第75話 あかりと呼び捨て
「はぁ……」
講義が終わると、あかりは一人溜息をつきながら校内を歩いていた。
今日は、とんでもないことを知ってしまった。
なんと、先日の本屋で出くわし、家まで送り届けてくれた"あの金髪の青年"が、あかりと同じ大学に通う、神木飛鳥という先輩だということが発覚したのだ。
しかも、その神木 飛鳥。あろうことか、かなりの人気者らしかった。
あれだけの美青年。
しかも隠し撮りされるほどの人気者だ。
ならば、熱狂的なファンくらいいてもおかしくない。そんな中、もし自分が、あの日一緒に歩いていた女だとバレたら、安藤さんたちが話していたとおり、女子たちの恨みを買ってしまうかもしれない。
そうなれば、はっきりいって、命が危うい。
(刺されるって何、物騒すぎる……でも、その子が、彼女だった場合だけだよね?)
幸い、彼女ではない。
彼女だと勘違いさえされなければ、恨まれることもないだろう。
ならば、この危機を回避するためには、もう二度と彼に会わずにいたい。
(大丈夫。同じ学部っていっても、先輩だし……さすがにもう会うことは……)
そう、ここ桜聖福祉大学はそこそこ広い大学だ。
きっと、運命的なものでもない限り、まず再会することはないだろう。こちらに引っ越してきてまだ数ヶ月だ。できるなら、この大学生活、平穏無事に過ごしたい。
あかりが、そう思った時だった。
「アスカ!」
「?」
瞬間、あかりの横を一人の青年がとおり過ぎた。
赤毛の髪をした、スラリと背の高いイケメンくんだ。
その青年は、男性とも女性ともとれる中性的な名前を呼びながら、目的の人物のもとへと駆け寄っていく。
あかりは、ふとその名を聞き、今まさに考えていた
すると—―
「あ、隆ちゃん。今帰り?」
「あぁ。丁度良かった、飛鳥。お前今日、用事あるか? ないなら少し付き合え」
「え?……なに? どっかいくの?」
「うちの喫茶店。母さんが試作品、味見してほしいんだと」
「へー。美里さん、また新メニュー考えたんだ。いいよ、時間ならあるし」
赤毛の青年が話しかけると、夕日色にも近い”金色の髪をした美青年”が、にこやかに答えた。
そして、あかりはその光景を見て、絶句する。
なぜなら、そこには、あの日あかりの荷物を持ち、家まで送り届けてくれた、あの青年であり、この大学の有名人でもある、あの神木飛鳥がいたからだ!!
(嘘でしょ!? ホントにいるよ、あの人?!)
今一番会いたくなかった人物の登場に、あかりは、まるで恐ろしいものでも見るかのように顔をひきつらせた。
(ど、どうしよう……っ)
もう、会うことも無いと思っていただけに、酷く動揺する。
だが、残念なことに、ここを通らなければ校舎から出れない。もはやレベル1で、ラスボスに出くわしてしまった時のような心境だ。
だが、出くわしてしまったからには、なんとかしなくてはならず
もし、選択肢があるなら、こうだろう。
▶話しかける
▶逃げる
▶助けを呼ぶ
(よし。ばれないように逃げよう!!)
いや、選択肢なんて、あってないようなものだった。助けを呼べる相手なんていないし、話しかけでもしたら一巻の終わり。
”逃げる”以外を選択していいはずがないのだ!!
(だ、大丈夫……きっと私の事なんて、もう忘れてるよね?)
むしろ、忘れていてくれ。
そう願いながら、あかりは小さく深呼吸をすると、顔を伏せ縮こまるようにして、飛鳥と
「新メニューって、どんなの?」
「夏向けのデザートらしい」
「へー」
幸い二人は、未だに喫茶店のデザートについて話していた。これなら、きっと、こちらに気づくこともないだろう。
――そう、思ったのだが
「あれ、あかり?」
「!!?」
だが、通りすぎようとした瞬間、飛鳥があかりに気付き声をかけてきた。
しかも、あろうことか、超親し気な”呼び捨て”だ!!
(ちょ、なんで、呼び捨て!?)
勿論ここは大学構内。まわりには他の生徒もたくさんいる。そんななか、いきなり名だしで、しかも呼び捨てで「あかり」などどいわれるなんて!
