幕間1:迷い込んだ竜達の語らい

 

 長子殿が使った《大転移》の術式は、無事に発動した。

 複数人を同時に遥か遠方へと移動させる大魔法。

 《黒銀》の魔力が荒れ狂うあの場でこれを成功させたのは、見事と言う他ない。

 恐るべき脅威から遠ざかり、無事に窮地を脱する事が出来た。

 それは良い、そこまでは良かった。

 

「とりあえず、落ち着けよ長子殿」

「落ち着け? 落ち着けですって……!?」

 

 問題はその後だった。

 見慣れぬ遺跡らしい場所。

 朽ちた石造りの空間にいるのは、我と長子殿だけ。

 そう、今此処にいるのは我らだけだ。

 魔剣《一つの剣》を抱えて、長子殿は明らかに冷静さを欠いていた。

 今この場にいない者の姿を探そうと、闇雲に暴れているような状態だ。

 普段は自重している力も、今は隠す気はないらしい。

 壁や床を力任せに引き裂いて、求める相手を探して彷徨う。

 ……我も正直、担い手不在の剣と一緒に放り出されたと気付いた時は、少々焦ったが。

 それ以上に激しく取り乱す長子殿のおかげで、早めに冷静になれた。

 わざわざそんな事を口に出すつもりはないが。侮辱と取られるのも面倒だ。

 さて、それはそれとしていい加減止めねば拙いか。

 別にそれで死ぬ事はないが、崩落した岩で下敷きというのも面倒に過ぎる。

 

「落ち着け長子殿。

 癇癪起こして暴れるのは良いが、それで竜殺しまで生き埋めは困るだろうよ」

「ッ……!」

 

 毛嫌いする我の忠告を素直に聞くかは賭けだった。

 が、どうやら上手く行ったらしい。

 無茶苦茶していた長子殿だったが、ピタリとその動きを止めた。

 ……傲岸不遜、傍若無人を地で行く《最強最古》。

 それが余り聞き分けが良いというのも少々不気味ではある。

 剣を抱えたままで立ち止まる長子殿。

 顔は俯き気味で、後ろに立つ我から表情は良く見えない。

 さて、これは本当に大丈夫か?

 

「長子殿?」

「……レックスは」

「ん?」

「レックスは、何処? ダメよ、感知に引っ掛からない。

 まさか、こんな場所にバラバラで飛んでしまうなんて……っ」

「……おい、長子殿?」

 

 震える声。さっきまでの激高状態とはまた異なる。

 

「剣を手放した状態じゃ、彼は長くは生を保てない……!

 魂に火を分けられる者もいなければ、そのまま……」

「…………」

 

 長子殿は泣いていた。

 それはこの世で最も驚くべき光景だった。

 我の知る彼の者とは、即ち絶対なる《最強最古》。

 二十の《古き王》の頂点たる君臨者。

 ありとあらゆる陰謀に通じ、その強大さで万物を屈服させてきた。

 それが今、無垢な幼子であるかのように涙を流している。

 ……これを醜態と笑う事は出来た。

 むしろかつての我であるなら、失望さえしたかもしれない。

 王の中の王たる古竜の長子がなんたる様だ、と。

 しかし今はそんな気分でもなかった。

 

「何度も同じ事を言わせるなよ。

 我は落ち着けと言ってるんだ、長子殿」

「ッ……」

 

 放っておけばその場に蹲ってしまいそうな背を、思い切り叩く。

 岩を砕く程度の力を込めたが、長子殿は軽く震えるのみ。

 うむ、これぐらいで転ぶようなら指を差して笑ってやるところだ。

 

「っ、お前は……!」

?」

 

 文句を言いかけた長子殿を遮り、我も偽りのない言葉を吐く。

 そうだ、何を其処まで混乱しているのか。

 確かにこの状況は、奴にとっても窮地であろうが。

 

「奴は――長子殿が信ずるレックスという男は、竜殺しだぞ?

 かつては北の地で覇を唱えたこの我を、たった一人で殺し切った傑物だ。

 それほどの男が、この程度の逆境で再び死ぬと?」

 

 あり得ぬだろう、それは。

 もしそうなってしまえば、《北の王》たる我が威名も地に落ちてしまう。

 たったそれだけの事で死ぬ男に、無様に負けた愚かな竜として。

 ならばあり得ぬ、そんな事は。

 呆気に取られている長子殿に、我は重ねて断言した。

 

「奴の事だ。この迷宮の何処かを彷徨い歩いているだろうよ。

 そうして足掻けば、長子殿が自分を見つけるだろうと。

 いつもの如くに軽く考えながらな」

 

 ……まったく、我ながら何を言っているやら。

 自分の言動に笑ってしまいそうになる。

 よもや《最強最古》の大悪竜に、慰めの言葉を掛けるなど。

 不快だの不敬だの、再び怒りを爆発させてしまう可能性も考えた。

 が、それも杞憂に終わりそうだ。

 

