に意識を集中させる。

 目に入ったのは本当に偶然だった。

 罪人探しは一旦切り上げようと、千里眼を切ろうとした直前。

 彼方の大地を進む異形の姿を《裁神》は捉えていた。


「なんだ、アレは……!?」

『アストレア?』

「シャレム、私の視覚に繋げろ!」

 

 そう叫ぶと、アストレアは大きな力が自身の魂に触れるのを感じた。

 《星神》シャレムの千里眼。

 最古の神である彼女の眼は、その気になれば《巨人の大盤》の外までを見通せる。

 しかし、常に全ての大地を監視しているワケではない。

 故に今はアストレアの視覚を通じて、彼女の見た景色を共有する。

 そして、巨大な異形が這い進む光景に星の神たるシャレムは絶句した。


『アレはまさか、「地砕き」……!?

 怒れる《焔》によって滅ぼされたはず……!』

「知っているのか、シャレム」

『ええ、《巨人》よ。

 遥か昔、未だ悪神と黒銀の《焔》が争っていた時代。

 その時から存在していた最も古い《巨人》の一体。

 《焔》に粉々に砕かれて、もう目覚めないと思ってたけど……』

「……《巨人》だと? アレがか?」

 

 戦慄を込めてアストレアは呟く。

 巨大な、巨大という言葉では足りないほどに巨大な怪物。

 アストレア自身、神としてこれまで数多くの《巨人》を屠って来た。

 それでも、あの『地砕き』の半分に達するサイズでも稀な方だ。


「……シャレム」

『待ちなさい、アストレア』

「いいや、私は行くぞ。

 あんな怪物、神たる者として放置はしておけん」

『幾ら神と言っても全能でもなければ無敵でもない。

 確かに《光輪》がある限り、悪神の眷属がその身を害する事はない。

 けど――』

「《光輪》は無敵の護りではないし、私も消耗している。

 故に万一があり得ると、そう言うのだろう?」

『分かっているのなら……』

「だが、見ろ。奴は明らかに《人界》を目指している。

 途中には幾つの《庭》がある?

 待つのは良いが、あの《巨人》の対応の為に動ける神は他にいるのか?」

 

 シャレムは沈黙する。

 それが答えだ。

 大半の《巨人》は、生命が近寄らない限りは無目的に徘徊するのみ。

 だがあの怪物は明らかに《人界》を目指している。

 偶然と片付けることも出来るだろう。

 が、《巨人》の性質を考えるなら殺戮の為に動いてるとアストレアは判断した。

 ……この地の神は決して慈悲深くはない。

 《人界》に仇なす者を裁く神であるアストレアもまた例外ではなかった。

 しかし、だからこそ、自身の「裁き」以外での死を彼女は許容しない。

 仮に《人界》に届いたとしても、あの《巨人》は護りに阻まれて砕けるだろう。

 だがその途中、どれほどの数の《庭》が巻き込まれるか。

 彼らは理想郷たる《人界》の民ではない。

 だが、それでも無辜の民である事に違いはない。

 神として、アストレアは己の行動を躊躇う事はなかった。

 

「私は行くぞ、シャレム。

 権利を使って止めるように命じるか?」

『…………いいえ。

 私、出来れば貴女には嫌われたくはないもの』

「そうか。あと、お前のことは嫌ってはないが別に好きでもないからな」

『傷つくから、あんまり本音で喋るのは良くないと思うの』

 

 ため息一つ。

 こう言い出したらもう止められないと、《星神》シャレムも観念した。

 

『良いわ、行きなさい。アストレア。

 裁きの神たる貴女に全ての判断を委ねます。

 だけど、決して無茶はしないように。

 貴女の身に万一があれば、私が悲しいわ』

「私を誰だと思っている、シャレム。

 《人界》を治める十の神の一柱。

 そして偉大なる王の血と、最も古き神の血を併せ持つ者。

 ――それが私だ、《裁神》アストレアだ」

 

 自らの血に抱えた二つの「重圧」。

 今この瞬間は、己を鼓舞するために敢えて口に出す。

 アストレアの背に輝きが集う。

 《裁神》の権能たる神器、《神罰の剣ダモクレス》。

 

「さぁ、傲慢にして愚かなる旧き悪よ。

 神たる私が、貴様に裁きを下してやろう――!!」

 

 自らの権利執行を高らかに叫び、アストレアは空を渡る。

 不安はない。

 神である自らの力を信じるのみ。

 

 『……アストレア、どうか気を付けて』

 

 祈りに似た言葉と共に、言葉の繋がりは途切れた。

 《星神》シャレムは《人界》から軽々しくは動けない。

 好きではないが、嫌ってもいない旧知の仲。

 彼女の憂いを取り払うことも、動機の片隅に置きながら。

 《裁神》アストレアは、巨大なる『地砕き』へと真っ直ぐに突撃した。



 

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