144話:紅蓮に咲く

 

 炎の中を駆け抜ける。

 さっきまでとは比べ物にならない灼熱の地獄。

 本来ならとっくに燃え尽きてもおかしくはない。

 だが、俺は生きている。

 特別製の鎧もジリジリ焼かれ、内側の肉体も炎に蝕まれながらも。

 内に燃える二つの魂がそれに抗う。

 アウローラとボレアス、二柱の古き竜王の魂。

 その助けを得て、俺は強大な炎に挑む。

 

『燃え果てろ――――ッ!!』

 

 咆哮する炎熱の魔神。

 最早それを《闘神》と呼んで良いのかも分からない。

 撒き散らされる敵意と燃え上がる赫怒。

 全てを灰塵へと変えながら襲い掛かる劫火の化身。

 それは間違いなくかつてない脅威だった。

 

「だからやれるもんならやってみろ……!」

 

 半分ぐらいは自分に対する鼓舞の為に叫び返す。

 炎が燃える音に紛れそうだが、キッチリ相手の耳には届いたようだ。

 ますます火の勢いを強めて巨大な腕が乱雑に振り回される。

 其処には技も何もない。

 ただ莫大な質量と途方もない熱量だけの攻撃。

 つまりまともに喰らえば塵も残らない奴だ。

 避ける。躱す。剣で防ぐのは悪手だ。

 捕まったらその時点で死ぬまで燃やされかねない。

 幾らアウローラ達のおかげで炎は大分平気とはいえ限度がある。

 

『魔法による強化もまだ有効だから、何とか頑張って……!』

「ホントに助かるわ……!」

 

 内なるアウローラの声に応じつつ、強化された脚で存分に走る。

 デカブツ相手には兎に角動き回る。

 地形フィールドが炎に埋め尽くされて滅茶苦茶面倒だが。

 走り、時には跳躍し、相手の死角から刃を当てる。

 幸い今の《闘神》は其処まで装甲は厚くない。

 赤い鱗を断ち斬り、その下の燃える肉まで剣で抉る。

 傷を与える度に派手に炎が噴き出してくる。

 これも生身なら即焼け死ぬ威力だ。

 数々の助けと根性で何とか我慢する。

 いつもの事だ。

 人より遥かに強大な竜に挑む、その上ではいつもの事だ。

 

『不遜だぞ人間――ッ!!』

 

 ブチギレながら《闘神》……いや、名も知らぬ《竜》は吼える。

 口から大量の炎を吐き出し、それを広範囲に対して扇状に撒き散らす。

 もう上から下まで炎塗れでワケが分からんな。

 回避が無理な以上、身体を小さくしながら降り注ぐ炎の下を走り抜ける。

 炎。炎。炎。多くの竜は炎を吐くものだ。

 しかしこんだけ炎に特化した奴も珍しい気はする。

 ばら撒かれる炎が途切れた瞬間、巨体に向かって一息に飛ぶ。

 一閃。振り下ろした剣が《竜》の腕を斬り裂いた。

 両断とは行かないが結構バッサリ行けた。

 痛みを感じているかは不明だが、明らかに《竜》の表情が歪んだ。

 

『貴様ァ!!』

「いちいち五月蠅い奴だな……!」

 

 叫ぶ。吼える。

 それに対してこっちも叫び返す。

 振り回される炎。踊り狂う炎。

 焼かれる。身体はもう火傷してない場所は無いだろう。

 走りながら隙を見て賦活剤を取り出し、それを一気に飲み干す。

 常に焼かれているせいで全快とはいかなくとも、少しぐらいは死期が伸びる。

 まぁアウローラ達の強化で命とかはガリガリ削れてるんだが。

 

『冗談ではなく、余り猶予はないぞ竜殺し』

「がんばる」

 