「やっぱり、あかりだ。この前のカボチャ、全部食べれた?」
「……っ」
すると飛鳥は、爽やかな笑顔を浮かべながら、あかりに話しかけてきた。
しかも、嫌いなカボチャを全部食べたのか?と聞いてくる。何だこの人、嫌がらせの天才なのか?
ちなみに、おばあちゃんからもらったあのカボチャは、かろうじて食べれる天ぷらにして全部食べました。四日間くらい天ぷらづくしだったけど……
「あかり、聞こえてる?」
「!?」
すると、一向に返事を返さないあかりに、飛鳥が首を傾げながら再び問いかけてきた。
あかりが片耳難聴だと知っているからか、おもったより近い距離で見つめてくる飛鳥に、あかりは思わず後ずさる。
いや、聞こえてる。近づかなくていい。
だいたい、そんなに仲良くなった覚えはないのに、なぜ呼び捨て?
コミュ力高すぎて、びっくりした。
せめて「さん」くらいはつけてほしい!
ていうか、なぜ名字で呼ばない!?
(あ、そっか……この人、私の”名字”知らないんだった)
だが、思い返せは、お互い名乗っていなかった。
先日、送ってもらった時も、もうこれっきりと思って名前を名乗らないまま別れた。なにより、あかりが飛鳥のフルネームを知ったのも、今日たまたま。
(どうしよう。ちゃんと名乗ったほうが良いのかな?)
自分だけフルネームを知っているのは、少し不公平な気もして、あかりは軽く罪悪感を抱いた。
それに、この前は荷物を持ってもらい、とても助かった。ちゃんと名乗って、改めて、この前のお礼を言ったほうが良いかもしれない。
だが……
(あ、でも……この人、同じ大学なの、黙ってたし)
多分、あの時『またね』って言ってたの、同じ大学だったからだ。
そう理解すると、同じ大学に通っていることを隠し、自分を嘲笑っていた飛鳥に、あかりの中には、またふつふつと別の感情が芽生えてくる。
だいたい、もう関わりたくないのだ。
ならば、名乗る必要があるのか?
「あかり?」
「!?」
だが、またもや飛鳥が声をかけてきて、あかりはびくりと肩を弾ませた。
「どうしたの? なんか様子が……」
先日の朗らかな雰囲気とは全く違うあかりの姿。それを見て、体調でも悪いのかと心配した飛鳥が、不意にあかりの顔を覗き込んできた。
さっきより近い距離で見つめられ、思わず硬直する。
改めて見れは、とても綺麗な顔をしていた。これなら、ファンクラブくらい余裕でありそうだ。
どうしよう。いますぐ、逃げたい!!
ただでさえ、呼び捨てにされて、わずかながらに注目を集めているのに、こんなところを見られたら、明らかに知り合いだと思われる!
いや、まだ知り合いならいいが、下手したら、彼女だと勘違いされる!
そうなったら、刺される!!
「ッ―—」
瞬間、あかりはきつく飛鳥を睨みつけると、一切言葉を発することなく逃げるように、その場から走り去った。
「…………え?」
だが、いきなり睨まれ逃げられた飛鳥の方は、そりゃ意味が分からない。
(あれ? 聞こえてなかった……とか?)
いや、目もあったし、あれだけ近かったのだから、それはないだろう。
となれば……
(ッ……さては、アイツ……あえて無視した?)
それに気づいた飛鳥は、ひくひくと口元をひきつらせた。
なんの恨みがあるか知らないが、どうやら、完全無視を決め込んだらしい。
すると、なにやら黒い笑顔をうかべた飛鳥を見て、今度はその横に立つ隆臣が声をかける。
「……お前、スッゲー睨まれてなかったか? 誰だ、あの子」
「あー、少し前に話したよね? 迷子になってた女の話」
「あぁ、大河の言ってた優しそうで笑顔の可愛い……って、あの子か?」
「そうそう! でも、あれ間違いだった。アイツ、俺の善意をことごとく無に返そうとするんだよね。確かに優しそうで笑顔は可愛いけどさ、性格最悪だった!」
「いや、なんでそんな犬猿の仲になってんの?」
飛鳥が珍しく興味を示していた女の子……のはずが、そんな彼女と、なにやら殺伐とした雰囲気を醸し出しているのを見た隆臣は「どうしてそうなった」と、顔をしかめたのだった。
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