第101話 名字と呼び捨て

 

「神木くん! 何で教えてくれなかったんですか!!」


 ここは、隆臣の母が経営する喫茶店。


 その奥にある、パーテーションで仕切られた、いつもの席で、隆臣の隣に座っていた大河がテーブルを叩きながら声をあげた。


 だが、その向かいに座る飛鳥は、大河の言葉の意味がわからなかったようで、疑問符を浮かべながら、顔を上げる。


「え? なにが?」


「女の子ですよ! 女の子!」


「女の子?」


「橘から聞きました! 神木くん、見つけたんですね!! 前に話てた、笑顔が可愛くて、優しそうで髪が長い巨乳の女の子!!」


「…………」


 ──あー……あかりのことか。


 そう思った瞬間。飛鳥は、不機嫌そうに顔をそらした。


 そういえば、少し前に、そんな話をしたことを思い出した。つまり、大河の好みのタイプに、あかりはしっかり当てはまるのだろう。


「てか、なんか項目増えてない? 巨乳とか言ってた?」


「いいましたよ! 俺!」


「あっそう……(まー小さくはなかったかもしれないけど……)」


 飛鳥は、大河から突如飛び出したあかりの話題に、一瞬顔をしかめると、テーブルの上に置かれた可愛らしいタルトケーキに目を移す。


 美里に先日、試作品の味見を頼まれた時のデザートの一つが、今回、見事に新メニューとして商品化されたらしい。


 このケーキは、そのお礼も兼ねて、サービスで提供されたものだった。


 飛鳥は、そのタルトケーキを一口、口に運ぶと、難しそうな顔をしたまま思考を巡らせる。


 あの日、あかりと別れてから、早一ヶ月。


 あれから、あかりとは、外でも大学でもバッタリ出会うことはなく、いたって平穏な日々がつづいている。


 勿論、もう会うつもりもないし、話すつもりもない。だが、なぜか胸につっかえるものがある。


 やはり、一方的に突き放してしまったせいか、あかりには、悪いことをしてしまったと言う気持ちも……あるには、ある。


「神木くん! その子、俺に紹介してください!」


「!? ──ッゲホッ、ッゴホ!?」



 だが、飛鳥のその思考は、大河によって遮られた。予想外の言葉に、食べたばかりのケーキを喉につまらせてしまった飛鳥は、苦しそうに咳き込み始める。


「っ……なに、それ!? なんで!?」


「なんでって、もともとは、大河の好みの子なんだろ?」


 すると、むせながら返事を返す飛鳥を見て、そね向かいで傍観していた隆臣がやっと口を開いた。


「それに飛鳥、 仲良いいんだろ? その、あかりさんと」


「ん? 誰と誰が、仲良いって?」


 飛鳥が、隆臣を笑顔で睨み付ける。すると隆臣は


「え? だって、お前、この前、呼び捨てで呼んでただろ?」


「え? それがなに?」


「なにって、下の名前、呼び捨てにするって、そこそこ仲良くならないと呼ばないだろ?」


「あー違うよ。 俺、あかりの"名字"知らないんだよ」


「「!?」」


 それを聞くと、隆臣と大河はこれでもかと目を丸くする。


「はぁ!? 家知ってるんだろ!? それなのに名字知らないって、どーいう出会い方してんだ!? お前ら!?」


「マジで神木君!? 普通、最初に知るのが名字じゃないっすか!?」


「そうだ! なんで下の名前知ってて、名字知らないんだよ!! おかしいだろ、お前!」


「なんで、名字知らないだけで、そこまで言われなきゃならないの?」


 責められる所以はない──と、飛鳥は顔をしかめると、ふてくされながらも、再び目の前のケーキに視線を移す。


「悪いけど、俺もうあかりに関わりたくないんだよね。アイツ教育学部みたいだから、仲良くなりたいんなら、あとは自分で何とかして……それに、あかりは"優しくて可愛い"じゃなくて"勘に障る可愛げない女"だから、やめたほうがいいと思うよ」


