第148話 死と絶望の果て⑨ ~約束~

 男の人に付けられて、緒方くんと回り道にした後、交番のお巡りさんと少しだけ話をして、帰ってきた。


 俺は、緒方くんと別れると、小走りで家まで急ぐ。


 少し遅くなった。いつもは寄り道なんてしないし、心配してるかもしれない。


 その後、しばらく走って、やっとの思いで家の辿り着くと、俺は門を開けて、玄関の前に立つ。


(……あれ?)


 だけど、いつもと違う違和感に気づいて、俺は玄関のドアにかけた手をピタリと止めた。


(華と蓮……泣いてる)


 それも、すこし異常なくらい泣き叫んでる気がした。


 なんで?

 なにか、怒られることでもしたんだろうか?


 玄関の扉を開けて、家の中にはいると、その泣き声は、更に音量を増した。


「ただいまー」


 少しだけ声を大きくして、帰宅の挨拶をし靴を脱ぐと、俺は華と蓮の元に向かった。


 いつもなら、すぐ駆け出してくるのに、今日は出てこない。


 廊下を進み、いつもみんなが集まる居間には、いなかった。俺は、ランドセルをほおり投げて、子ども部屋に急ぐ。


 ──おかしい。


 華と蓮、こんなに泣いてるに、お母さんは、何をしてるの?


「華、蓮? どうし──」


 子ども部屋について、部屋の中を覗き込んだ。だけど、その瞬間、目の前の光景にゾッとした。


 6畳の和室。その部屋の中心で、畳み掛けの洗濯物にまみれて見えたのは、酷く青ざめた顔をして、胸を掻き毟るように押さえて、息を弾ませ苦しむ──母の姿。


「お母さん!?」


 俺は目を見開くと、血相をかえて部屋の中に駆け込み、お母さんの側で大きく泣き叫んでる華と蓮の間に割りいった。


 なんで? どうして!?

 どうして、こんなに苦しそうなの!?


「お母さん! どうしたの!? ねぇ、お母さんっ」


 必死に声をかける。


 だけど、お母さんは何か言いたそうに、口をかすかに動かすだけで、声にならない。


「え? なに? ねぇ……っ」


 どうしよう。

 どうしよう……っ


 俺、どうすればいいの?


 気が動転して、何をすればいいかわからなかった。それと同時に、華と蓮の泣き声が部屋中に響いて、二人の泣き声に釣られて、目にはじわりと涙が浮かびはじめた。


「……ふぇ、ぉかぁ……さ……っ」


 だけど、耐えきれず声を上げそうになった瞬間、そばに落ちていた携帯が、俺の手が触れた。


 ハッと我にかえると、俺は慌ててそれを手に取る。


 そうだ、救急車!

 救急車呼ばなきゃ!


 今にも溢れだしそうな涙を必死に堪えて、俺は震える手で、1のボタンを押した。


「うぁぁぁん! にーにぃ!!」


「えっと……」


 だけど、いつもなら覚えてるのに、肝心の時にその番号が出てこなかった。


「うわぁぁぁん」


 華と蓮が、泣きながら俺にすがり付いてきて、俺はその間も、必至に思い出そうと思考をグルグルと巡らせる。


「11……なんだっけ……っ」


 早く……早く思い出さなきゃ!


「にーにぃぃぃ!」


 だけど、思い出そうとすればするほど、華と蓮の泣き声が酷く耳に響いた。


 耳障りな声──


 まとわりつかれると、タダでさえ震える手が更におぼつかなくなる。


 うるさい。

 うるさい。

 うるさい。


「ッ──うるさい!! 黙ってろッ!!」


 俺はぐっと奥歯を噛み締めて、すがり付く華と蓮をキッと睨みつけると、力まかせに怒鳴りつけた。


「ふぇ……っ」


 すると、その俺の声に、一瞬泣き止んだ華と蓮が、大きな目を更に丸くして、ひくひくと顔を歪めた姿が目に入った。


「「ひっ……うわぁぁぁぁ」」


「ぁ……ごめっ」


 気が動転しているとはいえ、怒鳴りつけてしまったことに酷く心が傷んだ。気がつけば、目に溜まった涙が、頬を伝い、ボロボロと溢れだしてきて……


「うっ……っ、ふ……」


 どうしていいか、分からなくなった。


 涙は止まらなくて、目の前で苦しみ続けるお母さんを見るのが、怖くて怖くて仕方なくて、握りしめた携帯の液晶に、大粒の涙がポタポタと落ちれば、その青白く反射する画面を波立たせた。


「にーにぃ……?」


 すると、泣き出した俺を見て、華と蓮が心配そうに見つめてきた。


 華と蓮も不安なのに、俺がこんなことじゃ……ダメだなのに…っ


(俺が……しっかり……しなきゃ……っ)


 自分で決めたんだ。

 ゆりさんのこと、守るって───


 俺は涙を袖で拭うと、ぐっと唇を噛み締めて、また携帯に向かい文字を打ち始めた。


 それからすぐに電話が繋がって、電話先の指示通り、話をした。


 俺が電話する間も、お母さんは悶え苦しんでいて、見るたび恐怖で押しつぶされそうになる。


「はぁ……っ、は…」


 苦しそうな声。

 きつく目を閉じて痛みに耐える姿。


 それを見て、あの日の"ゆりさん"が、視界に重なった。


 俺の腕の中で、血を流しながら、目を閉じた、ゆりさん。


 嫌だ、嫌だ。

 お母さん、死んじゃったりしないよね?


 大丈夫だよね?


 すぐ、救急車くるから



 だから、お願い。



 俺たちを、置いていかないで





 ずっと、ずっと



 一緒にいるって










 『約束』したよね……?







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る