第108話 飛鳥とミサ



『ッ……な、んで……おかあさん……っ』



 今でも鮮明に蘇る。


 ドアを叩く音と、あの母の声──



『……ぅ……ゃだ、ここから、だして……っ』



 何度泣きながら訴えても


 いつも返事は決まっていて



『飛鳥……お母さんね、


『……っ』


『だから……絶対に……』



 ────出してあげない。






 ◆◆◆




 古い記憶がよみがえると同時に、心臓が早鐘のように動きだした。


 聞こえてきた声に、見覚えのある姿に、呼吸が浅くなる。


 なんで──


 なんで、あの人が




 ここにいるんだ───?














   第108話 飛鳥とミサ












「あの、神木さん!? 離してください! エレナちゃんが……!」


「──ダメ、だ」


 エレナの元へ駆け出そうとした、あかりの腕を掴んだのは──無意識だった。


 あれが誰なのか認識した瞬間、体は正直に反応しはじめた。


(ダメだ、今は……)


 思い出す。あの声のトーン。


 あの人は、今




 ────すごく、怒ってる。





「ごめんなさいッ! でも、ちゃんと門限には帰るつもりだったの!! それに、せっかく誘ってくれたに、断るなんて……!」


「エレナ!」


「ッ……!?」


「あんな公園で遊んでいいなんて、言った? 怪我でもして、そのキレイな体に、傷でもついたらどうするつもり?」


 母親が、エレナの頬に手を添え、冷たく囁く声が聞こえた。こちらには気づいてないようだが、恐ろしいくらい二人の会話はよく耳に響いた。


 恐怖に震えるエレナの顔が見え、あかりは再度その場から離れようと試みたが、飛鳥に腕を捕まれ、身動きが取れないあかりは、その二人から、ただ目をそらさずにいる事しかできなかった。


(エレナちゃん……っ)


 どうしよう。あのままじゃ──


「──痛ッ」


 だが、そんなあかりの腕に、突如鈍い痛みが走った。


 反射的に顔をしかめ、痛みが走った腕を見れば、飛鳥がその手の力を更に強めたのだとわかった。


 男性の力だ。強く捕まれたら、やはり痛い。


 だが、その腕に響いたのは、なぜか痛みだけではなく。その手から、ほんのわずかに伝わってきたのは


 ──微かな振動。



「神木さん……?」


 もしかして……震えてる?



「ぁ……、は……ッ!」


 瞬間──顔色が、みるみる青ざめていくのがわかった。


 呼吸が荒くなり、苦しそうに不規則な息をしては、肩を震わせていた。


 先程まで、普通に会話をしていたはずなのに、突然豹変したその姿見て、あかりは驚き目を見開く。


「え!? なんで……どうしたんですか!?」


 その場にしゃがみこみ、あかりが慌てて声をかけると、飛鳥のもう片方の手が、あかりの服へと伸びてきた。


 服の裾を必死に掴み、まるで怯えるように縮こまるその姿は、なにかから身を隠そうとする子供のようにもみえた。


 あまりにも弱々しい姿。


 それは、どうみても、今まで見てきた『彼』ではなかった。



「ッ、──はぁ……ぁ」


「神木さん……っ」


 まるで恐ろしいものでも見るかのように、その表情は険しく、カタカタと体を震わせていた。


 今にもベンチから崩れ落ちそうなほど、いや下手をすれば、気を失ってしまうのではないかと思ってしまうほど、ゼーゼーと荒い呼吸をしていて、あかりの腕を掴むその手は、もう血の気が引いたように冷たくなっていた。


(何かの発作??)


 過呼吸? 喘息? それとも……


「ぁ、あの、薬とかありませんか!? お水でもなんでも、欲しいものがあれば、私すぐとってきますから……!」


 幸い家はすぐそ側だ。あかりは、なにか手助けができないかと、飛鳥に声をかける。


 だが──


「……ッ──て」


「え?」


「ッ、そ……に……ぃ───」



 ────そばにいて。



 その言葉を聞いて、あかりはなにかを察した。


 これは、発作とか、そんなんじゃない。


 本当に、何かに、怯えてる───?


「……!」


 瞬間、その何かに気づいて、あかりは公園の出口に顔だけむけて振り返った。


 すると、さっきまでそこいたはずのエレナとその母親の姿は、もうすでに姿を消していた。


(エレナちゃん……っ)


 エレナも心配だ。


 だが、気になったことがある。


(……すごく、似てた)




 ─────神木さんと。





「ッ……はぁ、っ……ッ」


「……!」


 二人の姿はもうない。


 だが、その震えも、苦しそうな息遣いも全く治まることはなく、飛鳥は縋るようにあかりの服を掴んだまま離そうとはしなかった。


 その姿に、あかりはそっと空いている方の手を飛鳥の背に回すと、落ち着かせようと、ゆっくりとその背をさすり始めた。


「……大丈夫。どこにも、行きませんから」


 いつのにか二人の頭上には、鉛のような雲が広がっていた。


 それは、今にも雨が降りだしそうな



 ──そんな重く暗い空だった。



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