第150話 死と絶望の果て⑪ ~兄妹弟~


「あ~、やっと会議、おわったなー」


 夕方5時過ぎ──


 侑斗が、会議室から出ると、会社の同僚の谷口が、背伸びをしながら声を発した。


 3時から行われた会議。会議自体は、まだいいのだが、話し合いが終わったあとの部長の話が長すぎるのだ。当初の予定より一時間はオーバーしている気がする。


「仕方ないだろ、部長の話が長いのは今に始まったことじゃ……あれ?」


 愚痴を零す谷口を諌めながら、侑斗がポケットから携帯を取り出すと、いくつか着信履歴が残っているのが目について、侑斗は足を止めた。


「どうかしたか?」

「いや……嫁から電話来てた」


 不在着信の履歴をみれば、ゆりの携帯からだった。夕方4時過ぎに何回かと、数分前に1回。


 会議中だったため、サイレントモードにしていたからか、電話が来ていたことに、侑斗は全く気づかなかった。


 だが、日頃は用事がある時は、メールで要件を伝えてくるため、あまり電話はかけてこない。


 それにも関わらず、メールはなく、ただただ着信だけという、その異様さに、何かあったのかと、侑斗はすぐさま電話をかけた。


 トゥルルルル……


 だが、その先はコール音がなるだけで、ゆりはまったく出る気配がなく……


 風呂でも、はいっているのか?

 はたまた、料理をしていて気づかないのか?


「嫁さん、出ないのか?」

「あぁ……また、あとでかけてみるよ」


 漠然とした不安がよぎりながらも、侑斗は携帯をポケットに戻し、谷口と共に再び廊下を進み始めた。


「しかし、神木の奥さん、まだ22歳だっけ? えらく若い嫁つかまえたよなー」


 すると、廊下を進みながら、谷口がニヤニヤしながら語りかけてきた。


「社内でも噂になってたぞ。離婚したって聞いたかとおもったら、早々再婚するとか聞いて! お前、マジで浮気してた?」


「してない。嫁とは離婚してから出会って、スピード結婚だったんだよ」


 正直、後ろめたいことは一切していないのだが、世間の目とはこんなものだ。


 いくら別居期間があったとはいえ、正式に離婚してから一年も経たずに再婚すれば、仕方ないといえば仕方ない。


 だが、ゆりに告白した時に、このような噂をされるのは覚悟のうえ。


 後悔は、一切ない。


「今だから言うけど、離婚したって聞いて、お前のこと狙ってた女子社員、何人かいたんだぞ」


「は? なんだそれ、初耳」


「顔もいい上に、将来有望な若手社員だからなー神木は! 既婚者じゃなければ、今頃モテてモテて仕方なかったんじゃないか?」


「こんな人出のない部署で馬車馬の如く働かされてんのに、どこが有望なんだよ」


「女の目には良く見えるんだろーよ! まー前の奥さんもかなりの美人だったのに、アプローチかけてきた女もいたみたいだし、浮気する気になれば、いつでもできるよなー、神木は!」


