幕間1:三頭目


 ロンデミオにとって、この世界は実に平和なものだ。

 特に変わり映えのしない日々が、ただ淡々と続く。

 時折、不出来な部下の行いに少しばかり頭を悩ませることもある。

 だがそれは、変化のない日常を楽しむ刺激スパイスと考える事にしていた。

 故に、齢六十を過ぎる老人の身ではあるが彼の生活は充実していた。

 打ち捨てられた《天の庭》、その中心近く。

 廃墟の一角を改装した、ロンデミオのための生活空間パーソナルスペース

 彼はここから長らく外に出ていないし、出る必要もない。

 多くの雑事は配下の者達が片付け、自分はその報告を受けるだけ。

 必要な命令を必要なだけ部下に伝え、定期的に他の「頭目」と連絡を取る。

 それが済めば、後は私的プライベートな時間だ。

 「外」から取り寄せた酒や煙草を楽しみ、偶に読書に没頭する。

 写本ではあるが、ロンデミオが所有するのは真竜戦争以前の貴重な書物だ。

 決して狭くない私室に、幾つも設置された大きな本棚。

 並んだ書の数は、文字通り山の如し。

 置かれている本のジャンルは様々で、統一性は皆無。

 退屈な絵物語でも、今や知る者もいない歴史的記録でも。

 彼は区別なくそれらを読み漁ることを好んでいた。

 ――そう長くはない老い先だが、これらの書の全てに目を通すことができるか。

 それが既に成功を収めたロンデミオにとっての、人生最後の目標だった。

 変わらない。何も変わらない毎日が、ただ淡々と続く。

 ロンデミオにとって、それが世界の全てだった。

 その報告が、舞い込んでくるまでは。

 

「……何?」

 

 新しい書を開こうとしたところで。

 常とは異なる時間に、一人の部下が報告にやって来た。

 側近として置いた若い男だが、名前は憶えていない。

 必要だろうと不要だろうと、いつでも挿げ替えられる首だ。

 簡単に変わってしまうものを、ロンデミオは記憶する価値もないと考える。

 ただ、部下の持ってきた報告はそう簡単に切り捨てられるものではなかった。

 

「歳かな、良く聞こえなかった。

 もう一度言って貰って良いかね」

「は、はい。

 先ほど、人間狩りマンハントに出ていた部隊から報告がありました。

 《戦争車》五台と、人員合わせて十七名。

 凡そ二小隊が、その、全滅していた――と……」

「…………」

 

 自分でも信じがたい、と。

 報告を口にした部下自身も、戸惑いの色が強い。

 悪い冗談ならばどれだけ良いかと、ロンデミオ自身も思っていた。

 それならば、目の前の部下の首を取り替えるだけで済む。

 だが、現実はそう簡単に話を終わらせてはくれない。

 

「全滅と言ったが、具体的な被害は?」

「《戦争車》は五台共に全壊。

 人員は全員かろうじて息はありますが、例外なく重傷です」

「誰がやった?」

「申し訳ありません、やられた連中はまだ誰も話せる状態ではなく……」

「役に立たんな」

 

 手に取ったばかりの書を置いて、ロンデミオは煙草を一本取り出す。

 差し出された先端に、部下は慣れた動作で火を点けた。

 老いた頭目は煙を胸いっぱいに吸い込む。

 そうしてから、溜まった苛立ちと共に大きく吐き出した。

 

「役立たずとはいえ、十七人。

 しかも貴重な《戦争車》を五台も乗り回していて全滅か。

 なんだ、それを全部余所者がやったと?」

「……シラカバネ一家の、『殺し屋マーダーインク』の可能性は……?」

「無いな、それは無い」

 

 部下の馬鹿げた妄想を、ロンデミオは即座に否定した。

 

「確かに連中なら、それぐらいの事はやってのけるだろう。

 だがそうして連中に何の利益がある?」

「いや、それは……」

「奴らは暴力装置だ。

 暴力に長けているが、だからこそ他に能がない。

 カーライルは兎も角、私に喧嘩を売ってそれで奴らの手元に何が残る?」

 

