465話:やりやがった


 やりやがった。

 あの野郎、マジでやりやがった。

 「まさか」とはちらっと考えはしたが。

 それをホントにやられると、流石に驚くしかない。

 躊躇はなく、そしてその瞬間まで殺気さえなかった。

 ごく自然な動作で、ウィリアムは抜き放った剣でオーティヌスを貫いていた。

 月の光を宿す刃。

 魂すらも斬り裂く神匠が鍛えた一振り。

 そんなもので胴体のど真ん中を貫通されたなら、普通に考えて致命傷だ。

 ――そう、普通に考えれば。


「ッ――――!?」


 重く軋む、地獄の底で回る歯車の如き声。

 それは、刺されたオーティヌスとはまったく別の場所から聞こえてきた。

 眩い閃光。

 視界を焼く強烈な光が、ウィリアムのいた辺りを呑み込む。

 容赦のない攻撃魔法の熱量が大気を焦がす。

 一旦距離を取りつつ、視線を巡らせる。

 俺たちの立つ位置から、やや離れた場所に。

 白い法衣姿の髑髏が、まったくの無傷で佇んでいるのが見えた。

 大真竜オーティヌス。

 けど、《転移》で移動したワケじゃない。


「……なるほどね。

 最初っから、魔法で作った分身を立たせてたワケね。

 私にも気付かせない腕前は、流石と言う他ないわ」

『万一のための保険だったのだがな』


 アウローラの賞賛に、《始祖》の王は淡々と応じる。

 まー、当然のように警戒されてたわけか。クソエルフの奴。


「ふん、やはりそう上手くは行かなかったか」

『……殺す気で放ったのだが、生きていたか。しぶとい男だ』

「こちらも、もしもに備えて『盾』ぐらいは用意していただけだ」


 触れるものを焼き尽くす光。

 それが消えた後、そこにはウィリアムが平然と立っていた。

 ぱっと見はほぼ無傷だ。

 その理由は、前に突き出した左腕にあった。


『ちょっと、いい加減「盾」扱いすんの止めて貰える??』

「褒めたつもりだったんだがな」

『いやそれで喜ぶのはどんなマゾだって話よ??』


 猫だった。

 ぶらりとぶら下げられた猫は、全身で抗議の意を示している。

 非常に見覚えのある、猫っぽい猫だった。

 うん、間違いなくヴリトラだ。

 何か微妙に懐かしい気もするな。

 どうやらまだ、クソエルフの奴に便利扱いされてるらしい。


『どういうつもりか、と問うべきか。森の英雄よ』

「わざわざ説明せねば分からんか? 《始祖》の王」


 両者の視線が真っ向からぶつかり合う。

 オーティヌスは、表面上は落ち着いた様子だった。

 が、やっぱり先ほどの奇襲は余程腹に据えかねているらしい。

 怒りのオーラが目に見えるぐらいに立ち上っている。

 対するウィリアムは、まぁいつも通り。

 傍から見ても腹が立つぐらい、普段と変わらない余裕っぷりだ。

 片手に月の鱗たる剣と、あと不満げな猫をぶら下げて。


「現状維持を望む気持ちは理解できるがな。

 無理に《盟約》の存続を望むのは、最早害でしかない。

 お前自身、本当は分かっているんじゃないのか?

