第219話 友達と彼女

 バタン──


 その後、自宅に戻ると、飛鳥は玄関に鍵をかけ、リビングに向かった。


 廊下を進んた先にある扉を開け、中に入れば、壁にかけられた時計で時刻を確認する。


 今は、11時38分──


 まだ昼前だというのに、今日は色々なことが起きたからか、妙に疲れた。


 飛鳥は、渇いた喉を潤すため、キッチンに向かうと、冷蔵庫から冷えたオレンジジュースを取り出した。


 コップに注ぎ、それを口に含むと、口の中には、甘酸っぱいオレンジの味が広がる。


「はぁ……」


 ほっとしたように息をついて、飛鳥は、ジーンズのポケットからスマホを取り出した。


 先程、狭山とエレナを見送ったあと、華にLIMEをした。


 見れば、その後すぐに既読がついたのか、1~2分もしないうちに「わかりました」と返事が返ってきていた。


 今どこにいるのか分からないが、きっと、すぐ帰って来るだろう。


(……ホント……なにやってんだろ)


 だが、さっきの自分の行動を思い出し、飛鳥は再び眉を顰めた。


 冷静になってみると、めちゃくちゃ恥ずかしい。


 しかも、その腕には、あかりを抱きしめた時の感触が、今もしっかりと残っていた。


 思った以上に小柄で、柔らかくて、自分とは違う髪の香りがした。


 だが、いくら嬉しかったとはいえ、いきなり、抱きしめるなんて──…


「……あ」


 すると、スマホの画面を見て、飛鳥はふと気づいた。


(……そういえば、あかりに、連絡先聞くの忘れてた)


 エレナには、連絡先を書いたメモを渡した。


 だが、後で、あかりとも連絡先を交換しておこうと思っていたのに、先程のことで動揺していたせいか、すっかり忘れてしまっていた。


 前にも、傘を返すのに困ったというのに、どうもタイミングを逃してばかりだ。


「ていうか俺、まだあかりの『名字』も知らないし……」


 不意に、自分の不甲斐なさを思い、深くため息をついた。


 もう何度と会っているのに、自分はまだ、あかりの『名字』も『連絡先』も知らない。


 ほかのことは

 色々知っているはずなのに──…


「まぁ……また、会えるよね」


 次に会った時は、ちゃんと聞こう。


 そんなことを考えながら、飛鳥は残ったジュースを一気に飲み干すと、濡れた口元を手の甲で拭う。


 だが……


「……なんで、俺」


 口元を拭った瞬間、ふと、今までにない『感情』を抱いているのに気づいて、飛鳥は眉をひそめた。


 どうして、あの時

 抱きしめたりしたんだろう。


 どうして、あかりといると

 冷静で、いられなくなるんだろう。


 どうして、こんなこと

 思うようになったんだろう。


 少し前までは、あかりと『関わりたくない』とすら思っていたはずなのに


 今は───


「また、会いたいと、思うようになるなんて……っ」









 第219話    友達と彼女








 ◇◇◇


 一方、華と蓮は、自宅の玄関の前で、二人顔を青くしたまま、立ち尽くしていた。


「あぁぁぁぁぁぁぁ!!どうしよう!!」


 なんか、とんでもないものを目撃してしまった!


 見てはいけないものを、見てしまった!


 なにこれ、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど!?


 てか、なんで、あんな所で抱きしめてんの!?


 うちの兄って、公衆の面前で堂々と女の子抱きしめちゃうようなタイプだった!?


 知らなかった!!


 長年一緒に暮らしてきて、一切知らなかった!!


 これはアレかな?


 フランス人の血が混じってるからかな?!


 それとも、あのスキンシップ激しすぎる父のせいかな?!


「あぁぁぁぁ、もう!!卵しまいたいのに、めちゃくちゃ入りづらいんだけどぉぉぉ!?」


「…………」


 玄関前で頭を抱えながら華が叫ぶと、その真横で蓮が深く眉根をよせた。


 未だかつて、こんなに家に入るのを躊躇ったことがあっただろうか?