「……そうね、お前の言う通りだわ。

 彼が、レックスが、この程度で死んだり諦めたりするはずはないもの」

「そうだろう、無謀が過ぎるが気骨のある男だ」

「……ボレアス」

「うん?」

「礼は言わないわ。私に対する無礼は、代わりに許してあげる」

「そうか、そうか。長子殿も随分お優しくなられたものだぁ」

 

 本心から笑ったら、ギロリと睨まれてしまった。

 大分落ち着きは取り戻したようで何よりだ。

 長子殿は我から視線を外すと、改めて周囲の様子に目を向けた。

 さっきよりは大分瓦礫が多くなってしまっているが。

 

「長子殿、此処はなんだ?

 先程の口ぶりからして、心当たりはあるようだったが」

「……まぁ、そうね。

 私もあくまで知っている程度だけど」

「世の理の多くを解き明かした長子殿にしては、随分と弱気な台詞ではないか」

「減らず口を縫い合わせて欲しいの??」

 

 苛立った顔で愛らしく微笑む長子殿。

 やはりそうでなくては、此方としても余り居心地は良くない。

 さて、質問は無視スルーされると思ったが。

 

「多分、《始祖》の遺跡でしょうね」

「《始祖》? 《十三始祖》か?」

 

 それは我にしてみれば、随分と懐かしい名であった。

 かつて、この大陸にまだ人が渡り来る前。

 偉大なる竜の兄弟らが佇んでいただけの上古の時代。

 彼方より現れたる十三人の「魔法使い」達。

 真に偉大なる一人以外は定命の運命から逃れられず、彼らはその方法を求めていた。

 そんな《十三始祖》達と、当時の我らは最初は争い合った。

 しかし直ぐに不毛と判断し、交渉の席が設けられた。

 彼らが持つ「」と、古竜を永遠たらしめている「」。

 この二つの交換と、《始祖》と《古き王》同士の不可侵。

 これらを取り纏めた者こそ、他ならぬ長子殿であった。

 本当に随分と懐かしい話だ。

 

「流石に一部を見ただけじゃ、誰の所有かまでは分からないけど。

 雰囲気に覚えはあるから間違いないと思うわ」

「ならば此処には、主人である《始祖》がいると?」

「……さて、それはどうでしょうね」

 

 我の言葉に、長子殿は曖昧に応える。

 その意図が察せずに首を傾げると、呆れた様子でため息を吐かれた。

 

「そういえば、その頃にはもう北の荒れ野に引き籠ってたわね貴方」

「我は孤高の王として、相応しく振る舞っていただけだが?」

「貴方も他の竜王達もそうだけど。

 自分が関心を持っている事以外には無頓着過ぎるのよ」

 

 その辺りについてはむしろ、長子殿の方が変わり者なだけな気もするが。

 雑多な事に拘り過ぎても仕方ない――と。

 以前の我ならば疑問なく思っていた事だろう。

 今は少し違うが、自分の心境の変化を言語化するのはなかなか難儀だ。

 少なくとも我らの中でその手の変わり者は長子殿と、もう一人。

 

「兎も角、貴方がそうして荒れ野で王様を気取ってる頃。

 その時点で《始祖》の多くが発狂していたわ」

「気が狂ったと? 何故?」

 それだけよ」

 

 実につまらなさそうに長子殿は応える。

 不死という永遠は長すぎる、か。

 

「我ら古竜には分からん話だな」

「竜は元々永遠に生きられる存在として創造デザインされているもの。

 けど人間は違う。

 二百年程度ならまだしも、何千年も生きられる構造はしてなかった。

 稀に例外もいるけれど、《十三始祖》の大半は違ったわ。

 そして狂った同胞を正気を保っていた《始祖》が殺して回った。

 私が把握しているのは此処までね」

「ふむ、何とも哀れな話よな」

 

 我としても、その辺りの昔話には然程興味はなかった。

 「魔導の秘儀」と「不死の秘密」の交換も、そんな話もあったなぐらいの認識だ。

 ただ、今の話で気になる事はあった。

 

「なぁ長子殿」

「なに? 無駄話も良いけど、そろそろレックスを真面目に探したいのだけど。

 ……あの姉妹も、ついでに拾えるなら拾いたいわね」

「何ともお優しい事だな。

 いや、ちょっとした好奇心で聞くが――長子殿は、知っていたのか?」

「だから何の話」

「人間には不死は長すぎるという話だ」

 

 返って来たのは沈黙だった。

 我の言葉に長子殿は何も言わず、自分がばら撒いた瓦礫を片手で払う。

 それから朽ちかけた通路に足を踏み入れて。

 

「……だとしたら、何?」

「いいや? 言っただろう、単なる好奇心だと」

 