「あからさまだな? この前無視されたの、まだ根に持ってるのか?」


「いや、それとはまた別件…」


「別件? まさか、本格的に喧嘩でもしたのか? お前、それはこじれる前に、仲直りしとけよ」


「なんで? だから、もう関わりたくないんだって……!」


 すると、その飛鳥のあまりにもな態度に、隆臣は首を傾げる。


 前に、飛鳥と共に、その「あかりさん」と出くわした時のことを思い出せば、そこまで、毛嫌いするほどの相手ではないような気がした。


 それに、犬猿の仲であることには違いないのかもしれないが、飛鳥がここまで女性に対して暴言を吐くのも珍しいな……と、隆臣は疑問に思う。


「なんで、そこまで毛嫌いしてるんだ? そんなに人が悪そうな人には見えなかったぞ」


「……」


 すると飛鳥が、隆臣の言葉に一瞬言葉をつまらせると、その手元をピタリととめ、小さくつぶやく。


「なんか、わからないけど……」


「?」


「アイツといると、弱音吐きそうになるんだよね……」


「……」


 すると、その後一呼吸空いたあと。


「ぶっ!?」


「おい、なんで今笑った!?」


 これは、予想外だった。


 飛鳥の言葉に、思わず噴き出した隆臣は、とっさに口元を押さえ、笑いをこらえる。


「いや、これは笑うだろ」


「なんで? どこが? なに? 隆ちゃん、殴られたいの?」


 飛鳥は、ニコリと黒い笑みを浮かべる。だが、隆臣は別にバカにして笑っているわけではなかった。


(へー、飛鳥がねぇ……)


 隆臣は飛鳥と、もう10年は友人を続けている。


 出会いも、きっかけも、最悪ではあったが、それでも互いに良い信頼関係を築けていると思う。


 だが それでも、飛鳥が隆臣に、弱味をさらすことはなかった。


 たとえそれが、家族だろうと、友人だろうと、飛鳥は自ら進んで、弱音を吐こうとはしない。


 だからこそ……


(日頃、弱音を吐けない飛鳥が、弱音吐きそうになるなら、それはとても良い傾向だと思うんだが……)


 かと言って、こんなことを言ったら、確実に殴られそうだ。


「あ……そういえば。お前、一体いつになったら、俺のこと『呼び捨て』で呼ぶんだ?」


 すると、先程の呼び捨ての話題で、ふと思い出したらしい、隆臣がコーヒーを飲みながらそう言った。


「は? なに今さら……」


「俺ももう 『ちゃん』付けされる歳じゃないしな? お前もいい加減、俺の方が強いって認めろ」


「え? なに言ってんの? 空手出来たら強いの? 都大会で優勝したからって、俺より強いとか思ってんの? 実戦経験が違うだろ。俺が今までどんだけ修羅場潜り抜けてきたと思ってんの? 何人の変態、警察送りにしてきたと思ってんの?」


「なんなら今度、サシで勝負して見るか? 受けて立つぞ?」


「ちょっと二人とも!! なんで、いきなり雲行き怪しくなってんの!?」


 何やら、物騒な話をし始めた飛鳥と隆臣とみて、ずっと話を聞いていた大河が耐え切れず声を上げれば、飛鳥が少し呆れ気味に隆臣に問いかける。


「ていうか、あんな昔のこと、まだ覚えてたんだ。もう10年は『隆ちゃん』呼びしてんのに、今さら『隆臣』って呼ぶの? もうこのまま、隆ちゃんでいいよ。ハゲ散らかった親父になっても、しおれたジジイになっても、一生、隆ちゃんのままでいろよ、お前は」


「いや、なんか今すごいの聞こえたんだけど!? 俺、ハゲ散らかすつもりも、しおれるつもりもねーんだけど!?」


「マジか橘! お前ハゲの家系!!? うちのジーちゃんもツルッツルなんだよマジ仲間じゃん!?」


「いや、うちのジーちゃんハゲてねーよ! 武市家と一緒にすんな! てか、うちハゲる家系じゃないから、余計なフラグたてんな!」


「ストレスでもハゲるじゃん」


「ストレスの元凶(飛鳥)がそれ言うのか!?」


 にっこり笑顔な飛鳥相手に、なかなか気苦労が耐えない隆臣だった。

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