145話:刹那の勝機

 

 閃く刃を紙一重で捌き続ける。

 本来ならば視覚では捉え切れない程の剣速。

 それを魔法と薬物、その両方の強化で無理やり感知する。

 最小限の動きでなどと贅沢は言わない。

 多少の手傷なら構わない。

 手足を完全に斬り裂かれたらその時点で死が見える。

 致命となり得る剣のみを全霊を以て弾き落とす。

 

「ッ……!」

 

 噛み締め過ぎた奥歯から鈍い音が聞こえる。

 状況は決して良くはない。

 ドロシアが立っている場所は半歩程度の距離。

 もう少し前に出れば拳か蹴りの届く間合い。

 それが今は永遠に等しい程に遠い。

 細身の剣が死神の鎌じみた動きで揺らめく。

 たったそれだけの動作で刃の風が吹き荒ぶ。

 一撫で人間を容易くバラバラに切断する人外の「技」。

 私はその渦中で只管耐え続けていた。

 圧倒的に有利なのはドロシアの方。

 しかし彼女の表情に余裕は少なかった。

 特に焦りはないが、少し怪訝そうに眼を細める。

 

「――不思議だな。

 君は強いよ、テレサ。それは分かってる。

 僕の剣もある程度は耐えるだろうと、そう思っていたけど」

 

 呟く死神に、私は応えない。

 無意味な独り言をドロシアは淡々と呟く。

 

「そう、これはちょっと不思議だ。

 此処まで断たれる事無く凌ぐなんて、君には難しいはずだ。

 一体どんな手品を使ってるんだい?」

 

 ドロシアの様子から、純粋に疑問に思っている事は理解できた。

 当然、そんなものを明かしてやるつもりもない。

 応える事無く私は剣の風を弾き落とす。

 耳に届くドロシアの声は無視し、頭に直接響くもう一つの声に意識を向ける。

 

『くっそふざけんなよ、またパターン変えて来やがった……!

 姉さん、情報は情報として自分の判断は軽く見んなよ!

 結局戦ってんのは姉さんなんだから!』

「分かってる、大丈夫だ」

 

 肉声ではなく、通信端末を使っての応答。

 今私の眼にはドロシアの眼では見えないモノが見えていた。

 それは虚空に走る幾つもの光の線。

 光が瞬いている時間は一秒にも満たない。

 私はその線――予測された「剣の軌道」を参考に動作する。

 線と並んで表示される数字は確率だ。

 このラインに沿って剣が振るわれる可能性の可視化。

 確率が低く、仮に通っても深手にはならないモノは無視する。

 確率が高く無視できない軌道か、低くとも喰らえば致命になりえる軌道。

 それらに優先順位を絞る事でどうにか防御を成立させる。

 当然だが、コレは私一人の力ではない。

 私の身体には「強化」を含めた生体的・機械的な処理が為されている。

 イーリスはそれを利用し、《奇跡》の力によって私と自分の意識を一部接続。

 そうする事で私の戦闘行動の補助サポートを行っていた。

 更にイーリスは、都市の電脳から「ドロシアの戦闘記録」を抽出していた。

 娯楽として遊戯ゲームの様子を放送する為、戦場には無数の記録装置が配置されている。

 その情報からドロシアが戦っている記録を抜き取った上で解析。

 肉眼では捉え辛い彼女の「技」の起こりに微妙な癖。

 どんな太刀筋を好むのかまでも調べ上げた。

 ダメ押しは「戦場に配置されている記録装置」だ。

 これらは当然、武祭となれば戦場となる中層以上にも配置されている。

 加えて参加者が持ち込んだ戦闘ヘリや戦闘人形などの機動兵器。

 大半が破壊されているが、中には感覚器センサーが生きている物も多くあった。

 この無数にある機械の「目」や「耳」にもイーリスは手を伸ばす。

 事前に参照・解析した戦闘情報。

 其処にリアルタイムでのドロシアの動きを機械的に知覚。

 それらを統合する事で高精度な「戦闘予測」を実現していた。

 この援護がなければ私はとっくの昔に切り捨てられていただろう。

 逆に言えば、此処までしなければまともに戦闘として成立しない程の格差。

 私にとってドロシアは遥か高みに立つ強者だ。

 だからと言って、素直に負けるつもりは毛頭ないが。

 