「……」


 本気か、冗談か、その言葉には、侑斗も眉を顰める。


「……浮気なんかしても、誰も幸せにはなれないだろ?」


「相変わらず、真面目だなー」


「いや、不貞を働かないって当たり前のことだろ! それに、俺はゆりにゾッコンなの! 浮気相手に金使うくらいなら、そのお金で妻と子供たちにケーキでも買って帰る」


「くそ! そういう所がまたモテる要因なんだろうな! いいなー俺も若い嫁さん欲しかったなー」


「ははは、僻むな。お前は、嫁とどうなのよ?」


「家は姉さん女房だしな。相変わらず尻に敷かれてるよ! 年上怖えーぞ!」


「はは、尻に敷かれてるのは俺も同じだよ。あんなに年下なのに、怒らすとメチャクチャ怖いからな!」


「神木さーん! 電話きてますよー!」


 谷口と話しながら、自分のデスクの前に戻ると、そのタイミングで、女子社員が、声をかけてきた。


 それを見て、侑斗は会議の資料をデスクに置くと、その後、女子社員の元に赴く。


「ありがとう。どこから?」


「星ケ峯総合病院の方からなんですけど……」


「星ケ峯……え? 病院?」


 それは、この町で一番大きな病院からだった。侑斗は、先程の着信のことを思い出すと、受話器をとり、その電話にでる。


「お待たせ致しました、神木です」


「あの……星ケ峯総合病院のものですが、神木侑斗さんでらっしゃいますか?」


「はい。そうですが」


「あの、落ち着いて聞いてくださいね。実は」


「……?」


「あなたの奥様の神木ゆりさんが、先程、お亡くなりになりました」


「…………え?」










   第150話

   死と絶望の果て⑪ ~兄妹弟~











 ◆◆◆


「お父さん、まだ連絡つかないのかねー?」


 星ヶ峯総合病院。その地下一階にある霊安室の中で、救急車の中に一緒に付き添ってくれたおばあさんが、俺の横で呟いた。


 そのおばあさんは、藤崎さんと言って、俺たちの家の向いに住むおばあさんだった。


 家の前に救急車が来た時、子供だけではと、一緒に乗り込んでくれた藤崎さんは、その後も俺たちに付き添ってくれた。


「早く、お父さんくるといいね」

「……」


 場の空気をやわらげようと発せられる言葉を、俺は他人事のように聞いていた。


 あのあと、救急車が病院につくと、それから暫くして、母の死亡が確認された。


 医者の死亡宣告とともに、母の側で慌ただしく動く大人達を見つめながら、俺たちは、ただ呆然と立ち尽くしていた。


 不思議と、涙は出てこなかった。


 そして、流石に空気を読んだのか?いつも騒がしいはずの華と蓮も、その時ばかりは大人しかった。


 手には、小さなぬくもりがあって、華と蓮は、まだ小さなその手で、俺の手をしっかり掴んで離さなかった。


 いや、離さなかったのは、俺の方だったのか?


 正直、よく覚えていない。




 ~~♪



 霊安室の中は、淡い明かりが灯され、クラシックの落ち着いたBGMが流されていた。


 鼻をかすめるのは、線香の独特の香り。


 そして母は、その部屋の中央で、顔に白い布を被せられ、一人ベッドに横たわっていて、俺たちは母に近づくこともできず、かと言って離れることも出来ず、少し離れた場所から、母を見つめていた。


(朝は……あんなに、元気だったのに)


 現実を受け止めることができなかった。


 あまりにも思考が朧気で、まるで、夢の中にいるようだった。


 いや、むしろ、夢だと思いたかった。


 たまに見るあの悪夢のように、目を覚ませば、また、母が抱きしめてくれる。


 きっと、そうだと、信じたかった───



「飛鳥くん、大丈夫?」

「……」


 呆然とする俺に、藤崎さんが心配し声をかけてきた。俺は、その声にゆっくりと顔を見上げると……


「大丈夫です」


 そう言ったのは、今でもはっきり覚えてる。


 大丈夫なわけないのに、何を言っているんだろう。だけど、その時は、なぜか、そう言わないといけない気がした。


 そう言なければ、立っていられない気がした。



「おふくろ!」


 すると、そのタイミングで、母親を迎えに来たのだろう、藤崎さんの息子が姿を現した。


 今、大学生だと言っていたその息子は、母とそんなに年の変わらないお兄さんだった。


「ゆりちゃん、亡くなったって、ほんと?」


「ええ、あんなに明るくていい子だったのに、こんなに小さな子達残して、死んでしまうなんて……っ」


 藤崎さんが、目に浮かんだ涙をハンカチで拭う。そんな藤崎さんを宥めたあと、その息子は、中央のベッドまで歩み寄り、線香に火を灯すと、母に暫く手を合わせて、また藤崎さんの元に戻ってきた。


「俺とそんなに歳、変わらないだろ?」


「ええ、まだ22歳よ。あと5分でも10分でも、早く救急車がきてくれたら、助かったのかもしれないのに……っ」


「……」


 5分? 10分……?


(俺が……回り道した時間だ)


