第6章 死と絶望の果て

第76話 エレナとモデル


 物心つくころには、もうモデルを目指してた。


 小さい頃からだったから 、特に疑問に思うこともなくて、モデルになるのは、もはや当然のことだった。


 少し前の授業参観—――


「私の将来の夢は、モデルになることです」


 私はそう言って、みんなの前で自分が書いた作文を発表した。


 先生の前で、クラスメイトの前で

 そして、お母さんの前で……


「エレナちゃんのママ、すごくキレイだね!」


 私のお母さんは、とてもとても綺麗な人。


 新しいクラスで迎えた授業参観。そこでも、お母さんはクラス中の注目を集めてた。


 いつものこと。だって、あんなに綺麗な人、なかなかいないと思う。


 もう41歳なのに、今でも男の人に言い寄られるみたいで


(いつか新しい「お父さん」が出来たりするのかな?)


 なんて考えてたこともあったけど、お母さんは、どんなに言い寄られても 、そんなの全く見向きもしない。


 もう、結婚する気はないらしい。

 私だけいれば、いいらしい。


 お母さんは、いつも綺麗で、いつも笑ってる人。

 でも、笑っているのに


 ――笑ってない。


 だから、お母さんが喜ぶならと思って、モデルだって、ずっとずっと頑張ってきた。


 だけど……


 最近、それがすごく嫌で嫌で仕方ない。


 作文だって、頑張って書いたけど、自分の作文じゃないみたい。


 周りを見れば、みんな、未来に夢をもってた。


 アイドル

 警察官

 サッカー選手

 パティシエ

 教師

 漫画家

 デザイナー

 建築家


 世の中には

 こんなにも、たくさんの「夢」が溢れているのに


 どうして、私の夢は

 もう、決められているんだろう。









 ◇◇◇


「それでは、紺野さん。来月のスケジュールですが」


 モデル事務所の一室で、担当の坂井が前に座るエレナとミサに声をかけた。


 狭山は、その坂井の隣に座り、手にした書類に目を通しながら、その話に耳を傾けていた。


「来月は、少し忙しくなるかもしれませんが、大丈夫ですか?」


「えぇ。大丈夫です」


「エレナちゃんも、大丈夫?」


「……はぃ、大丈夫です」


 いつも通り行われる打ち合わせ。

 坂井の問いかけにミサが応えると、この後エレナも同じように返事を返した。


 だが、どこか歯切れの悪い返事をするエレナを見て、狭山は眉を顰める。


 正直、狭山からみて、エレナは少し無理をしているような気がした。


 やる気がないわけではない。だが、撮影が終わると、まるで母親の機嫌を伺うように、脅えたような目をすることが、たまにあった。


(……本当は、モデルやりたくないとか……だったりして)


 ふと、そんなことを考えて、狭山は口元をひきつらせた。


 もし、本当にやりたくないのなら、メンタルケアを担当する狭山としては、かなり厄介な事案である。


「あ。それと今度、オーディションがあるんですが、受けてみますか?」


 すると、思い出したように坂井がそう言って、ミサが手帳を開きながら反応する。


「……オーディションですか?」


「はい。有名デザイナーが審査員として参加するので、気に入られれば、今後のモデル活動にはかなり有利になるかと。まー、それなりに競争率も高いですけど」


 オーディション。

 そういえば、そんな案内が来ていた。


 そこそこ大きなファッションショーだ。芸能人やトップモデルが一堂に会すような、大きなイベント。


 もちろん、競争率は高いが、 有名デザイナーがこぞって審査員として参加するため、仮にオーディションに合格できなかったとしても、気に入られれば、そのままデザイナーの専属モデルになる子だっている。


 事務所としても、エレナのように見込みのある人材がいれば、参加を進めるのは当然だろう。


「エレナちゃんはどうしたい?受けてみる?」


「え?……ぁ……えと……っ」


「エレナ」


「っ、はい、受けます! 受けたいです!!」


 母親の声と同時に、慌てて返事をしたエレナ。 狭山は、その様子を見て、再びその表情を曇らせた。


 この親子は、どこか少し歪な感じがする。


 だが、だからといって、家庭の事情にまで首を突っ込めない。


「では、オーディションは受ける方向で……」


「はい。お願いします」


 坂井の確認にミサが答えると、どうやら話は纏まったようで、ミサは再び手帳にスケジュールを書きこみはじめた。


 そんな、なにげない所作しょさひとつでも、彼女はとても絵になる。


 ペンを滑らせる、その指先すら美しく見えるのだから、世の男ならほっとかないだろう。


 今でこそこうなのだ。きっと若い頃は、もっと引く手あまただったに違いない。


 そんなことを考えていると……


「もう、よろしいですか?」

「はい。今日はこれで」


 スケジュールを書き終えたミサが、再び坂井に問いかけると、坂井の返答を聞いて、ミサは手にしていた手帳をパタリと閉じた。


 だが、ミサが手帳を鞄にしまおうとした瞬間、その手帳の間からヒラリと一枚、薄い紙状のものが、空間を切るようにして、狭山の足元に滑り落ちてきた。


「?」


 テーブルの下に落ちたそれを、狭山は前屈みになり拾い上げる。


(……写真?)


 すると、ミサの手帳から滑り落ちてきたそれは、一枚の写真だった。




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