第147話 死と絶望の果て⑧ ~選択~

 

 それは、その日の夕方、突然訪れた。


「こらー華、蓮! せっかく、畳んだのにー」

「きゃ~」


 日が落ちかけた4時すぎ、私は華と蓮と一緒に洗濯物をたたんでいた。


 最近は、不器用ながらにも華と蓮がお手伝いをしてくれるようになって、だけど、やんちゃ盛りの2人は、どちらかというと、まだイタズラの方に興味津々で、私が洗濯物をたたんでいると、時折、洗濯物をばら撒きながら、構って欲しいとじゃれてくる。


「もう、またやり直し」

「ねぇ。にーい、まだー?」

「あ、そういえば、ちょっと遅いね」


 不意に蓮が外を見つめながら、飛鳥が遅いと呟いて、私も一緒に窓の外を見つめた。いつもは4時までには帰ってくるのに、その日は、もう4時を過ぎていた。


(どうしたんだろ……もう少し待って帰らなかったら、探しに行こう)


 それち、帰ってきたら、飛鳥とまた話をしてみようと思っていた。


 もし不安があるなら、ちゃんと話を聞いてあげたい。あの子が、弱音を素直に吐けるのは


 今は、私しかいないから──



 ドクン───!!


「っ……!?」


 だけど、その瞬間、心臓が激しく脈打った。


 強い痛みが胸の奥を襲って、血液が激しく動き回る異様な感覚に、額からは嫌な汗が流れた。


「うぐ……っ、何?」


 ──痛い、痛い。

 これは、なんの痛み?


 体の中心を抉るような、突き破るような、そんな痛みが一気に押し寄せて、私は胸元をギュッときつく握りしめると、そのまま前のめりにうずくまった。


「まま?」

「どうちたの?」


 すると、うずくまる私を見て、華と蓮が私の顔を覗き込んできた。でも、痛みは益々酷くなって、私は悶え苦しみながら、畳の上に倒れ込む。


 息が出来ない。視界が霞む。朦朧とし始めた意識の中で、突然倒れ込んだ私を見て、目を丸くする華と蓮の姿が見えた。


 驚いたような表情。

 不安そうな表情。


 あぁ、まずい。

 これは、きっと──良くない……ッ


「はぁ……、く……っ」


 必死の思いで畳の上を這うと、私はテーブルの上に置いた携帯を探り落とした。


 少し遠くに落ちた携帯に、必死に手を伸ばす。だけど、その手が届く前に、また激しい痛みに襲われた。


「ぐ……はぁ、は……ッ」


 早く、救急車をよばないと──そう思うのに、痛みは、どんどん激しくなってくる。


 そして、僅かに涙が浮かんだその視界に、華と蓮の、今にも泣き出しそうな顔が見えた。


「……っ、はな……れ、ん…っ」


 どうしよう。泣いちゃう──ッ


 私を覗き込む2人に手を伸ばすと、その瞬間、自分の母親の最期を思い出した。


 苦しみ出して、心臓発作で亡くなった。私の母親のこと──


(あ……うそ……)


 もしかして、私も────?





 ◇◇◇



「神木くんは、兄弟いるの?」


 その日俺は、いつもの通学路を友達と二人で帰っていた。


 この頃は、まだ学校でも普通に接していた時期で、友達を作らないようにと、あえて無愛想にふるまうこともなく、登下校も何人かで連なって帰っていた。


「いるよ、二人。双子の妹と弟」


「兄弟いると、やっぱりたのしい?」


「うん、楽しいよ! 少し騒がしいけど」


 数人の友人と別れて、最後に残った緒方くんと二人で並んで帰る。


 だけど、道路沿いの歩道を通り過ぎ、その先にある住宅街にさしかかると、俺はその場にピタリと足を止めた。


「どうかした?」


 急に立ち止まった俺を見て、緒方くんが、不思議そうに首をかしげる。俺は、肩越しに一度だけ背後を確認すると


「うんん……何でもない」


 そう言って、また前を向き、歩き始めた。


(あの人……なんで?)


 だけど、さっきからずっと、後ろを付いてきている人がいた。30代くらいの若い男の人。


 この先の民家に住む人で、俺は最近、あの人によく声をかけられる。


 始めは家の中から


「お嬢ちゃん、可愛いねー」


 と、女の子と間違われ、声をかけられた。


 だけど、男だと伝えたあとも、特に様子は変わることはなく、ただの子供好きのおじさんなのかと思ってたけど、ここ数日は、家の外や道路にまで出て、声をかけられるようになってきた。


 段々、距離が近づくのが怖い。

 あの話し方も、あの目付きも、なんか不快だ。


(やっぱり、お母さんに、話したほうが良かったかな?)


 でも、知らない人に声をかけられてるなんて聞いたら絶対心配するし、あの人が本当に怖い人とも限らないし、俺の勘違いかもしれない。


(でも、なんで、今日は後ろから付けてくるんだろう……)


 大人の歩幅なら、難なく追い越せるはずなのに、それもない。

 それに、さっき俺が立ち止まった時、あっちも一緒に立ち止まった。


 ずっと後ろから見張られているような、嫌な感覚。


 狙いは──何?


(話しかけられるの、いつも俺だし……多分、狙われてるの、俺だよね? 後ろから近づいて、家に連れ込むつもりとか?)


 もし、あの人の家に引っ張り込まれたら、きっともう、家族のもとには帰れなくなる。


 嫌だ、嫌だ、怖い。

 絶対につかまりたくない。


 でも、俺一人なら何とか逃げられるかもしれないけど、今は緒方くんもいるし……。


 でも普通なら、子供が二人一緒にいるところは狙わないよね?


 じゃぁ、なんで?


 どうして、ついてくるの?

 なんで、追い越さないの?

 なにをしようとしてるの?


 わからない。

 わからないから、余計に怖い。


 もしかして、二人一緒に連れ込むつもりとか?

 もしそうだったら、どうしよう。


 子供が二人。

 その気になれば、不可能じゃないかもしれない。


 もし、俺のせいで


 緒方くんが危ない目にあったら──?



(……少し遠回りになるけど、交番の前を通って帰った方がいいかも?)


「神木くん、大丈夫?」


 すると、上の空な俺を見て、緒方君が肩を掴み声をかけてきた。俺はその言葉に


「あのさ緒方くん、今日はあっちの道、通って帰らない?」


「え、あっち? 別にいいよ~」


 その日俺は、友達を巻き込みたくない一心で、緒方くんに「少し回り道をして帰ろう」と進めて、いつもとは違う道を帰った。


 あの時の選択が、正しかったのか?

 間違いだったのか?


 それは、今も分からない。


 だけど──


 この日、ほんの10分たらず寄り道をしたせいで、俺は「大切な人」を失うことになってしまった。



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