第146話 死と絶望の果て⑦ ~前触れ~

 

「……ぅ、ひっく……ッ」


 夜中、聞こえた我が子の声。


 飛鳥は、時折泣きながら目覚ますことがあって、私は、そんな飛鳥を、よく抱きしめて慰めていた。


「飛鳥、大丈夫?」


 飛鳥にとって私は、血の繋がりなんて全くない母親だったけど、それでも、素直に甘えて笑顔を向けてくれる飛鳥がとても愛おしくて、私は母として、我が子として、飛鳥を心から愛してた。


「また、あの時の夢?」

「……っ」


 何度と夢に見るのは、あの頃のこと。


 暗い部屋に閉じ込められる夢。

 扉を叩く夢。


 そして、自分の母親が、私を刺し殺そうとする夢。


 飛鳥の心に残った傷は、きっと、私じゃなきゃ癒せなくて。だから──


「大丈夫よ、飛鳥。ずっと側にいてあげるからね」

「ぅん……っ」


 大丈夫、私は生きてる。

 私は、いなくなったりしない。


 この子に、あの時の恐怖を、もう二度と味合わせたくない。


 だからこそ、言い続けた。


 ずっとそばに──

 ずっと一緒に──


 それは、この子が安心して眠りにつけるように


 この子の心が、壊れてしまわないようにと


 呪文のように、ささやき続けた





 "愛の言葉"の、はずだった───












 第146話 死と絶望の果て⑦ ~前触れ~








 ***



「飛鳥、学校でなにかあったのか?」


 深夜2時──私の腕の中で眠った飛鳥をみて、侑斗さんが声をかけてきた。


 不安なことがあったあとは、飛鳥はよく夢にうなされて、泣きながら目を覚ます。


 最近、少し様子がおかしい。


 些細なことなら、いつも隠さず話してくれるのに、なぜか今回は──話してくれない。


「分からない……担任の先生にも、こっそり聞いてみたけど、特に変わったことはないみたいだし」


「そうか……」


 私の横に座った侑斗さんが、眠る飛鳥の頭を撫でて、そっと髪を梳いた。


 安心したように眠る飛鳥を、そのあと布団の上に戻すと、その隣の布団では、華と蓮が2人寄り添いながら、小さく寝息をたてていた。


「飛鳥は、昔、色々と経験しちゃてる分、人の心に凄く敏感なんだよね。だから余計に、心配をかけないようにって、全部自分で抱えこんで、自分で解決しようとしちゃう」


「……」


「甘えて、ワガママもいうけど、家族が悲しむことだけは極端に避けようとするから……きっと、隠してるとしたら、私たちが心配するような事だと思う」


「イジメとか?」


「うーん……確かに、たまに女の子みたいだって、容姿をからかわれることはあるみたいたけど、イジメられてる感じはないし。それに、イヤな事された時は、隠しず話してくれるんだよね?」


 学校での生活は、順調そうだった。


 飛鳥は、かなりの人気者で、人当たりもいいから敵を作る感じでもなく、登下校も友達と帰ってきているようだったし、特に心配するようなことは見当たらなかった。


 だけど──


「さっきも、ずっと一緒にいてって泣きながらいってきたの。私はずっと、飛鳥のそばにいてあげるつもりなのに……」


 得体の知れない漠然とした不安が、心の中に渦巻く。


 飛鳥は、何に……怯えてるの?


「なぁ、ずっと一緒になんて、そんなこと言い続けてて、大丈夫なのか?」


 すると、侑斗さんが、真面目な顔をして、私にそう問いかけてきた。


「親である俺たちは、どうしたって子供たちより先に逝くんだぞ」


「そんなの、私が一番分かってるよ。でも、こう言ってあげないと、飛鳥は……」


 壊れてしまいそう。

 何度も何度も何度も、確かめるように


『ずっと一緒にいてね』


 そう言ってくる。この子にとって、家族と離れるのは、恐怖でしかない。


 そんな子に、ずっと一緒にはいられないなんて


 ──、言えない。



「でもね、侑斗さん。きっと大丈夫だよ。今は『ずっと一緒にいたい』なんていっていても、いつか成長して、好きな人でもできれば、親のことなんてほっぽって、子供たちの方から離れていくよ。だから、私はね。この子達が離れていくまで、一緒にいてあげるつもりで言ってるの」


「離れていくまでか……子供たちが巣立ったら、きっと寂しくなるんだろうなー」


「そうね。でも……寂しいけど、成長って、きっとそういうことなんだと思う」


 成長とは、親からはなれていくこと。


 飛鳥も、最近男の子らしくなってきて、赤ちゃんだった華と蓮だって、少しずつ出来ることが増えてきた。


 ハイハイしたとき、ひとり歩きしたとき、初めて言葉を話したとき、子供たちが成長するにつれて、大きな喜びを感じた。


 早く大きくなれ──そう思うのに、成長してしまうと、何もできなかった頃が懐かしくなる。


 いつまでも、このままでいたい。

 でも、いつまでも、このままではいられない。


 いつかの日か必ず、未来の幸せを見つめて、進まなきゃいけない時がくる。


 親離れして、子離れして

 子供たちは、未来に羽ばたく。


 親の務めは、それを笑顔で見送ること。


 子供たちが、自ら離れていくその日まで



 ──傍で支えてあげること。





「あー、どうしよう。子供たちが彼氏とか彼女とか連れてきたら、俺、冷静に対応できるかな」


「ふふ、特に華は女の子だしね。いつかお嫁にいっちゃうよー」


「マジか。とりあえず、彼氏が結婚の挨拶しに来たら、一回おいかえしていい?」


「うわ、めんどくさい父親! 娘に嫌われるよー」


「あはは、それは嫌だなー。でも、そうだな。いつか子供たちが巣立っていったら、そのあとは、二人でゆっくりすればいいか?」


「うん。そうだね。おじいちゃんとおばあちゃんになっても、デートしようね……二人で」


 他愛もない夢を語り合いながらキスをする。


 この幸せが、永遠に続きますように、と──


 だけど、きっと、前触れはあったのだと思う。


 その前触れを、ないがしろにしたのは、他でもない



 ────私自身だった。







 ◇◇◇



「行ってらっしゃい、侑斗さん。安全運転でね!」


「あぁ、行ってくるよ」


 その日も、いつものように、笑顔で侑斗さんを送り出した。


 いつもの朝。いつもの日常。


 そんな、いつも通りに始まった一日の果てに、あんな結果が待ち受けてるなんて、この時はきっと、誰も想像してなかった。


「今日は会議あるから、帰りは少し遅くなる」


「わかった。じゃぁ、先にご飯食べとくね!」


「「とーと! いってらっちゃーい!」」


 華と蓮と一緒に、笑顔いっぱいで夫を送り出す。


 そんな、幸せのつまった時間。

 思い描いていた、優しい時間。


 だけど──


「……っ」


 わずかに、手の痺れを感じたのは、その時。


 でも、そこまで重大な何かになるなんて思っていなかった、私は……


(……あ~、これ、もしかして腱鞘炎かな? 最近華と蓮、重くなったからなー)


 小さい子供がいると自分のことは、つい後回しになる。


 少しの痛みや熱で、母親の役目を投げ出すわけにはいかない。


 どんな体の不調も、勝手に病名を決めつけて自己完結させる。


 風邪だの。腱鞘炎だの。食あたりだの。


 だけど、このほんの小さな前触れに、気付かなかったことに


 私は、のちのち──後悔することになる。


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