 それは極々単純な損得の問題だった。

 集団同士で争っていた時期とは違い、現在は「三頭目」の体制は安定している。

 細かな小競り合いはしょっちゅうだが、それはある程度意図したものだ。

 関係性を根幹から揺さぶる大規模な争いは起こってないし、する必要がない。

 末端が変な気を起こした、という可能性はゼロではないが……。

 

「…………」

「……あの、頭目ボス?」

「あぁ、まだいたのか。

 報告することが他になければ、お前はもう下がっていろ」

「は。それで、今後については……?」

「下手人を探せ。可能ならば捕えろ。

 そんなこと、私がいちいち指示しなければできないのか?」

 

 苛立ちの混じった老人の声に、部下は震え上がった。

 ロンデミオの不興を買えばどうなるか。

 それこそ自分が、あの悍ましい「殺し屋」の餌食にされかねない。

 

「し、失礼しました! すぐにでも、吉報をお持ちしますので……!」

「次に報告や連絡があれば、私の端末の方に送れ」

「承知致しました……!」

 

 バタバタと、慌てた様子で部下は退出していく。

 それを見送ることもなく、ロンデミオは一つ息を吐いた。

 細かい報告でも、それを部下に直接口頭で行わせるのがロンデミオのこだわりだ。

 機械による通信を挟むのは、イマイチ信用に欠けるという考えがあるからだ。

 それが正しいのか間違いであるのか、それ自体は重要ではない。

 しかし今は、そんな個人的な決まり事は不要と判断する。

 万一にも、これから行う「会合」に邪魔を入れたくないからだ。

 

「……余所からやって来た新参が、私の部下を蹴散らしたと?」

 

 、と。

 誰も聞くことのない言葉を、ロンデミオは唇の内側で転がす。

 何度か煙草を吹かして、老人は自分の懐を探った。

 取り出したのは、手のひらに乗る程度の小型の端末。

 その黒い立方体を目の前の机に置いて、指先で何度か触れる。

 表面に赤い光が灯ってから、暫く。

 

『――何の用だ?』

『緊急の呼び出しなんて、穏やかじゃないな』

 

 不鮮明な立体映像が二つ、ロンデミオの前に浮かび上がった。

 一人は若い――ロンデミオと比べたらだが――傷が目立つ強面の女。

 もう一人は、女よりは年嵩な優男。

 どちらも声や仕草に独特の「圧」を持っているが、ロンデミオは気にしない。

 

「ウチの部下が少しばかり纏まってやられた。

 シラカバネ、心当たりは?」

『知らん。そういう事はカーライルに聞け』

『いやいや、こっちも知らないぜ?

 確か今日はガキが二人入って来るだけじゃなかったか?』

「予定ではそのはずだった」

 

 同じ頭目である二人の返答に、ロンデミオの声音にまた苛立ちが滲む。

 強面の女――シラカバネは不快そうに鼻を鳴らした。

 

『予定外にいちいち苛立つなよ、ご老体。

 いつものドブネズミの仕業じゃないのか?』

「奴隷候補を横から掻っ攫うネズミの仕業にしては、被害が派手過ぎる」

『なんだ、どんぐらいやられたんだ?』

「車が五台に、十七人が重傷だそうだ」

『そりゃまた、確かにネズミが齧ったにしちゃ豪勢だな!』

 

 優男――カーライルは心底愉快そうに大笑いした。

 それがますますロンデミオを不快にさせるが、この場の誰も配慮はしない。

 「三頭目」は並び立ってこそいるが、別に味方ではないのだから。

 

「お前の飼い犬どもの仕業じゃないんだろうな、シラカバネ」

『貴様の部下と違って、ウチは躾けが行き届いている。

 それよりカーライルの方が、「外」から誰か雇い入れたんじゃないのか?』

『オイオイ、濡れ衣を被せるのは止めてくれよ。

 ウチは商売第一でやってるんだ。

 お前らと喧嘩するうま味なんてこれっぽっちも無いぞ』

「…………」

 

 実に白々しい会話だった。

 自身の部下に述べた通り、ロンデミオも他の頭目が無関係なのは承知していた。

 その上で、互いの動きを牽制する意味ではそういう形で突く必要があった。

 「三頭目」でもまだ把握できていない異常事態。

 これは全員で解決すべき事案であり、決してバカな真似は考えるな、と。

 ロンデミオが釘を刺し、シラカバネとカーライルはこれを承知した。

 ただそれだけの、単なる確認作業。

 そこまで済ませた上で、彼らはようやく本題に踏み込む。

 