 《大竜盟約》が敷いた秩序は、結果的には失敗だったと」

『…………』


 沈黙。

 オーティヌスの髑髏の表情が、僅かに陰る。


「だが、《盟約》そのものとも言うべきお前はそれを認められん。

 であれば、叩き潰してやる他ないだろう?」

「それで騙して不意打ちバックアタックとか最悪だなお前」

「感謝してくれても構わんぞ?」

「冗談でなくマジで言ってるのがホント最悪だわ」


 イーリスさんのツッコミが冴えわたるなぁ。

 まぁクソエルフが最悪とか、分かりきってる事だから仕方ない。

 馬鹿なことを話しつつも、注意はオーティヌスから外さない。

 《始祖》の王は、深いため息を吐いた。


『……そうだな、分かってはいる。

 千年前は、こうする他に道はなかった。

 決定的な破滅から大陸の未来を守るには、こうするしかなかった。

 そう言い訳をしながら、千年。

 王が思う通り、来るべき時が来たのだろう』


 だが、と。

 言葉を区切ると、空間に莫大な魔力が溢れ出す。


『――だからと言って、簡単に全てを投げ出す事など許されん。

 私はオーティヌス、《盟約》の礎たる大真竜。

 数多の犠牲と選択の結果と共に、今の私はあるのだ。

 その重さ、超えられるものなら超えてみよ』

「ふん、完全に老害の物言いね」


 オーティヌスの言葉に、アウローラは嘲りを返す。

 攻撃魔法に備え、彼女も周囲に魔力を広げる。


『老害である事ぐらいは自覚している。

 なれば老害は老害らしく、面倒な邪魔者として振る舞わせて貰おうか』

「ハハハ、開き直ったか!

 結局倒すのなら、そんな事はどうでも良いがな!」


 笑って、ボレアスは大きく息を吸い込んだ。

 溜めの動作から放つまで一秒未満。

 先制とばかりに、炎熱の《吐息ブレス》を吐き出した。

 鋼を溶かす炎は――しかし、届く前に即座に砕けた。

 砕いたのは、オーティヌスじゃない。

 同時に気付いた。

 空間を呑み込んだ魔力は、オーティヌスのものではなかった。


『そのまま寝ているつもりかと思ったぞ』

『――


 ゾッとする声は、ウィリアムのすぐ近くから聞こえた。


「ちっ……!!」

『いや何でそんな近――あっ、さっき糞エルフが刺した分身か!?』


 猫を盾に構えながら、クソエルフはその場を飛び退く。

 俺はアウローラを抱えて、テレサはイーリスを掴んで姿を消した。

 強烈な爆発は、その直後に発生した。

 一応、ここは相手にとっては大事な本拠地のはず。

 そんなのは知らぬとばかりに、凄まじい衝撃が神殿を揺るがす。


「死ぬ死ぬ……!」

「ホント、無茶苦茶するわね……!!」


 吹っ飛んでくる瓦礫やら何やら。

 それらはアウローラが魔法で防御してくれた。

 おかげで生き埋めとか、そういう最悪は回避できた。

 ボレアスは頑丈なので特に問題はない。

 爆発と衝撃が一旦収まると、テレサとイーリスが再び現れた。

 《転移》で緊急回避してたようだが、ホント便利だな。

 で、もう一人。


「流石に死んだか?」

「頼れる『盾』のおかげで無事だとも」

『ホントもう嫌コイツ……』


 とは言いつつ、律儀に守ってくれるねこである。

 邪魔な瓦礫を押しのけて、ウィリアムも立ち上がった。

 いい加減、働き者の猫に死ぬほど感謝すべきだと思うわコイツ。

 ともあれ、今のはどうにか凌いだが……。


『――天秤は今、大きく揺らいでいる』


 まるで、太陽が目の前に降りてきたかのような存在感。

 抉って押し広げた神殿の大広間。

 その中心に、一頭の竜がいた。

 《均衡の竜王》、或いは《天秤狂い》。

 俺でもおぼろげながら記憶している、数千年前から知られた災い。

 竜王ヤルダバオト。

 その傍らにはオーティヌスの姿もある。


『均衡は乱れ、正十字の美しさは失われつつあります。

 ――よって、全て排除します』

『全てとは、何処までを指しているのだ。《天秤狂い》よ』

『全てです、オーティヌス。

 天秤を揺らすものを、私は全て排除します』


 つまり皆殺しだし、何なら更地にする気だと。

 いや、それはダメでは?


