第300話 侑斗とエレナ


「…………え?」


 その少女を見て、侑斗は目をパチクリと瞬かせた。目の前には、とても可愛らしい少女がいた。


 赤みがかった金色の髪に、整った顔立ち。

 それは、自分の息子にそっくりな──


「飛鳥。お前、いつの間に子供を……」


「いや、俺の子じゃないから!」


 我が子に、そっくりな女の子。その姿を見て、顔を真っ青にして有り得ないことを口走った父に、飛鳥がつっこむ。


 ちなみに飛鳥が今20歳で、エレナは今9歳。飛鳥の子供だとしたら、ある意味、とんでもない話だ。


「あのさ、俺まだ20歳なんだけど! いくつでこさえたら、こんな大きな子供ができるんだよ!」


「いやいや、だって飛鳥、昔からめちゃくちゃモテてたし。何よりこんなにそっくりって……それより相手の子はいくつなのかな? ちょっと、そこに正座しなさい」


「いや、だから俺の子じゃないって言ってるよね? この子は、俺の!」


「妹!? そんなはずないだろ! 俺、隠し子なんていないよ!?」


「誰が、父さんの子って言ったよ!?」


「えええぇぇ! だって、俺の息子の妹=俺の子供じゃないの!? ていうか、なにこれ!? なんのドッキリ!?」


(ダメだ、完全にパニクってる……)


