第9話 不変と成長
「ただいまー」
その日、蓮が帰宅すると、いつも騒がしい家の中は、シンと静まり返っていた。
華は買い物に行くと言っていた。兄はきっと
リビングに入ると、蓮は電気もつけず、そのままドガッとソファーにもたれかかった。
夕方になり、薄暗い我が家。そのせいか、家が静かだからか、今日は、妙に寂しく感じてしまう。
「…………静かすぎる」
誰もいない我が家で、蓮はソファーにもたれかかり、ゆっくりと瞳を閉じた。
すると、ふと昨日のことを思い出した。
『なんで兄貴が、彼女作らないのか? その本当の理由、知りたい?』
蓮はあの時、華に本当のことを伝えようと思っていた。だけど華の顔をみたら、なぜか、それが言えなくなった。
伝えたらきっと、華は無理をして、背伸びをしてしまうかもしれないから──
あの兄貴が、彼女を作らない理由、それはきっと、自分達のせいなのだろう。
幼い頃から、ずっとずっと兄に守られてきた。
そしてそれは、今でも兄の中で使命感として根付いているのだろう。
「……バカだろ」
それは、誰のことを言っているのか、小さく呟いた蓮の声は、リビングにすっと溶けていく。
──トゥルルルル
「……!」
だが、その瞬間、一本の電話の音が鳴り響いた。
基本、この家の電話は登録している番号以外は鳴らない。にも関わらず、音がなると言うことは……
「もしもし、父さん?」
ナンバーを確認して受話器を取ると、その電話は、遠く海外にいる父からだった。
「うん、みんな元気。……え? あ、そう……クリスマス、帰ってこれないんだ」
父の言葉に、軽くテンションがさがる。
毎年、クリスマスから兄の誕生日にかけて長期休暇をもらって帰ってくる父だが、今年は忙しいらしく、それができないらしい。
「うんん、大丈夫。兄貴いるし……そう、よかった。兄貴、きっと喜ぶよ」
だが、その後、自然と笑みが戻る。
クリスマスやお正月は帰ってこれないが、兄の誕生日には必ず帰ってくると父が言うからだ。
「うん、受験は2月。多分大丈夫。でも、華は怪しいかも、アイツたまに変なとこミスるから」
その後、蓮が笑いを交えながら会話を続ければ、電話先からは、父の変わらない笑い声が響いた。
そして、それから暫くして
「うん……じゃぁ、またね」
父との電話を切ると、今年のクリスマスは、
もうすぐ兄は二十歳になり、自分達は高校生になる。
きっと、とりまく環境は変わり、いつの日か、クリスマスを家族で過ごすことはなくなるのだろう。
そう思うと、こうして"家族といられる時間"は、あとどのくらいなのだろう?
当たり前のように来る毎日が、当たり前じゃなくなるのは、一体いつなのだろう?
「大人になるって……残酷だ」
早く大人になって、兄を安心させてあげたい。そう思うのに、変わることが『大人』になるという、その当たり前のことが
───なんだか、すごく怖い。
「蓮?」
「……!」
瞬間、リビングに聞きなれた声が響いた。
パッと電気が灯され、同時に蓮が振りむけば、そこには、帰宅した兄が、いつもと変わらない笑みを浮かべて立っていた。
「……電気もつけないで、何してんの? 怖いんだけど?」
「……」
その声に、不思議と安心してしまうのは、この人が幼い頃から、ずっと側にいてくれたからかもしれない。
そんな自分に、まるで子供のようだと苦笑しつつも、蓮は、いつも通り返した。
「おかえり。今、父さんから電話きたよ」
「あー、父さん、なんて?」
「クリスマス、帰れないって」
「そう」
買い出しの帰りなのか、兄はスーパーの袋を手に、リビングからキッチンに移動し、中のものを冷蔵庫に収め始めた。
「まー、そうじゃないかと思ってたよ」
「え?」
「だって、お前たち、もうすぐ高校生になるし、入学準備とかで忙しくなるから、春にまとめて休み取るつもりなんだろ、父さん」
「……」
「あれ、違うの?」
「いや、そう、かも……」
いや、きっとそうだ。
あの父のことだから──…
「どうかした?」
すると、どこか元気がない弟に、兄が首を傾げた。
「具合悪い? それとも、父さんが帰ってこないのが、そんなに寂しい?」
「具合は悪くないし、寂しくもないよ」
子供扱いされるのが、不快だ。
だが、安心もする。
早く大人になりたいと思う自分と、まだ、このままでいたいと願う自分が
──心の中で葛藤する。
「どうしたの、蓮。なんか変だよ? 寂しいなら寂しいって素直にいえばいいのに、俺は寂しいよ~。父さんに会えないのは」
「ホントかよ、それ」
「ホントホント♪」
ニコニコと恥ずかしげもなく放つ言葉は、どこまで本当なのか、よくわからない。
兄はわがままだし、口も悪いし、怒るとすごく怖いし、機嫌が悪いときは、ものすごくめんどくさい。
たまに、嫌になることもあるし、喧嘩をすれば、取っ組み合いになることもある。
だけど……
だけど、それでも
──兄は、優しいのだ。
「兄貴……なんで、彼女作らないの?」
不意に、そう問いかければ、兄は荷物を片付ける手を止め、ゆっくりと蓮をみつめた。
「………また、その話?」
「俺たち、もう兄貴が思うほど、もう子供じゃないよ。だから、俺たちに気を使わなくて、いいから……っ」
絞り出すように声を発したあと、蓮は、飛鳥の横をすり抜け、逃げるようにリビングをでていった。
「…………」
そして、そんな弟の背を、視線だけで追いかけながら、飛鳥は、ただ無言のまま、リビングの扉が閉まるのをみつめていた。
弟から放たれた言葉は、少し耳に痛かった。
別に気を使っているつもりはない。
だが、ただひとつ言えるとすれば、自分たちは、仲が良すぎたのかもしれない。
居心地が良いばかりに、変わるのを恐れてしまう。
まだ、子供のままでいてほしいと、願ってしまう。
きっと、大人にならなきゃいけないのは──
「俺の……ほうかもね」
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