第22話 侑斗と飛鳥
誕生日を祝って数時間後、神木家は就寝の時間を迎えた。
先程まで賑やかだった家の中は、まるで火が消えたように静まり返り、そんな中、侑斗は、一人書斎の中で、部屋の片隅に飾られた写真立てを見つめていた。
「今日で、飛鳥も……二十歳になったよ」
写真の中には、まだ幼い子供達を抱いて、優しく微笑む"女性"の姿──
「まだ、子供だと思ってたのになぁ。いつの間に、あんなに大きくなっちゃったんだろう……」
その成長を微笑ましく思いながらも、侑斗は決して返事を返すことのない女性を見つめて、悲しげに答えた。
脳裏に甦る記憶が、ほんの少しだけ切なさをつれてきて、えらく心が傷んだ。
できるなら子供たちの成長を、"君"と一緒に祝いたかった。
そう思わずにはいられないから──…
「はは、こんなんじゃ……また君に怒られちゃうな」
──バタン
「?」
瞬間、書斎の外から扉がしまる音が聞こえた。
──こんな時間に、誰だろうか?
侑斗が数センチだけ扉を開け、廊下を覗きみると、どうやら風呂あがりなのか、長い髪を下ろした飛鳥が、脱衣所から出てきたところだった。
上下黒の部屋着姿で、濡れた髪を乾かしながら廊下を歩いていく飛鳥。その暗がりの中でも、飛鳥の綺麗な金色の髪は、よく目立つ。
「飛鳥!」
「?」
部屋を出るなり、侑斗がコソコソと飛鳥を呼び止めると、飛鳥は父とは違う青い瞳を向けて、ジッと見つめ返してきた。
「父さん、まだ起きてたの?」
「あぁ、ちょっとな」
「蓮華は?」
「もう寝たぞ。今日は、お前の取り巻きから逃げ帰ってきて疲れてたみたいだしなー」
「俺のせいみたいに言わないでよ」
「お前のせいだろ。しかし、相変わらず、うちの飛鳥くんはモテモテだな~。父さんも若い頃はそれなりにモテてたけど、お前ほどじゃなかったわ」
「そりゃどーも……それより、何か用?」
すると、その直後、侑斗が飛鳥の腕をガシッと掴んだ。
「!?」
突然の父の挙動に、何事かと飛鳥が父を見上げれば、侑斗は、そんな飛鳥には目もくれず、薄暗い廊下をズイズイと進み始めた。
「ちょっ、なに!?」
「いいから、いいから。ちょっとこっちに来て、お父さんに付き合いなさい」
そう言って、飛鳥を引っ張って来たのは、さっきまでみんなで誕生日を祝っていたリビング。
侑斗は、リビングに入るなり電気をつけると、飛鳥を三人がけのソファーに座らせ、その後、冷蔵庫の中や食器棚の中をゴソゴソと漁り始めた。
そんな父を見て、飛鳥は首を傾げる。
時計を見れば、夜の11時をすぎ、あと40分もすれば日付が変わってしまう頃だった。こんな時間から、何を始めようというのか?
