第164話 本と傘
振り向いたあかりを見つめ、飛鳥は目を見開いた。
その表情は、今にも泣き出しそうなほど弱々しいもので、まるで「助けて」と叫んでいるかのような、その姿に、飛鳥はあかりの肩を掴んだまま動けなくなった。
「どうしたの? 何か……」
日頃見ない姿に、酷く動揺した。
声をかけると、あかりは飛鳥の姿を見て安心したのか、くしゃりと顔を歪めたあと、声を震わせ始めた。
「っ……かみ……き、さん……、……っ」
だが、その先の言葉が、紡がれることはなく、あかりはきつく唇を噛み締めると、また俯き、そのまま沈黙した。
「あかり……?」
何も言わないあかりを心配し、のぞき込むようにして声をかける。
だが、あかりは、その後また何事も無かったなかったように、飛鳥に微笑みかけてきた。
「ぁ、いえ、ごめんなさい。何でもありません。ただ、少し目にゴミが入っただけで……あの、今日はどうされたんですか?」
少しだけ、ぎごちなく笑っているように見えた。
だが、いつも通りに振る舞おうとするあかりに、飛鳥は少しだけ眉根を寄せつつも、触れた肩から、そっと手を離す。
「あ、その……傘を返しに」
「あ、わざわざ、すみません!」
飛鳥の要件に、あかりが申し訳なさそうに眉を下げる。
すると、その後、傘を返そうとバッグの中をあさりだした飛鳥を見て、あかりも思い出したように、また声をかけてきた。
「あ、神木さん。実は、私もずっと本をお返ししたいと思っていて、もし良ければ、家に寄って行かれませんか?」
「え? あぁ……」
そう言うあかりの、いつもと変わらない雰囲気に、少しだけ安堵する。
夕方6時半を過ぎ、ほんの少しだけ腑に落ちない気持ちを抱えたまま、飛鳥はとりあえず、あかりの家に向かうことにした。
◇◇◇
その後、あかりの家に着くと、玄関横の壁に寄りかかりながら、飛鳥はあかりが中から出てくるのを待っていた。
(あんな顔を……初めて見たかも)
先ほどの事を思いだし、飛鳥は頭を悩ませる。
いつも笑っているか、怒っているか、困っているか、そんな表情はしているが、あんなふうに、泣きそうなあかりを見たのは、初めてだった。
スマホを手にしていたから、電話でもかけていたのか?
だが、その後、ここまでの道中は、いつもと変わらなく見えた。
(流石に……考えすぎか……)
──ガチャ!
すると、そのタイミングで、玄関の扉が開くと、あかりが本を手にして、ひょっこり顔を出す。
「お待たせしました。この本、とても面白かったです。最後の方は、号泣しちゃいました」
「あー、結構切ない話だったよね」
「はい。あと、返すのが遅くなってしまって、すみません」
「いや、いいよ。俺のほうこそ、傘返すの遅くなってごめんね?」
「あ……いえ、元はと言えば私が……」
あかりは、バツが悪そうに苦笑いをうかべた。すると飛鳥は、その後ニッコリと笑って
「あーそうだよね。お前が、大学で俺のこと避けまくるからだよね。あまりにも対応が違いすぎて、一度大学の中心で、大声で、名前叫んでやろうかと思った」
「やめてください! それだけはやめてください!!」
飛鳥の言葉に、あかりは顔を青くする。
こんなモテまくりの人気者から、大声で名前を呼ばれるなんて、もはや公開処刑だ。
「なんてね、冗談だけど♪」
「冗談に聞こえないんですよ、あなたがいうと……っ」
「あはは。まー、今後も大学で話かけるつもりはないから、安心してよ。あと、これ先日の御礼ね?」
「え?」
すると、飛鳥はあかりの前に、ラッピングされた小袋を差し出してきた。
赤いチェックのリボンがあしらわれた、可愛らしい袋。
「甘い物大丈夫? 俺の知り合いが喫茶店経営してて、そこのお菓子なんだけど、美味しいよ♪」
「え? わざわざ?」
受け取ると、中にはクッキーやマドレーヌなど、可愛らしいお菓子がいくつか個包装されて入っていた。
「あ、こんなことして頂かなくても」
「そう言わず受け取ってよ。俺の気持ちの問題だから」
「そうですか……ありがとうございます! 甘い物大好きです。神木さんは甘い物、大丈夫なんですか?」
「うん。普通に食べるよ」
「そうなんですね。私もお返し何かいいのか色々考えたんですが、大学の知りあいに、神木さんの"好きな物"を聞いても、筋肉質な女の子がいいとか、レスラー系がいいとか、好きな女の子の好みしか分からなくて……」
「いや、待って!? それどこからの情報!?」
筋肉質な女の子!?
レスラー系!?
なんかワケわからない噂が一人歩きしてる!?
「え? 違うんですか? レスラー系の女の子が好きらしいって、大学で噂になってましたよ?」
「なにそれ……」
──どうしてそうなった?
飛鳥は困惑するが、まさか、自分の発言を勘違いした双子が触れ回ったせいだとは、微塵にも思っていないのである。
「あの、それでですね。私も、色々と考えては見たんですけど、神木さんの好みがよく分からなかったので、こんなものしか用意できなくて」
そう言うと、あかりは申し訳なさそうに、ラッピングした小ぶりの円柱型の缶を差し出してきた。
英文が書かれた深緑のその缶は、インテリアとしても良さそうな、アンティーク調のブリキの缶だった。
「……これは?」
「紅茶です。先日うちに来た時に、飲んだ紅茶が美味しいといってたので、よかったらと思って」
そう言われ、飛鳥はふと思いだした。
そういえば、あの人に遭遇し看病された日、あかりが入れてきてくれた紅茶が美味しくて、どこの紅茶か聞いたんだった。
「あー、あの時の……ありがとう!」
飛鳥がそういって笑うと、あかりもまた、にこやかに笑い返した。
その姿を見て、飛鳥は少しだけ安堵する。
やっぱり、さっきのあれは、考えすぎなのかもしれない。
「じゃぁ、俺そろそろ行くから、こんな時間にごめんね?」
「いえ、こちらこそ、わざわざ足を運んでくださって、ありがとうございます。それじゃ、気をつけて帰ってくださいね」
「うん、じゃぁ。」
そう行って、軽く手を振ると、玄関先で、あかりが扉を閉めるのを見届ける。
だが、扉が閉まりきる寸前、何気なしに見えたあかりの姿に、飛鳥は、目を見開いた。
それは、先程見た、どこか不安げな表情だった。
瞳を揺らし俯いた、今にも泣き出しそうな、あかりの姿……
────ガッ!?
「!?」
すると、あかりが扉を閉めようとしたその瞬間。その扉は伸びてきた手によって、閉まるのを阻まれた。
あかりが、驚き、その手の先を見つめると、飛鳥が神妙な面持ちで、そのドアを掴んでいて、閉じようとしていた扉を強引にこじ開けられる。
「……え?」
突然のことに、あかりは困惑する。
飛鳥を見上げると、その青い瞳と目が合う。
すると、そのあかりの姿を見て、飛鳥は更に確信した。
「お前……やっぱり、何かあっただろ」
「……っ」
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