「うん、やっぱり種は分からないけど――仕掛けはある。

 だったら無敵じゃない、そうだろう?」

 

 それは死神の囁きのようだった。

 視界に表示されたドロシアの予測軌道。

 先程までは一定だったモノが乱れ始める。

 また太刀筋を変えたか。

 過去の情報にない動きにはどうしても戦闘予測に誤差が生じる。

 それらに対してイーリスは次々と修正を加える。

 電脳と同調する事で得られる思考加速。

 私やレックス殿、或いは古き竜たる主人にも理解出来ないかもしれない世界。

 イーリスはイーリスで、自分しか立てない戦場で戦っていた。

 

『オレの事は良いから、姉さんは目の前の化け物に集中しろよ……!』

 

 言われるまでもない。

 今私がやるべき事は、この戦いに勝利する事。

 最悪でもレックス殿の邪魔はさせない。

 この死神はこの場に釘付けにする。

 そうする為にも防戦にだけ神経を注ぐワケには行かない。

 万一にもこの女が「飽きてしまった」場合。

 私の事など無視してこの場を離脱する可能性もある。

 それをされたら足止めするのも難しい。

 ――前へ。

 少しずつでも確実に。

 一秒ごとに変化を帯びる太刀筋に、イーリスは一秒ごとに対応する。

 私もまた全神経を集中して刃の群れを弾き落とし。

 手足の末端を削られながらも、少しずつ間合いを詰めていく。

 半歩の距離を永遠に錯覚しそうだが、間違ってもそれは永遠ではない。

 ドロシアは退く素振りも見せない。

 余裕もあるだろうが、下がれば攻撃の動作に穴が開く。

 恐らく其処を狙っての短距離転移拳を警戒しているのだろう。

 実際のところ、あの技は動き回っている相手に当てるのは難しい。

 転移先の座標に目標が重なっていなければいけないからだ。

 しかしドロシアは其処までは理解していないらしい。

 私が少しでも術の発動に集中できないよう、絶えず剣の風を吹かせ続ける。

 

「さぁ、良く粘っているけどこのままじゃ自滅だよ……!」

 

