第346話 あかりと蒼一郎


「ごめんね、あかりちゃん。急にきて」

「いいえ……」


 その後、あかりは蒼一郎そういちろうを奥の和室に通すと、お茶とお菓子を差し出した。


 わざわざ訪ねてきてくれて、追い返す訳にはいかず、家の中には、蒼一郎と二人きり。


「二月から出張で、よそに行っててさ。昨日やっと帰って来れたんだ」


「そうだったんですね」


「あ、これお土産。稜子りょうこさん達とみんなで食べて」


「まぁ、ありがとうございます」


 お菓子の紙袋を受け取り、あかりがにこやかに笑うと、蒼一郎は、また楽しそうに話しかけてきた。


「あかりちゃん、大分大人っぽくなったね!」


「え? そうですか?」


「うん、女子大生って感じ! 大学はどう?」


「はい、少ないけどお友達もできて、楽しく過ごせてます」


 蒼一郎の年齢は、現在35歳。あかりとは、16歳ほどはなれた、まさにお兄さん的な存在だ。


 短髪をワックスでしっかり整え、左耳にはピアス。少しヤンチャそうな見た目をしたお兄さんだが、気さくで話しやすく、あかりは、子供の頃から、何かしら親しくしていた。


 ちなみに、蒼一郎は高梨たかなし家の長男で、今は一部上場企業でサラリーマンをしているらしい。


「もしかして、好きな人でも出来た?」


「え?」


「いや、元々可愛かったけど、ここ一年で更に綺麗になってるから」


「そ、そうでしょうか?」


 好きな人──そう言われて、あかりの脳裏には、一瞬、ある人が浮かんだ。


 だが、その顔を必死に振り払うと


「す、好きな人なんていません。あっちは、こっちの田舎と違って、みんな華やかなので、少しずつ馴染んでいった結果かなと」


「あはは、垢抜けちゃたわけだ。その調子なら、あっという間に彼氏も出来そうだね」


「いえ、彼氏を作るつもりは、ありませんから」


 ピシャリと言い放つと、その瞬間、場の空気が一瞬静まりかえった。


 カチコチと時計の音が響き、その後、お茶を手にした蒼一郎が、また問いかける。


「そうなんだ……まぁ、あかりちゃんに彼氏が出来たら、理久りくくん怒りそうだしね」


「そんなことはないと思いますけど……そう言う蒼一郎さんは、どうなんですか?」


「俺?」


「はい、彼女とか、ご結婚とか?」


「あはは、彼女はいないし、結婚もないよ。親には四六時中、言われてるけどね、早く結婚しろーって! この前は、無理やりお見合いまで、セッティングされて」


「お見合い?」


「まぁ、ガチなやつね。今どき珍しいだろ。田舎って感じだよなー。相手は、近所の娘さんで……まぁ、俺には勿体ないくらいのいい人ではあったけど」


「そんな素敵な方だったんですか? なら、お付き合いされてみれば……」


「しないよ。俺、


「……っ」


 瞬間、あかりは息を飲んだ。


 まだ、好きだから──その言葉に、心がキュッと締め付けられる。


「だから俺。一生、結婚はしないと思う」


「…………」


 そして、ハッキリ紡いだ、その蒼一郎の言葉には、揺るぎない意志を感じた。


 それが、本気なのだと分かるほどに──


「そう……ですか……っ」


 再度、言葉を紡げば、辺りはまた静まり返った。


 お茶の香りが広がる和室は、その後暫く、無音のままだった。

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