第26話 お兄ちゃんと迷子
「はぁ、今日は、散々だったなぁ」
その後、喫茶店で時間を潰しつくした飛鳥は、夕方になり帰路についていた。
国道沿いの大きな道路。
ガードレールが続くその歩道を進みながら、飛鳥は今日の事を振り返り、小さくため息をつく。
朝は華たちから追い出され、昼は隆臣にからかわれ、散々な一日だった。
まぁ、だからといって、イライラしてばかりではいけないのだが、どうも、今日の自分はあまりついてはいないらしい。
チリン──
「?」
すると、そこに、突如鈴の音が聞こえてきた。
夕方になり、側を通る車道は車の量も増え少し騒がしい。だがその音は、その騒音にかきけされることなく、スッと飛鳥の耳に入り込んできた。
(今の音……
音の出所を探して、視線を移す。すると、飛鳥の数メートル先に、高校生くらいの女の子が歩いてるのが見えた。
そして、その後方には、鈴の着いた財布のようなものが落ちていた。だが、よく響く音だったというのに、その子が、落とし物に気づくことなく
「ねぇ!」
「…………??」
飛鳥が、慌てて声をかければ、そこから少しだけタイミングをずらして女が振り向いた。
二月の冷たい風がサラリと吹き抜ければ、女の長い栗色の髪がふわりと揺れた。
アイボリーのコートに赤いマフラーをした細身の女。どこか品のある顔立ちに腰元まである長い髪をサイドで編み込みハーフアップにしているせいか、その控えめな風貌は、どこかのお嬢様のような、そんな清楚で優しげな雰囲気をまとっていた。
「…………?」
だが、その後、数秒見つめあった後、なぜか女は、軽く小首を傾げつつ、また前を向き歩きだした。目が合ったにも関わらず、平然と去っていく女の後ろ姿。それを見て飛鳥は瞠目する。
(あれ? もしかして、無視された?)
正直、驚いた。
容姿に関しては人一倍優れている飛鳥。
はっきりいって、女性から無視された経験など一度ない!
(あ、財布……っ)
だが、落ちた財布をそのままというわけにもいかず、飛鳥は慌てて、その財布を拾い上げると、先ほどよりも少し大きめの声で呼びかけた。
「ねぇ、これ君の財布じゃないの!!」
「……っ!?」
すると、その大声にビクリと肩を弾ませた女は、今度は無視することなくふりかえると、慌てて飛鳥の元に駆け寄ってきた。
「…あ! やっぱり。ごめんなさい!」
(ん? やっぱり?)
気のせいだとでも思ったのか?
女の発言に首を傾げながらも、飛鳥は手にした財布を差し出すと、女はそれを両手で受け取り、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
目が合うと、女がふわりと笑った。
その優しげな表情をみれば、人をあからさま無視するような人には見えなかった。
(……悪い子では、なさそうなんだけどな)
あまりのギャップに飛鳥がマジマジと女を見つめる。すると、財布を鞄の中にしまったあと、今度は女の方から話しかけてきた。
「あの、大変申し訳ないのですが、”
「え?」
なぜなら、その大学は、今、飛鳥が通っている大学だったから。
「
「…ん? あ、はい。私、来月そこを受験するんです。それで、受験前に予約したホテルから大学まで、どのくらいかかるのか下調べのつもりできたんですけど、スマホの電源が切れて迷ったあげく、こんな時間になってしまって」
「……そうなんだ」
にこやかに、平静を装い相槌をうつ。
どうやら、この子は、うちの大学受験するらしい。
(じゃぁ、受かったら俺の後輩になるのかな?)
そんなことを考えつつも、もうすぐ日が暮れる時間だと思った飛鳥は、早急に道案内をせねばと、改めて女に問いかけた。
「なにか、紙ある?」
「…………」
だが、その問いかけに、女は無表情のまま沈黙すると
「…え!? あの、なにがですか?」
「は? いや、だから紙持ってない?」
「…あ、はい! 紙ですね、あります!」
(……なんだ、この子、めちゃくちゃ調子狂う)
この独特のテンポは一体なんなのだろうか、飛鳥が困惑していると
「あの、手帳でもいいでしょうか?」
「あー、なんでもいいよ」
その後、女がラベンダー色の手帳を差し出してきて、飛鳥は笑顔を崩さず、ペンと手帳を受け取ると、その手帳にスラスラと簡単な行き先を記す地図を書きはじめた。
「桜聖大は、この先を右にいって、郵便局前の──」
夕方になり、車が増えてきたからか騒音が少しだけ耳についたため、わずかに声のボリュームを上げて大学までの道のりを案内する。
だが、そんな中、ふと甘い香りがして、飛鳥は手帳に向けていた視線を隣にいる女の方に流した。
ほんの数センチほどの空間を挟んで、手帳を覗き込む女の姿。
(なんか、この子……けっこう距離が近い、ような……?)
そして、漠然と、飛鳥はそんなことを思う。
もちろん、体に触れることはないのだが、真剣に手帳を覗きこむ女の髪からは、風に混じってシャンプーの優しい香りが、ほのかに舞ってくる。
これは、明らかにパーソナルスペースを侵食してる。自分ならともかく”普通の男”なら好意があるかもと、勘違いさせてしまうような、絶妙は距離だ。
「君、ちょっと変わってるね?」
「…え? あ、そうですか? あの、ごめんなさい」
「別に、謝らなくてもいいけど?」
笑顔のまま会話をする飛鳥は、その後手帳とペンを返すと、またニコリと微笑む。
「行き方、わかった?」
「はい。ありがとうございました」
「あと、君が泊まるホテルから大学までは、ざっと20分くらいだよ。当日は、タクシーでいってもいいとは思うけど、朝はこの辺よく渋滞するから、歩けるなら歩いた方がいいかも」
「…そうなんですね。ありがとうございます。試験に遅れたら大変なので、助かります」
「もっと近いホテルもあるから、そっち予約すればよかったのに、忘れてたの?」
「…え?……あー、私、進路決めるのギリギリで少し出遅れてしまって、これでもホテルの空きがあっただけ、良かった方なんですよ?」
「そうなんだ」
ニコニコと笑いながら話す。
桜聖大はそこそこ人気もあるため、他所から受験しにくる人は、前日からホテルに泊まりこむらしい。飛鳥は、自宅から近かったため、そんな必要はなかったが
「…あの」
「ん? なに?」
すると、女がまた話かけてきて、飛鳥はまたにこりと笑いかけた。
「もしかして、少しイライラしてますか?」
「…………」
だが、その瞬間、飛鳥は笑ったまま硬直する。
あれ?
俺、今、笑ってるよね??
「あれ? どこをどう見てイラついてると思ったのかな。てか、今のでちょっとイラついたかも?」
「えぇ!? あ、あの、ごめんなさい!」
「いいよ、別に。それより、もうすぐ暗くなるから気を付けてね。あっちの道、街灯すくないから、夜になると危ないよ」
「ぁ、はい。ご親切にありがとうございました」
笑顔を貼り付けながら飛鳥がそう言うと、女はまた、ふわりと笑って、飛鳥にお礼を伝えた。
すると、案内された道の方へと歩きだした女の後ろ姿を見つめながら、飛鳥はふと先程言われた言葉を思いだす。
“少しイライラしてますか?”
一瞬、心を見透かされたのかと思ってドキリとした。鈍いのか鋭いのか、よくわからない女だった。
「…………本当、今日は散々だな」
双子に追い出され、隆臣にからかわれ、挙句の果てに、女に振り回されるとは……
飛鳥は、本日何度目かのため息をつくと、再び自宅へと歩き出したのだった。
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