「なんであんな危険物を飼ってんだよマジで……!!」

「放っておくよりはマシなんだろう、多分」


 叫びたいイーリスの気持ちは分かる。

 とはいえ、どっちにしろヤバいワケだが。

 ヤルダバオトの意識――いや、殺意が俺たちを捉える。

 前と違って、今回は見逃してはくれそうにないな。


『排除します』

「共闘ってことで良いんだよなクソエルフ!!」

「お互い、背に腹は代えられんだろう!」


 笑う。

 俺もウィリアムも、笑いながら飛んできた光を迎撃した。

 ヤルダバオトが背負う正十字。

 降り注ぐ光の《吐息》を、剣で残らず叩き落とす。


「レックス、私はオーティヌスを!」

「悪い、頼んだ……!」


 ヤルダバオトだけでなく、この場にはオーティヌスがいる。

 《始祖》の王である古い魔法使い。

 そっちはアウローラが対処に動いてくれた。


「主よ、私たちも……!」

「オレは何か出来るかわかんねーけどな!」


 姉妹も自然とアウローラの方に向かった。

 それを見送ると、熱い炎が手にした剣に流れ込んでくる。


『必要であろう?』

「あぁ、今頼むところだったわ」


 炎となって宿るボレアスに、軽く笑って応える。

 これで準備は整った。

 光を纏った白銀の巨人が、ゆっくりとした動作でこちらに近付いてくる。

 改めて見ると、威圧感が半端無いな。


「ヴリトラ、守りは任せるぞ」

『寝てて良い??』

「めっちゃ頼りにしてるんで」


 いやホントに。

 猫の守りのある無しは、普通に生死を分ける要素だ。


『――均衡が乱れていますね』


 観念した猫の鳴き声に、無感情な竜の声が重なる。

 殺意はあるが、敵意はない。

 いや……そもそもこれは殺意なのか?

 熱はない、冷たさもない。

 機械的で、無機質な。

 少なくとも、これまで戦ったどの相手とも当てはまらない。

 強いて言えば、殺意が一番近い――そんな未知の感覚。


『排除します』

「お前もお前でそればっかだよなぁ!」


 なんであれ、殺そうとしてる事に変わりはない。

 深く考えるのは止めて、襲ってくる災厄の迎撃に専念する。

 クソエルフの方も、大体似たような考えのようで。


「コレを砕けば、オーティヌスの力は大きく削がれる。

 精々気合いを入れろよ、竜殺し」

「お前とも大概腐れ縁だけど、どのポジションで喋ってるのか偶に混乱するわ」

「俺は俺だが、何かおかしい事があったか?」

「イイエ」


 うん、お前はお前でそういう奴だよ。

 こんなところで、再び共闘するとは思ってなかったが。

 笑ってる間に、正十字の光が落ちてくる。

 大気を焦がして、触れたモノを焼き尽くす圧倒的な熱量。

 逃げ場はない。

 下がっても死ぬし、前に出ても死ぬ。

 ならば躊躇う必要はないと、大きく踏み出す。

 《吐息》の雨を切り払い、防げない分や余波は装甲で受け流した。

 正直キツイが、それぐらいはいつもの事だ。

 いつもの事ならなんとかなる。


「オラァッ!!」


 気合いを叫び、魔剣を一閃。

 切っ先は光を砕き、ヤルダバオトの巨体を傷付ける。

 ダメージとは呼べない程度の掠り傷。

 だが、剣は届く。


「相変わらず無茶をする!」

「お前も負けずにがんばれよ!!」


 笑うクソエルフに一声吼えて。

 間断なく続く光の嵐に、真っ向から突っ込む。

 逃げ場がないなら挑むしかない。

 しくじったら死ぬのも、大体いつも通りだ。

 ウィリアムは――別に気にする必要ないな、ウン。

 頼れるねこシールドもあるし、大丈夫だろう。


『―――――――』


 正面から突撃してくる俺たちを、ヤルダバオトは見ていた。

 その視線に感情の色はなく、言葉ももう語らない。

 殺意に似た「何か」だけを、機械的にこちらへと向けながら。

 正十字の裁きは一切の容赦なく、全てを排除するために降り注いだ。


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