 ボレアスに冷静に突っ込まれてしまった。

 本当にその通りなので反論も何もない。

 身体は動く。まだ戦える。

 それでも限界は確実に近付いて来る。

 何時まで持つのかとか、細かい事は分からない。

 分からないからがんばるしかない。

 歯を食い縛って炎の熱に耐え、浴びせられる《吐息》を掻い潜る。

 振り回される腕や伸びてくる手にだけは捕まらぬよう全力で回避する。

 耐えて、避けて、一つ一つ確実に剣を当てる。

 与えた傷は小さくはないが、《竜》の総体に比べれば微々たるモノだ。

 精々が鱗一枚分の傷を何度も何度も刻み続ける。

 不死の古竜、不滅の竜王。

 その絶対的な格差を埋める手段を、俺は他に知らない。

 だから戦う。だから走る。

 この手が剣を握っている限りは何とかなる。

 

『レックス……!』

「大丈夫だ」

 

 俺を気遣うアウローラの声。

 言うべき言葉を呪文のように口にしながら炎を削る。

 既に何度目になるか分からない剣撃。

 図体がデカいおかげで特に狙わずとも問題ない。

 それなりに斬ったはずだが、《竜》の勢いはまるで衰えない。

 どころか、未だに炎の熱は上がり続けている気さえした。

 恐らくは気のせいじゃないな。

 事実として、激しい憤怒と共に《竜》の気配は強まる一方だ。

 

『何故だ……!! 何故だ、何故だ何故だ何故だ!!』

 

 《竜》は吼える。

 言ってる意味は余り分からないが、その激情だけは伝わってくる。

 それは同時に物理的に肌を焼く熱波でもあった。

 怒りは俺に向けているようだが、その意識は別の相手を見ていた。

 誰に対してかは――考えるまでも無いか。

 

『何故、誰より強く、誰よりも誇り高く!

 そして誰よりも美しいはずのお前が、人間などと共にある……!

 そんなものは塵埃だったはずだ!

 お前にとっては燃やす薪程度の価値もなかったはずだ!』

 

 叫ぶ。叫び続ける。

 もう「戦っている」つもりも《竜》には無いかもしれない。

 抑えきれない感情のままに力を振り回す。

 癇癪を起した子供も同然だが、引き起こされるのは天変地異だ。

 上層の崩壊はもう止まらない。

 アウローラの力でこっちは《飛行》しているから影響は小さい。

 が、暴れる《竜》の方は足元が沈み込んでる事など気にも留めていない。

 まさか墜落死なんぞしないだろうし、気にしないのは当然だ。

 ただこのまま中層以下に落っこちればテレサやイーリスが巻き添えを喰らう。

 それはちょっと避けたいところだ。

 

『何故だ! お前が消え去ってから三千年……!

 何故、どうしてお前はそんな人間と……!』

「ンなこと言われてもな……!」

 

 どうするかなんてのはアウローラの自由だろう。

 それを「何故」だの「どうして」だの言ったところで仕方ない。

 などと口で説いたとしても、この《竜》は納得するまい。

 だから俺は言葉ではなく剣を叩き付ける。

 肩の辺りを深めに抉れば、溶岩めいた燃える血が迸る。

 完全には避け切れない。浴びた鎧が真っ赤に爛れその下の肉も焼く。

 痛みだのはもう筆舌に尽くし難いが気合いでがまんだ。

 本音を言えばのた打ち回りたいが、それをやったら間違いなく死ぬ。

 死ぬ気はないので動き続ける。

 

『……執念よな。正直、我も此処までとは思わなんだが』

 

 呆れ混じりに呟いたのはボレアスだった。

 若干複雑な感情が見える気もする。

 あの《竜》に宿る魂について、多分心当たりがあるんだろう。

 逆にアウローラの方はとんと記憶にないらしい。

 

『貴女、やっぱりアレが誰なのか分かってるの?』

『逆に問うが、此処まで来てまるで覚えがないのか長子殿』

 

 胸の奥で小さな呻き声が聞こえた気がした。

 まぁウン、三千年も経ってるわけだしな。

 印象の薄い相手はうっかり忘却しても仕方ないかもしれない。

 そもそも「さんぜんねん」が人間スケールだと想像し辛いワケだが。

 竜の時間感覚とかも俺には良く分からんしな。

 

『俺は――俺はずっと、お前を探した……!!