 冷たく囁くような声。

 それは久しく聞いていなかった、《最古の邪悪》のモノだった。

 どれだけ竜殺し相手に色ボケていようと、やはり性根は変わっていないらしい。

 かつてはその悪辣さを嫌悪したものだ。

 今? 今は少しばかり見方を変える事にした。

 

「人が不死に耐えられぬと知りながら、《始祖》から魔法の奥義を騙し取ったのも。

 竜殺しの剣を鍛えて、何も知らぬ人間に使わせたのも。

 それで兄弟姉妹を殺す気であったのに、逆に自分が虜にされたのも。

 全て長子殿の一面かと思えば、なかなか愉快に思えるではないか。なぁ?」

「お前は私をそんな風に見てたの???」

 

 信じられないとばかりに睨んでくる長子殿。

 その顔もまた可笑しくて、ついつい笑ってしまった。

 

「我は剣に囚われていたとはいえ、共に三千年を過ごしたのだ。

 不変たる古竜でも、変わる時は変わるらしい。

 それを「愉快」と評するのは間違いではなかろう?」

「レックスの事が無ければ捻り潰してやるのに……。

 そんな事より、お前は剣を介してレックスと繋がりがあるんだから。

 近づけば向こうの気配ぐらい分かるでしょう?」

「そうさなぁ。

 これほど離れた事はない故、どのぐらいの距離で分かるかは不明だぞ」

 

 長子殿の言葉に頷いて、一先ず我の方が先頭に行く。

 気配は探ってみるが、やはりそれらしい物は感じられない。

 余程離れているのか、或いは別の要因があるのか。

 その辺りは分からんが、まぁ虱潰しに探す他あるまいな。

 尻尾を何となく揺らしながらそんな事を考えていると。

 

「……ボレアス?」

「お?」

「いい加減、貴方も何かしら服を身に付けたらどうなの?」

「別に不要であろう、そんなもの」

「仮にも《古き王》の一柱なら、相応しい恰好をしろと言ってるんだけど??」

 

 うーむ、意外と見栄えとか煩いタイプだったな長子殿。

 しかし我としては、人の姿を取らざるを得ない時点で割と窮屈なのだ。

 それを更に衣服とやらで締め付けるのはご遠慮願いたい。

 で、その辺りの思考を読まれたか。

 長子殿は難しい顔で我の事を暫し睨んだ。

 

「……分かったわ。

 レックスを見つけて姉妹を回収出来たら、私が何とかしてあげる」

「いや別にいらんぞ??」

「黙れ、お前に拒否権はないから。

 レックスもこれについては気にしてたし、絶対賛同してくれるから」

「やれやれ、であれば大人しく従う他ないか」

 

 そも長子殿が言い出した時点で、如何に我でも拒むのは困難だ。

 まぁしかし、先程までとは別の意味で懐かしさを感じてしまうなコレは。

 

「なぁ長子殿」

「まだ何かあるの? そろそろ無駄口は……」

「そうして悪態を吐きながら何やかんやと身内の世話を焼くところ。

 とそっくりでは」

 

 言い切る前に顔を叩かれた。

 しかも相当全力だったのでかなり痛い。

 壁にめり込んだせいで、床や天井にも亀裂が走ってしまった。

 そして確認するまでもなく、長子殿は怒髪天だ。

 

「私とあの糞雑魚を、言うに事欠いて『そっくり』とか……!

 よっっっっっぽど命が要らないらしいわねお前……!」

「ははは、そう照れるなよ長子殿」

「殺す。やっぱり殺すわ」

 

 おっと、流石にからかい過ぎたか。

 殺意が本気レベルに達したようなので、とりあえず両手を上げて降参する。

 まぁそれぐらいで許してくれるほど長子殿は慈悲深くなかったが。

 首を絞められるのまでは良いが、骨まで圧し折られるのはちょっと拙いな。

 

「落ち着け長子殿、今のは我が悪かった。

 それより話題に出した姉上だが、今は何処におられるやら。

 竜と呼ぶのが恥ずかしいぐらいに非力な方だ。

 今の時代で無事かは少々疑問ではあるが」

「……いいからもう口を閉じなさい」

 

 ため息混じりの呟きと共に、ぺいっと床に投げ捨てられた。

 首の骨は折られずに済んだようだ。

 許しては貰えたようだが、長子殿は不機嫌そうに鼻を鳴らして。

 

「アイツの事は、今はどうでも良いわ。

 さぁ、早くレックス達を探しに行きましょう」

「お優しい長子殿は、姉上の事は心配してやらんのか?」

「必要ないわ」

 

 皮肉の入った我の言葉を、長子殿は一言で切って捨てた。

 

「……あの白子のナメクジは、どうしようもなく非力だけど。

 逃げ隠れするのだけは得意だもの。

 だからどうせ、何処かで生きてるでしょう」


 

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