 どうやら目の前の視覚情報に頭が追いつかないらしい。酷く頭を抱える侑斗をみて、飛鳥が深くため息をついた。


 だが、気持ちは分からなくはない。いきなり目の前に、息子にそっくりな女の子が現れたのだから──


「エレナ、自己紹介して」

「!」


 すると、うろたえる父を見て、飛鳥は手っ取り早く理解させようとエレナに視線を向けた。


 目があった瞬間、エレナの顔には一瞬緊張が走ったが、その後エレナは、真っ直ぐに侑斗を見つめる。


「は……初めまして、紺野エレナです」


「え?」


 その名を聞いて、侑斗が目を見開く。


「……紺野……エレナ?」


 その名字も名前も、侑斗には覚えがあった。


 まだ、高校生だった頃の古い記憶がよみがえる。雨の中、見知らぬおじさんの車に乗り込もうとしていた金髪の女の子。


 よく見れば、その女の子にそっくりで──


「もしかして……ミサの子、なのか?」


 名前と顔と、飛鳥が妹だと言った言葉が繋がったらしい。侑斗が、困惑しつつもエレナを見つめると、飛鳥が再び口を開く。


「あのさ、父さん」


「?」


「父さんに一つ、頼みたいことがあるんだけど──」









 第300話 侑斗とエレナ










 ◇◇◇


「紺野さん、お昼は、どのくらい食べられましたか?」


「………」


 正午をすぎ、病院の中で、看護師の女性が声をかけた。


 かたわらから聞こえてくる女性の声。それをミサは、ただ呆然と聞いていた。


 いや、聞いているが、理解出来ていないと言った方がいいかもしれない。


 あれから一週間。


 全く食事を取ろうとしないミサの腕には点滴が繋がっていて、あれからほぼ毎日、ベッドに身を預けたまま、ミサはそこから動こうとはしなかった。


 何もしたくない。

 何も考えたくない。


 もう、生きていることに──疲れた。


「紺野さん、カーテン開けましょうか。外は、いい天気ですよ~」


 検温を終えた看護師が、窓の前に歩み寄ると、朝からずっと締め切っていたカーテンを開けた。


 シャッとレールが滑る音と共に、薄暗い室内に陽の光が差し込む。


 その眩しさに一瞬目を瞑ると、ミサはゆっくりと窓の外に視線を移した。


 病室前の大きな木からは、赤や黄色に色づい木の葉がヒラヒラと舞い落ちる姿が見えた。


 秋が深まり、もうすぐ冬が来る。

 そして、冬がくれば───


「……エレナ」


 瞬間、ボソリと呟いた。


 それは、最愛の娘の名前。

 冬が来れば、あの子の"誕生日"がやってくる。


「……エレ……ナ?」


 ミサは、外に向けていた視線を、ゆっくりと病室の中に戻した。


 整然とした個室の中をぐるりと見回す。


 いない。あの子が。エレナが……いない。


「エ……レナは……どこ?」


 ぴくりと指先が震えて、誰に向けるでもなく呟いた。すると、窓辺に立つ看護師が


「大丈夫ですよ、紺野さん。エレナちゃんは、の方が預かってくれてますから」


 そう言って笑った看護師の言葉に、閉じていた意識が、じわりじわりと舞い戻ってくる。


(……しんせき?)


 その言葉を理解するのに、幾分か、時間がかかった。


 親戚って、何?

 誰のことを言ってるの?


 両親は、フランスにいる。

 こっちに、頼れるような親戚なんて──


「ッ─────!!」


 瞬間、腕に繋がれた点滴の管を勢いよく引き抜くと、ミサは慌ててベッドから抜け出した。


 少し体力の落ちた体で、裸足のまま足をつけば、その冷たい床の感覚がひしと伝わってくる。


「エレナ……ッ」


 声を上げた瞬間、側にあった点滴の台がガシャンと激しい音を立てて倒れた。


 ベッドには、赤い血が数滴飛び散って、だけど針が抜けた腕の痛みなど、ものともせず、ミサはエレナの名を呼び続ける。


「エレナッ!!」


 いない。あの子がいない。

 エレナが───どこにもいない!!


「エレナ!! ねぇ、どこ! どこにいるの!?」


「紺野さん!」


 混乱してパニックになって、娘の名を呼びながら病室から飛び出そうとするミサを、慌てて看護師が引き止めた。


「紺野さん、落ち着いて! エレナちゃんなら、ご親戚の方が……!」


「いない! いないの親戚なんて! こっちに頼れる人なんて誰もいない!! ねぇ、エレナはどこ!? どこにいるの!! うちの子を、どこにやったの!!?」


 乱暴に看護師に掴みかかって、これでもかと声を荒らげた。


 あれから、どれくらい時間がたった?

 私は、なんでここにいるの?


 嫌だ。嫌だ。もう、失いたくない。


 あの子まで──エレナまで失いたくない……ッ


「紺野さん! とにかくベッドに」


「いや、いや、エレナ!!!」


「紺野さん!!」


「離して──!!!」


「きゃ!」


 瞬間、阻む看護師を、力いっぱい突き飛ばした。


 勢いよくつき飛ばしたせいか、その小柄な看護師は、足元をよろつかせて後ろに倒れ込む。


 その瞬間、ミサはハッと我に返った。


 あ、どうしよう。

 また、怪我をさせてしまう。


 また──


 

 ガシッ──!


 だが、そう思った瞬間、病室の扉が開いて、倒れかけた看護師の身体を、背後からが受け止めた。


 黒髪で、黒のコートを着た──男の人。


「大丈夫ですか?」


「あ……ありがとうございます!」


「いえ、こちらこそすみません。あとは、俺が何とかするので」


「あ、はい……でも、大丈夫ですか?」


「はい。点滴は、また落ち着いたら打ちに来てください」


 そう言って、男性が看護師に微笑みかけると、その後、看護師は申し訳なさそう頭を下げて、病室から出ていった。


 そして、病室の中には、ミサとその男性だけが残された。


 静まり返る部屋の中、男性が倒れた点滴台を引き起こすと、その男の顔を見て、ミサがよろよろと後ずさる。


 忘れるはずがなかった。


 その顔も──

 その声も──


「よぅ、久しぶりだな、ミサ」


「侑……斗……っ」


 真剣な表情で、こちらを見つめてくる男は、かつて、あれほどまでに愛した


 ──神木 侑斗だった。


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