「……下手人については、私も部下を使って探させている。

 が、仮に首尾よく見つけても手に負えるとは思えん」

『戦車五台だもんなぁ。

 正面からやったとは思いたくないが、そうでないにしても十分ヤバいわ』

『ウチに依頼する、という認識で構わないんだな?』

「当然だ。こういう時のための『殺し屋』だろう」

 

 シラカバネの言葉に、ロンデミオは迷わず頷いた。

 本音としては頼りたいワケではない。

 「三頭目」で最も小さく、暴れることしか知らない新参者。

 ロンデミオからすれば、同じ頭目として名を連ねていることも不愉快だ。

 だがそれを差し引いても、シラカバネの有する暴力には価値がある。

 この狭い箱庭を満たす、ささやかな平和。

 万が一これを脅かす者が現れた場合、実力で排除するための暴力装置。

 それこそが頭目シラカバネの存在意義だった。

 

『居所を調べてさえくれれば、後はこちらで何とでもやる。

 そちらの部下が巻き添えになっても構わんな』

「あぁ、役立たずが多少死んでも私の懐は痛まんからな」

『ハハハ、ひでぇ話だなオイ。

 あぁ、調査の人員ならこっちからも提供しよう。

 人間なら水や食料はどうしたって必要だ。

 仮にどっかの《休息地》を使っているにしてもな』

 

 笑うカーライルに対し、ロンデミオの表情は硬い。

 シラカバネは常にしかめ面なので、実際の感情は良く分からないが。

 ……一体、どこの誰だ?

 変わらぬはずの平和が乱された。

 予定にないこと、想定していないこと。

 そういったモノを、ロンデミオは殊のほか嫌う。

 他の頭目達にしても、老人は出来れば関わり合いになりたくないのだ。

 自分達が動けば、どうしたって変化が起こる。

 良きにしろ、悪しきにしろだ。

 

「――私は、この地の誰よりも平和を愛している。君達も知っての通り。

 故にこそ、この心の静けさを乱す輩を許してはおけん」

 

 ロンデミオは、本心からその言葉を宣った。

 不鮮明な画像の向こうで、カーライルがこぼした笑みには気付かない。

 それこそが、天から与えられた無二の理だと言わんばかりに。

 この狭い箱庭を支配する一角として、どこまでも傲慢にロンデミオは語る。

 

「どれだけ死のうが構わない、どうせまた人は増やせる。

 如何なる犠牲を払おうと、平和を害した罪人どもに必ず報いを」

『……それは、こちらに対する無制限の行動許可と受け取るぞ』

「勿論だとも。繰り返すが、『殺し屋』の出番などこういう時ぐらいしかない。

 ならば存分にその機能を振るって貰おうじゃないか」

『やれやれ、小心者にはおっかない話だ』

 

 そう言って、カーライルは皮肉げに笑ってみせた。

 シラカバネは変わらぬ渋面のまま。

 総意は得られたと、ロンデミオは満足げに頷いた。

 「三頭目」の最古参であり、人員など含めて最大勢力を持つのがロンデミオだ。

 故に彼は、自然と自分が「三頭目」の筆頭であるかのように振る舞う。

 シラカバネもカーライルも、これに関しては何も言わない。

 暗に認めているとかそういう話ではなく、単純に面倒だからだ。

 そんな二人の内心など知る由もなく、ロンデミオは続ける。

 

「では、各々の働きに期待している。

 私は忙しいので失礼させて貰うぞ」

『なんだ、大体部下に任せて半分は隠居してるような状態だろ?

 そんな忙しくすることあったかい?』

「あるとも」

 

 揶揄するようなカーライルの言葉。

 それにロンデミオは、至極真面目な声で応じた。

 

「今日の読書がまだだ。

 読み止しの本を、一つ片づけておきたい」

 

 それがこの世で何よりも大事なことだと。

 平和に浸る老人は、当たり前のように言ってのけた。

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