 汗一つ掻いた様子もなく、ドロシアは獣のように笑う。

 分かっている。それこそ言われるまでもない。

 薬物による無理な身体増強は、劇的な分だけ強烈な反動を伴う。

 良くても虚脱、悪ければ意識の途絶まであり得る。

 その危険リスクを覚悟した上での効果リターンだ。

 恐らくは保って後数分ほど。

 それで超人の夢は儚く解ける。

 ドロシアの眼はこれまでになく輝いていた。

 果たして私がこの状態からどう逆転を決めようとしているのか。

 絶望的な戦いに頭から突っ込んだだけの自殺志願者ではないと、そう信じているのだ。

 確かに私にそんなつもりはない。

 勝算はごく僅か、上手く行くかは分の悪い賭けだ。

 そもそもイーリスと仮想戦闘シュミレーションで想定した時点で勝率はほぼゼロだった。

 ――そう、「ほぼゼロ」であって「完全にゼロ」ではない。

 正面から戦うだけでは勝ち目は無いが、条件次第では万に一つある。

 それが私達の出した結論。

 そして今、か細い糸も同然だが「条件」が整いつつあった。

 機会は恐らく一度だけ。

 自分を圧倒する強者を覆し得ると考えれば十分過ぎる。

 その為にも、今は耐える他ない。

 耐える事に専念しながら、ドロシアの注意を引く為に足を進める。

 ドロシアは明らかに遊興に耽っていた。

 命のやり取りをしているという緊張感は微塵も無く。

 いっそ子供じみた稚気さえ感じられる。

 ――彼女にとって、私との戦いは「楽しいお遊び」だ。

 そしてお遊びだからこそ、ドロシアは僅かにも手を抜く事はない。

 「真面目にやるからこそ遊びは楽しい」のだと。

 彼女の刃がそう語っているようだった。

 悪ふざけの類、本来なら付き合うつもりはないけれど。

 今は好都合だ。

 身の内を魔薬が徐々に削り取って行く。

 それだけでなく、予測を超えた死神の刃が肌の上を削り取る。

 肉が裂けて血が滲む。痛みは麻痺しているので構わない。

 ――機会はまだか。

 あと少しか、それとも遠いのか。

 分からない。分からないが時間は止まらない。

 視界に反映されている軌道予測はグチャグチャだ。

 入り乱れる光の線を半ば勘でなぞり続ける。

 弾く。弾く。弾く。弾く。

 全ては無理だ、今やドロシアの剣は一振りで九度の斬撃を生む。

 単純計算、達人級マスタークラスの剣士を九人同時に相手にするのに等しい。

 そんな地獄の最中に、私はある事を思い出していた。

 それは幼い頃に見た古の武勲詩。

 ――かつて、“森の王”と呼ばれた最古の森人エルフ

 彼はこの世で最も偉大な剣士で、九つの首を持つ大蛇を一太刀で仕留めたという。

 ならばドロシアが使う「技」は、伝説に歌われる“森の王”の技か。

 

「ッ……!」

 

 防ぎ損ねた刃に右腕を斜めに斬り裂かれた。

 派手に散る鮮血の向こうでドロシアが笑っている。

 限界は近い。

 死神が伸ばす手はもう喉元まで迫っていた。

 後はそっ首を引っ掴み、軽く捻ってしまえば終わりだと。

 そう言わんばかりにドロシアは伝説に等しい「技」を繰り出し続ける。

 限界は近い。

 イーリスは首尾よく私の死を引き延ばしてくれている。

 彼女の予測が無ければとうの昔に首と胴体が泣き別れていた。

 イーリスは、良くやってくれている。

 訪れる限界は、一重に私の限界だ。

 経験が足りない、研鑽が足りない、何よりも才能が足りていない。

 これが真竜ならば割り切る事も出来よう。

 只人では強大極まる竜には届かない、それは世の理だ。

 その理に真っ向から反している方を知っているが、それはそれ。

 竜を相手に至らぬ自分なら、多少なりとも諦めは付く。

 だが――。

 

「ハハハハッ――! どうしたんだいテレサ!

 これで終わりなんて言わないだろうっ!?」

 

 この女は違う。

 死神のように見えたところで、あくまで半森人の剣士だ。

 恐らく人間よりも長い時間を実戦と研鑽に費やし。

 伝説に等しいはずの「技」を己の手足の如くに扱えるだけの。

 レックス殿ですら危ういその脅威は、下手な真竜を上回るかもしれない。

 だが――あくまで、私と同じ只人だ。

 竜のように不死ではない。

 ならば届く、届かない道理などありはしない。

 

「”しくじれば死ぬだけ”、か」

 

 成る程、それこそ世の理か。

 彼の口癖を真似て、私はついつい笑ってしまった。

 自棄に近い開き直りではあるけれど。

 死に落ちかけていた心が少しだけ持ち直した。

 そうだ、こんなぽっと出の泥棒猫に負けてやるものか……!

 

『――姉さん!!』

 

 その時、イーリスの声が頭の中で鋭く響いた。

 伝えようとしている意味は直ぐ理解する。

 「機会」が訪れたのだ。

 

「っと……!」

 

 頭上に響くのは万雷に等しい轟音。

 同時に真っ赤な輝きが中層全体を熱波と共に照らし出す。

 何が起こったのかは分かっている。

 上層で戦っていた《闘神》。

 その炎熱の巨体がとうとう都市の構造を破壊したのだ。

 引き起こされる破壊的な現象に、流石のドロシアも驚きの声を漏らす。

 驚きこそしたが、それで隙を見せる程に甘くはない。

 ほんの一瞬だけ意識を頭上に向けたが、反応リアクションはそれだけだ。

 剣を操る手には一切淀みなく、私を刃の檻に閉じ込める。

 ――そう、一瞬だ。

 一瞬とはいえ、意識が私から逸れた。

 私にはそれだけで十分だった。

 

「――何……!?」

 