 だが、お前は何処にもいなかった! 何処にも!!

 お前のいない世界ならば、其処には一つの価値もなかった!!

 だから俺は死んで構わないと、そう思った……!!』

 

 戸惑うアウローラを余所に、《竜》はどんどん過熱ヒートアップしていく。

 乱雑な腕の動きが少しずつ鋭くなっている気がする。

 滅茶苦茶に暴れるだけだったのが、狙いを付けるのを覚えて来たか。

 それに対して、俺は最後の賦活剤を呑む。

 後は持久戦チキンレースの時間だ。

 俺が限界を超えて死ぬ前に、《竜》を殺し切れるかの戦い。

 

『だが、だが! お前は此処にいた!!

 ようやく、ようやく俺はお前に手が届く……!

 俺は、あの日から、あの瞬間から、お前を――!!』

 

 まだ色々言っているようだが、律儀にその全てを聞いてる余裕はない。

 喋くってる間は《吐息》が少ないのでそれはそれで良いのだが。

 《飛行》の魔力と自分の足、その両方で炎の中を跳ねる。

 さっきまで主に狙っていたのは腕回り。

 振り回すだけの大きな動きが基本だったので斬り易かった。

 しかし動作が正確な攻撃に変わりつつある為、こっちも狙いを変更する。

 剣を閃かせる先は、脚だ。

 数百年の齢を数える巨木よりも尚も太い脚。

 崩壊しつつある地面にめり込むソレに思い切り刃を突き立てた。

 

『ぐぁッ……!?』

 

 短い苦痛の音が《竜》の口から零れた。

 本当に痛がってるのか、竜殺しの刃で身を削られて驚いただけか。

 判断は付かないが、別にどちらでも構わない。

 更に脚の辺りを何度か切っ先で裂いたところで、上から炎の塊が降って来た。

 燃える《竜》の巨拳。

 噴火する山が丸ごと落下してきたような光景だ。

 当たれば粉々だろうが、流石にそんなものを素直に喰らってやる義理はない。

 炎の中を軽く飛んで回避すれば、《竜》は憎らしげに唸り声を上げた。

 

『ちょこまかと鬱陶しいぞ、人間……!!

 何故、何故……! 何故、汚らわしく弱い人間如きが……!!』

「なら、その人間相手に梃子摺ってるお前は何だよ……!」

『この俺を侮辱する気か貴様ァ!!』

 

 うーん沸点の低い事。

 鋭くなっていた攻撃が、怒りによってまた大味になる。

 直撃の危険リスクは下がるが、一方で炎の勢いが激しくなるのが難点だ。

 命が物理的にガリガリと削られていく感触。

 余裕のないこっちと違って、《竜》の強大さはまだ揺るがない。

 

『……レックス。

 本当に限界なら、一度退く事も考えるべきよ』

「そうだな」

 

 それは間違いない。

 アウローラの忠告に俺は一つ頷いた。

 とはいえ、そうなったら《竜》はいよいよどうしようもなくなる。

 逃げたところでコイツは諦めないだろうし。

 俺の方もちょっと休んで直ぐ戦える状態に、とは行くまい。

 物理的な負傷はまだしも、剣を通じて竜王二柱分の力を身に受けている状態だ。

 その消耗は一朝一夕ではどうにもならんだろう。

 だから機会はこの瞬間だけ。

 勝つ為に目の前の死線を踏み越える。

 

「とりあえず、もうちょっとがんばるわ」

『……言うと思ったわ』

 

 炎の中を跳びながら、苦く笑うアウローラの声を聞く。

 ボレアスの方はカラカラと愉快げに笑っていた。

 

『精々男ぶりを見せてやれよ竜殺し。

 頭の茹だった間男には良い薬であろうよ』

「うーん言い方」

『コイツの戯言はどうでも良いけど!

