第104話 鏡と成長


 カツン……


 買い物を終えて、自宅マンションに戻ってきた飛鳥は、エレベーターに乗ると、7階のボタンを押した。


 腕を組み、壁に寄りかかれば、そのまま7階につくのをジッと待つ。


 ふと視線を上げれば、エレベーター内の鏡に自分の姿が映っているのが目に入った。


 鏡の中には、金色の髪に、きめ細やかな肌…すれ違えば誰もが振り返るような美青年が立っている。


 女性にも見違えるほどの端正な顔立ちと、青く透き通るような美しい瞳。さらりと長い髪は、腰元まで伸びて、その姿は一切の無駄なく、美しいものだった。


「髪……伸びたな」


 いつ、切ろうか。


 飛鳥は、自分の髪を見てふとそんなことを考える。誰もが絶賛する、自分のこの容姿は、全て「あの人」から授かったものだ。


 鮮やかな金色の髪も、人形のように端正な顔立ちも、白くきめ細やかな肌も、長い睫毛も、青い瞳も、スラリと長い四肢も


 その全てが「あの人」と同じ作りでできている。


 性別は違うのに、まるで生き写しのような姿。


 克服しようと髪を伸ばし始めて、もう何年になるのか?


 どんなに顔立ちが似ていようと

 どんなに瞳の色が同じだろうと


 もう、自分の容姿を見て「あの人」を重ねることはなくなった。


 鏡を見るたび脅えることも、もうない。


 あの頃を思い出しわ悪夢にうなされることも


 もう、ない。


 だけど、未だに、鏡を見れば、鏡の中の自分が

「あの人」の声で語り掛けてくる。



『飛鳥の……その綺麗な顔が大好きよ』





「……顔……ね」


 鏡の中の自分を睨みつけ、飛鳥は呆れたように苦笑する。



 思い出したくないのに


 忘れたいはずなのに


 似ているからなのか


 忘れることができない。




 このまま、一生


 思い出し続けるのだろうか?




 自分の顔を見るたびに────






 ピンポン!



 エレベータが7階についた。

 飛鳥は、ため息とともち気持ちを切り替えると、エレベーターから下り自宅へと足を進める。


 玄関のカギを開けて中に入れば、華と蓮の声が聞こえてきて、飛鳥は首を傾げた。


 華はともかく、蓮は部活があると思っていたのだが、二人とも今日は帰宅が早いらしい。


 それに、買い出しをしてきたのも、これから自分が夕飯を作るつもりでスーパーにいってきたのだが、なぜかそこには、おいしそうな料理の香りがほのかに立ち込めていた。


「あ、飛鳥兄ぃ、おかえり~」

「お帰りー」


 リビングに入ると、華と蓮に声をかけられた。


 飛鳥が二人を見れば、蓮はリビングのカーペットの上で洗濯物をたたんでいて、華はエプロンをして、どうやら料理をしているようだった。


「……今日、早かったの?」


「うん! だって、今日から期末テストだよ! だから、授業も早く終わったの!」


「あと、部活もしばらくは、休みだって……」


「あぁ……」


 だからか……そういえば、もうすぐテストだとか言ってたな?


 飛鳥は、先日華たちから聞いていた話を思い出すと、なるほどと納得する。


 桜聖高校は、6月末~7月上旬にかけて、二週間にわたり期末テストが行われるのだが


「てか、二人とも勉強しなくていいの?」


「もう終わったの! 時間余ったし、今日は私が夕飯作ろうと思って」


「へー…体勢」


 また、気が利くことで……


 飛鳥は、少し前までの二人を思い返し、ここ最近の急成長に眉を顰めた。


 自炊も家事も、ある程度覚えてきた。

 自分の負担も大分軽くなった。


 なのに……


「兄貴、ゆっくりしてていいよ。風呂も俺が掃除して、沸かすし」


「え? あぁ……うん。ありがとう」


 そういうと、蓮はたたんだ洗濯物を手にして、飛鳥の横を横切り、リビングから出て行った。


「飛鳥兄ぃ~これ、味見してみてよ!」


 すると、今度はキッチンから、華が高らかに声をかけてきた。よほど自信があるのか、満面に笑みを浮かべていた。


「華が、一人で作ったの?」


「うん、そうだよーこの前、教えてもらったやつ!」


 飛鳥は、言われるままキッチンに入ると、買ってきた食材を冷蔵庫に収め始める。その後、鍋の前でお玉を持つ華の側までくると、何を作ったのかと、鍋の中を覗き込んだ。


 みれば、今日の夕飯は和食なのだろう。先日教えてあげた魚の煮つけが、程よくおいしそうに出来上がっていた。


「味、濃くないかな?」


「うん、上出来。美味しいよ」


 味見をしてみれば、申し分ない出来栄えだった。飛鳥は、ニコリと笑うと「よくできたね」と、妹の頑張りを褒めてあげた。


 見れば、もう一つの鍋には、お吸い物も出来上がっていた。その上、これから副菜も作るらしい。


「テストあるんだろ? 無理しなくていいよ。平日は俺が作るし、華は勉強に専念してろ」


「大丈夫だよ! それに、料理って始めてみると案外面白くてね。今は、もっと色々覚えたいなーって思ってるの!」


 横に立つ華が、飛鳥を見つめて笑顔で言葉を放つ。


「ねぇ、私も蓮も大分しっかりしてきたでしょ?」


「…………そうだね」


 少しばかり言葉をつまらせると、飛鳥は華から視線を反らし、歯切れの悪い返事を返した。


 確かに、二人ともしっかりしてきた。


 家事も、料理も、勉強も


 だけど──



「これなら私たち、


 瞬間、一瞬だけ静かになったリビングに再び華の声がこだまして


「あ、そうだった! 私帰ってくるときにポストの中見るの忘れてた! ちょっと行ってくるね」


 そういうと、華はエプロンを取り鍵を持つと、パタパタとリビングから出ていった。


「………」


 広いLDKには、飛鳥一人が残された。


 シンと静まり返ったリビングは、なぜか、いつもと違う我が家のように感じた。


 飛鳥は、キッチンで一人立ち尽くすと、小さく小さく言葉を発する。



「そっか……俺、もう……いらない……のか」



 その声は、今にも消えてしまいそうな


 そんな、弱く小さな




 声だった。



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