 意図せず自らの剣が空を斬った事に、今度こそドロシアは驚愕した。

 ――魔法の発動には大きな集中力が必要となる。

 術式が単純な下位の魔法であれば、熟練者なら白兵戦の最中でも扱える。

 しかし《転移》ともなれば大魔法。

 どれほど熟達した術者でも数秒ほどの集中は不可欠だ。

 ドロシアもその程度の知識はあったのだろう。

 それは確かに間違ってはいない。

 実際に私も《転移》は多用するが「集中」が必要なのは同じだ。

 誤りがあるとすれば、二つ。

 私の魔法は身体に呪文式が直接刻印されている。

 扱える術の種類バリエーションは少ない代わりに、魔力さえ通せば大魔法でも発動可能。

 《分解》のように発動までに隙がある場合もあるが《転移》ならば即時だ。

 つまり《転移》を使うだけならば、私は発動に集中する必要はない。

 ならば普段、この術式を使う上で何に「集中」しているか。

 それは「転移する先の座標指定」だ。

 盲撃ちに近い無作為の《転移》はどうしたって危険が伴う。

 「事故」を起こさぬ為にも正確な座標指定は必須だ。

 しかし今、私はその工程を挟まずに即座に《転移》を発動させた。

 ――座標を指定する必要は無い。

 それは既に済ませてある。

 

「私は此方だぞ、死神」

 

 敢えて声に出し、自身の存在を知らせる。

 再出現したのはドロシアの右横。

 上層から中層へと《転移》する時に掴んだ右腕。

 今この瞬間も、私はその腕を掴んでいた。

 細工は上層の時点で仕込んでいた。

 《転移》をする際、再出現位置の「基点」にする為の魔法の目印マーキング

 それをドロシアの右腕に刻んでいたのだ。

 故に襲い来る剣の風を捌きながら、私は術式に魔力を流すだけで良かった。

 起こった事実をドロシアが何処まで理解したかは不明だ。

 しかし剣を持つ腕を捕らえたにも関わらず、斬撃が私の身体を刻む。

 

「痛ッ……!」

「素晴らしいなテレサ! けれど――」

 

 このぐらいで無力化出来たワケではない。

 分かっているから、私は直ぐに術式を発動する。

 使うのは再度の《転移》。

 今度は私だけでなく、捕らえたドロシアも纏めてだ。

 再出現先は中層の天井付近。

 炎の塊が落下してくる場所から離したのだが、それでも強烈な熱を感じる。

 痛み。再びドロシアの剣が私を斬り裂く。

 致命傷ではない。

 腕を抑えられた状態では「技」は完全には繰り出せないようだ。

 それでも浅くない傷が腕や脚、肩や胴体に刻まれる。

 そして私は三度の《転移》を発動する。

 

「さっき見ただろう、この程度の高さなら……!」

「――墜落死はしない。当然、そんな事は分かってる」

 

 次の再出現先は、自由落下に入ろうとするドロシアの真下。

 今はまだ剣の間合いの外側。

 このままでは私も落下してしまうので、別の術式に火を入れる。

 それは《飛行》の魔法。

 魔力による加速は一瞬で最高速度トップスピードに達する。

 我が身が風になると同時に、四度目の《転移》を発動。

 術式の連続行使で脳が沸騰しかけるが構わない。

 落下中のドロシアは動けない。

 故に私は容易く短距離転移拳を叩き込む事が出来る。

 

「――まさか」

「ええ、お察しの通り」

 

 再出現。《飛行》による加速を上乗せした一撃。

 それもドロシア相手では「勢い良く吹き飛ばす」事しか出来ないだろう。

 だが、私がするべき事はそれだけで良かった。

 最低限、心臓と首を守った左腕に細身の刃が喰い込む。

 空中の不安定な姿勢からの一撃。

 にも関わらず危うく腕を切断されかけた。

 代わりに致命には至らず、右の拳は狙い違わずドロシアを捉える。

 その手に握ったのは、か細い勝機。

 

「終わりだ、死神ドロシア

「ッ、テレサ……!!」

 

 吹き飛んだ。

 ドロシアの身体は天を上り、私の身体は地に落ちる。

 魔法を使えぬ彼女では空を舞う事は出来ない。

 故に、向かう先が炎燃え盛る《闘神》の巨体と知ってもどうしようもない。

 その瞬間、ドロシアが何を思ったかは不明だが。

 少なくとも灰色の死神は、荒れ狂う炎熱に呑まれて消えた。

 ――本当に、ギリギリだった。

 

『お疲れ、姉さん』

「あぁ、イーリスも」

 

 落ちる。落ちるが、《飛行》は一応最低限には機能している。

 小型の太陽めいた巨体が落ちそうな場所からは、可能な限り離れて落下する。

 今にも意識が飛びそうだが、落下速度はどうにか緩めた。

 私に出来るのはこれぐらいだ。

 

「……武運を祈ります、レックス殿」

 

 後はそう――祈るぐらいだ。

 

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