 心筋梗塞などは、ほんの数分の違いで、その結果は大きく変わる。この時の俺は、そんなこと知りもしなかったけど、その言葉は、やけに深く心に突き刺さった。


 ──ギィ……。


 そして、また霊安室の扉が開かれて、今度は、看護師の女性が藤崎さんに声をかけてきた。


「あの、先程、この子達のお父さんと、連絡が取れましたので」


「そうですか」


 そういったあと、看護師と話をしながら、藤崎さんたちは霊安室から出ていって、部屋の中には、俺達三人だけが残された。


「にーに……」


 すると、ずっと口を閉ざしていた華が、俺に向けて声をかけてきた。


「まま、いたい……?」


 俺の手を握りしめて、母から目をそらさず、華がポツリと呟いた。俺はその言葉に


「もう……痛く……ないよ」


 痛くない。

 もう、苦しくない。


「ねんね、ちてるの……?」


 すると、それに続くように、蓮もあとから言葉を発して、俺は、そんな二人の手をきつく握りしめて


「っ……うん、ねんね……してる、よ……っ」



 もう、二度と


 目を覚まさないけど───



「「ままー!」」


 瞬間、華と蓮が俺の手を離れて、母のもとに駆け出した。


「ッ──華、蓮っ!」


 俺は焦り、二人に手を伸ばす。だけど、二人は俺の手をすり抜けて母の側に駆け寄ると、もう冷たくなった母の身体をゆさゆさとゆすり始めた。


「ままー、かえろー」

「おきてー」

「……っ」


 いつものように、母に声をかける華と蓮。その瞬間、母の顔を隠していた白い布がパサッと床に落ちて、俺はその場から動けなくなった。



 《ずっと、一緒にいてあげるからね》



 そう言ってくれた、母の言葉が脳裏によぎった。


 するとその直後、手が、足が、全身が小刻みに震えはじめた。


「まま~?」

「だっこー」


 青白い母の顔は、とても無表情で、華と蓮は、全く反応を示さない自分たちの母親を不思議そうに見つめ、更にゆさぶり続ける。


 すると、その狭い寝台の端から、子供たちに煽られて、細い腕が落ちそうになって──


「ッ……華、蓮!」


 俺は、それに耐えかねて、とっさに二人を母から引きはがした。


「だめ、だよ……もう、母さんは」


 ああ、嫌だ。


 嫌だ、嫌だ。



 こんなこと




 言いたくないのに……っ




「お母さんは……っ、もう、起きないよ……っ、もう、ずっと……このままッ……っ」




 こんなこと




 認めたくないのに……っ




「ッ……もう、ッ……俺達の、お母さんはッ!」



 叫ぶように絞り出した言葉に、自分自身がショックを受けていた。



 ──どうして?



 ずっと一緒にいるっていったのに



 お母さんを守るって



 俺、約束したのに



 嫌だ、嫌だ、いかないで……っ





 お願いだから



 ずっと、俺達と一緒に──





「「うわぁぁぁぁぁぁん!!」」

「……ッ」


 瞬間、華と蓮が、火が付くように泣き出して、俺は、その身をびくりと弾ませた。


「やだぁぁぁぁぁ!!」

「っ、あ……ッ」


 目から大粒の涙を流して、大声を上げて泣く華と蓮。


 すると、そんな華と蓮に煽られるように、涙が一気にあふれ出して、それは雫となって頬を伝い、俺はそのまま、冷たい床の上にへたり込んだ。


 泣き出した華と蓮に、ゆっくりと手を伸ばすと


「っ、ゴメン……華、蓮っ、ゴメン……ごめんっ」


 泣きながら、何度も何度も謝り続けた。


 ごめん

 ごめん


 俺がもっと早く帰っていたら


 回り道なんてしないで


 あのまま、まっすぐ帰っていたら



 もしかしたら、お母さんは───




「っ、ゴメ……ン、ゴメン! ゴメンッ……ごめん、華、蓮……ゴメンっ、俺が……ッ」



 俺が、死なせた。



 あんなに大切な人を


 あんなに大好きな人を



「守る」なんて、偉そうなこと言っておきながら


 結局、守れずに、死なせてしまった。



 なんで、周り道なんてしたんだろう。


 なんで、もっと早く帰らなかったんだろう。



 なんで、なんで、なんで!



 こんなの……





 あんまりだ……ッ








 その後、俺は泣き止まない二人を、ありたっけの力を込めて抱きしめると、嗚咽交じりに声を震わせながら、暫く三人で、ずっと身を寄せあっていた。



 永遠なんて存在しない。


 永遠に壊れないものがあるなんて言うなら


 そんなの、綺麗事でしかない。




 誓った愛も


 交わした約束も


 家族の絆も


 人の命も




 簡単に簡単に


 壊れて、破られて、消えて、なくなる。



 誰かを守ろうとして


 他の誰かを取りこぼすくらいなら




 もう「大切な人」なんて増やさない。




 友達だっていらない。




 いつか壊れてしまうなら


 いつか離れていってしまうなら


 いつか失ってしまうなら




 そんなもの


 はじめから、持たなければいい。




 失うのが嫌なら


 はじめから



 手にしなければいい。




 守るのは



 今、この「手」にあるものだけでいい。





 家族を守れるなら




 他には、もう、なにも望まない。




 だから、お願い……っ




「華、蓮……お前たちは、今度こそ絶対に、俺が……守るから……っ」






 だから




「もう俺から……離れて、いかないで……っ」




 もうなにも、失いたくない。




 こいつらを、守れるなら



 こいつらが、側にいてくれるなら




 俺は、何だってするから







 だから、もう、これ以上






 俺から、何も





 奪わないで────…っ








 静かな霊安室の中では、子供たちが泣く声が、ひたすら響いていた。


 それは、悲しみと言うよりは


 絶望にもにた




 弱く、悲痛な声だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る