「おまたせー」
そんなことを考えていると、侑斗はにこにこと笑いながら、飛鳥の目の前にあるものを差し出してきた。
トンと重めの音と共にローテーブルの上に置かれたそれは、なんと冷えた"ビール"と"グラス"。
「え?」
「なに驚いた顔してんの。お前、もう"二十歳"になったんだよ?」
飛鳥が目を丸くしていると、そんな息子の姿を見て侑斗がニッコリ笑いかけた。
神木家の長男も、もう二十歳。
立派にお酒を飲める年になった。
のだが……
「いらない」
「はぁ!?」
だが、あっけなく拒否され、父の声が裏返る。
「お前、いらないじゃないだろ!! いいか飛鳥、もう『未成年なんで飲めませーん』は通用しないんだぞ!! 今は、大学生だからわからないだろうけどね! 社会人になったら嫌でも笑って酒のなきゃいけないときが山のように出てくんのよ! いいから飲め! とりあえず飲め!!」
「今まさに、それを強要されてるんだけど」
いらないという息子に対し、強引に酒をすすめる父。父のこういう所は、時々、ものすごく厄介だ。
「明日、大学あるし」
「午後からっていってただろ」
「そうだけど、二日酔いで授業受けたくない」
「大丈夫、大丈夫! ちょっとだけにするから! それにお父さん夢だったんだよね。いつか、こうして息子と晩酌するの」
「………っ」
だが、そういって、とても嬉しそうに笑う父の姿を見れば、それ以上の否定の言葉が出せなるのも確かで……
「……それ言うの反則じゃない?」
「あはは。はい、どーぞ」
すると、侑斗は飛鳥の横にこしかけると、慣れた手つきで缶を開け、グラスにビールを注ぎはじめた。
そして──
「ごめんな、飛鳥。お前には、たくさん苦労かけたよな」
「……」
だが、唐突に飛び出したその言葉が、不意に、幼い頃に言われた言葉と重なった。
──ゴメンな、飛鳥。
あの時から比べると、父は大きく変わった。
なのに、今でもその言葉で、あの頃を思い出してしまうのは、余程自分の中で、その頃の出来事が尾を引いているのだろう。
「…………」
飛鳥は、その父の声に耳を傾けながらも、目の前に差し出されたグラスを呆然と見つめた。
「飛鳥には、本当に感謝してるんだ。あの時、
「…………」
「もし、あの時、お前がいなかったら、こうして、子供達と笑ったりケンカしたりすることもなかっただろうし、飛鳥と酒を飲むこともなかった……それを思うと、あの時、アイツの──」
「父さん!」
瞬間、飛鳥が言葉を遮った。
父の言葉をきいて、不意に幼かったあの日の自分が脳裏に過ぎった。
真っ暗な暗闇の中に、置いていかれたような気がして、ひどく泣いた
───あの時のこと。
「……父さんは、まだ、あの時のこと……気にしてるの?」
「…………」
静かなリビングに、声が溶け込む。そして、無言で俯く父のその顔は、それを肯定しているように感じた。
気にするなと言っても、無理なのかもしれない。
あの時、息子の手を振りほどいたことを、父は未だに、悔やんでいるのだから──…
「……父さんて、本当バカだよね」
「え?」
だが、次に飛鳥が発した声は、罵倒でも否定でもなく、どこか呆れたような声だった。
「面と向かって言うのは恥ずかしいけど……俺だって、父さんには……感謝してるんだよ?」
飛鳥が、ぽつりと呟く。
確かに、あの時
自分は父の言葉に絶望した。
だけど、それでも、この人は──
「だって、父さんは、あの時俺の手を、ちゃんと握り返してくれたでしょ?」
絶望して、泣いて泣いて、泣きじゃくった。
だけど、この人は、そんな自分の手を、ちゃんと握り返してくれた。
話しを聞いて、抱きしめてくれた。
それが、どんなに大変なことだったか、当時の自分にはわからなかったけど
あの時、救ってくれことは
────今でも忘れない。
「俺が、今ここにいるのは、父さんと、あの人のおかげだよ」
父にむけて、微笑みかけると、飛鳥はテーブルの上に置かれたグラスを、そっと手に取った。
「だから謝らなくていいし、たまに帰ってきた時は、付き合うよ。コレも」
そう言って、にっこり笑ってグラスを傾けると、それは父のグラスに触れて、カランと気持ちのよい音をたてた。
そして──
「父さん。今まで育ててくれて……ありがとう」
「……っ」
その飛鳥の言葉に、ふいに目の奥が熱くなって、侑斗はきつく唇を噛みしめた。
きっと、過去の傷や過ちは、そう簡単に消すことはできないのだろう。
それでも、失った哀しみを、痛いくらいに知っている自分たちだからこそ、今あるらこの「幸せ」に、とてつもない尊さを感じる。
普通なら、あって当たり前の日常なのかもしれない。
それでも、きっとこの場所は
"あの日の自分が熱望した場所"だから──…
「っ……ありがとう、飛鳥」
誕生日の夜、父と息子は静かに語り合った。
過去の傷は消えない。
失った悲しみも消えない。
それでも、今はただ
目の前の「幸せ」に感謝をしよう。
あの時、救ってくれた
父に、息子に
ありったけの
"ありがとう"の気持ちをこめて──…
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