 ――信じてるから、頑張って』

「あぁ」

 

 しくじれば死ぬ。いつもの事だ。

 だから俺は、いつもの如く勝ちに行く。

 構えた剣を振り下ろす。或いは横薙ぎに払う。

 時に切っ先で突いて抉り、捻って更に傷を裂き斬る。

 狙うのは先ほどと同じく脚の辺り。

 深くは斬り込まず、普段以上にチマチマと削る事だけに専念する。

 相手からすれば虫にチクチクと刺されてるような状態か。

 そうなればどうなる。

 当然、イライラして頭に来るに決まっている。

 

『小煩い蟲のような真似を――ッ!!』

 

 怒りを叫び、《竜》は俺を払い落とそうと躍起だ。

 足下へ向けて炎を吐き、真っ赤に燃える拳を振り下ろす。

 何度も何度も、俺を叩き潰すまで。

 衝撃と轟音。兎に角こちらは捕まらないよう飛び回る。

 鋼も溶かす劫火、巨体から放たれる圧倒的な質量と速度。

 それら全てが崩壊しかけた上層の床に突き刺さる。

 決定的な破滅を告げる音は、怒りで煮えた《竜》の頭には届かなかった。

 

『何ッ……!?』

 

 崩れた。

 上層の床、その大半が遂に限界を迎える。

 燃えて砕けて融けて落ちる。

 《竜》もその気になれば空ぐらいは飛べるだろう。

 転落死までは流石に期待していない。

 ただ沸騰していた《竜》からは「足元が崩れる」事は抜け落ちていたらしい。

 虚を突かれた巨体がバランスを崩して宙に浮く。

 落ちても死なないのなら落下に危機感を持つ理由が無い。

 一瞬。ほんの一瞬だけだ。

 突然の崩落に《竜》の意識に空白が生じる。

 俺はその僅かな隙間に勝負を仕掛ける。

 纏う炎を斬り裂き、アウローラの力を借りて高速で《飛行》する。

 目標は一点。無防備となった《竜》の胸元。

 熱い炎が脈打つ心臓の上。

 

「――――――ッ!!」

 

 気付けば、俺は声にならない叫びを上げていた。

 叫びながら《竜》の心臓を剣で貫く。

 それと同時に《竜》の咆哮も弾けたが、それは耳に入らない。

 貫いたが、まだ完全には届いていない。

 竜殺しの刃は炎の精髄を斬り裂いた。

 けれど《竜》は死なず、怒りの叫びを炎へと変える。

 愚かにも懐に飛び込んで来た獲物を焼く為に。

 

『終わりだ、人間――ッ!!』

 

 その瞬間、《竜》は勝利を確信していた。

 俺は応えず、ただより深くまで貫く為に剣に力を込める。

 そして。

 

『さぁ、貴女も全力を出しなさい……!』

『まったく、竜使いが荒過ぎるのではないか長子殿!』

 

 胸の内に響くアウローラとボレアスの声。

 それと同時に沸き上がる莫大な魔力は、俺の腕を通して剣の切っ先へと宿る。

 人の身だけでは難しい、竜の助力があって初めて再現できる業。

 放つ前の反動だけで吹き飛びそうなのを堪えながら、俺は笑って言った。

 

「終わりだ、竜王ドラゴン

 

 その言葉と同時に爆ぜる《竜王の吐息ドラゴンブレス》。

 貫いた剣の先から放たれた二柱分の一撃。

 心臓の内側から莫大な熱量を叩き込まれて《竜》の身体が爆ぜる。

 都市中層の空に、大輪の華が咲いた。

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