 いや、ない。


 だが、蓮は一歩前に出ると


「うるせーよ。もうここまで来たんだから、つべこべ言わず入るぞ!」


「ウソ~ほんとに入るの!?あんなとこ見て、ますます顔合わせずらくなちゃったじゃん!?てか、彼女じゃない女の子を抱きしめるって、アレどういう状況!?意味わかんないんだけど!!」


「俺もわかんねーよ!てか、もう身体の関係あるんだし、抱きしめたくらいで、驚くなよ!!」


「そういう問題じゃないでしょ!?普通は驚くし!大体、場所だって考えるべきでしょ!?なんで、よりに寄ってマンションの前であんなことしてんの!?ただでさえ金髪で、あの顔で目立つのに、誰かにみられたら、マンション中に噂ひろまっちゃうじゃん!!」


 玄関先で口論を繰り返す双子。

 はっきり言って、頭の中はパニックだった。


 まさか、あの兄が、あんなことするなんて!


 だが、その瞬間──


「おかえり。何、騒いでんの?」

「「!!!!?」」


 ガチャっと玄関が開くと、まさに話題の中心である兄が、なに食わぬ顔で現れた。


 それを見て、双子はギョッとする。


((っ……うわ、顔見れない))


 どうやら、玄関先にいる二人に気づいたのか、わざわざ出迎えに来てくれたらしいが、双子は、飛鳥と目があった瞬間、バツが悪そうに、その顔を背けた。


 物陰から、兄とあの女の人が話しているのを、ずっと見ていた。


 遠かったから、会話の内容はわからなかったが、この兄が、あの女の人を抱きしめていたのは、紛れもない事実!


 それに……


(お兄ちゃんの、あんな顔……初めて見たかも…)


 抱きしめたことにも、驚いた。


 だけど、それ以前に、あんな風に姿を、二人は初めて見た気がした。


 家族の前では、ほとんど涙なんて見せず、弱音もはかない兄が、あの女の人の前では、あんな表情をするのかと思ったら、なんだがとても……複雑だった。


 自分達が知らない、兄の別の顔──


(やっぱり、あの人……お兄ちゃんにとっては、特別な人なのかな?)


 家族に話せないことも、あの人には話せるの?


 抱きしめてしまうほど、気を許せる仲なの?


 なら、その関係が例え"不純"なものであれ、今の兄には、必要な人なのかもしれない。


「あのさ、さっきのことだけど……」

「……ッ」


 すると、黙っている双子を見つめ、飛鳥が再び声をかけてきた。


 さっきのこと──


 それは確実に、あの「女の人」のことを話そうとしていた。


(っ……どうしよう)


 そして、その瞬間、華は戸惑う。


 正直、今は兄の口から、あの女の人の話は聞きたくない……!


「──いい!!」

「え?」


 すると、飛鳥の言葉を遮り、華が叫んだ。


「せ、説明なんてしなくていいよ!だってのは、分かったから!」


「え?」


「あ、そうだ! お昼! 飛鳥兄ぃ、お昼食べた!?」


「え? いや、まだ……だけど」


「そう、じゃぁ、私作ってあげる!飛鳥兄ぃは、ゆっくりしてていいよ!」


「……」


 慌てながらも話題を変えると、華は兄の横をすり抜け、そそくさとリビングに逃げ出した。


「あのさ、兄貴……」


「?」


 すると、玄関に残された蓮が、再び兄に問いかける。


「さっきの女の人、んだよね?」


「え?」


 その質問に、飛鳥は首を傾げる。


 エレナの存在に、気づいてない二人。


 もしかしたら、自分があかりを部屋に連れ込んだことで『兄に彼女が出来たのでは?』と双子は勘違いしていると、飛鳥は思っていた。


 だが……


「うん。彼女じゃないけど」


「…………そ、そう」


 飛鳥が素直に事実を告げると、蓮はなんとも言えない表情を浮かべた。


「え? なに、どうしたの?」


「あ、いや。ただ……彼女だったらよかったのにと思っただけ」


「え?」


 淡い期待は見事に打ち砕かれ、蓮は深くため息をつくて、華の後に続き、リビングへと歩き出した。


 そして、玄関に一人残された、飛鳥はというと……


(あれ? アイツら絶対、勘違いしてるとおもってたのに……)


 一瞬、疑問を抱く。だが……


(でも『友達』だって分かってるなら……まぁ、いいか)


 まさか双子が、そこから更に進んだ『斜め上な誤解』をしているとは全く思っていない飛鳥。


 その誤解は結局解消されないまま、飛鳥の中で、あっさり完結されてしまったのだった。


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