第398話 強い君と弱い君


「あかりが言わないなら、俺が言うよ?」


「え?」


「俺が今、あかりのことを、どう思ってるか」


「……っ」


 ドクンの心臓が跳ねた。


 逃げ場のない状況で、逃がさないと訴えかるような真剣に瞳が、あかりを捕らえる。


 海のように深く澄んだ飛鳥の瞳が、何かを決意したように色濃く揺れていた。

 いつもは冷静なその瞳が、そのいろに反して、熱く熱を持っているのに気づいて


「あかり、俺は」

「ッ……」


 飛鳥が言いかけて、あかりは息を呑んだ。


 振りほどこうにも掴まれた腕はビクともせず、逃げる間もなく、一番聞きたくない言葉が降り注ぐ気配を感じた。


 嫌、いや、その先は──


「俺は、あかりが」

「やめてください!」


 瞬間、あかりが叫んだ。


「やめて……くだ……さい……それ以上は…言わないで……っ」


 か細い声で『聞きたくない』と泣きだしたあかりは、目に涙をためていて、飛鳥は、その姿を見て、きつく唇を噛みしめた。


「なんで……俺に諦めさせたいなら、ハッキリふればいだろ」


 苦渋の表情で、あかりを見つめれば、二人の間には、ただただ哀しい空気が流れた。


 泣かせたくないのに、また泣かせた。


 ただ、想いを伝えたいだけなのに、あかりは、それすらも許してくれない。


「なんで……っ」


 疑問は更に大きくなって、やるせない想いが、飛鳥をむしばんだ。


 あかりの気持ちが、よく分からない。


 だけど、嫌だと泣いているあかりは、まるで子供みたいだった。さっきまで、大人だと思っていたのが、嘘みたいに弱々しくて──


「………」


 その後、無言のまま、掴んでいたあかりの手を離すと、飛鳥は指先だけで、あかりの頬に触れてみる。


 羽で撫でるように、優しく涙の跡を拭きとれってやれば、その仕草に、あかりはキュッと目を閉じ、また涙を溢れさせた。


 触れることは、嫌がらない。

 こうして、そばに居ることも。


 それなのに、どうしてあかりは、俺の告白を、聞こうとはしないのだろう?


「ねぇ、何がそんなに……の?」


 優しい声は、止まらずに、あかりに降り注ぐ。


 あかりの反応を見て、ふと思い出したことがあった。


 少し前、マンションのエントランスで話した時『特別って言われて、どう思った?』そう言った俺に、あかりは『怖い』と答えた。


 誰かのになるのが


 だから、あかりは一人で生きていこうとしているのだろうか?


 恋もせず、結婚もせず、子供も持たず、たった一人で。


 そんなあかりを、俺はずっと強いと思っていた。


 一人で生きいくなんて、俺には絶対できないから、それを選べるあかりは、なんて強い人なんだろうって。


 だけど──


「なんで、あかりは、一人で生きていこうとしてるの?」


 人は、一人じゃ生きていけない。

 誰かに寄りかからなきゃ、倒れてしまう。


 本当に強い人は、自分の弱さに気づいていて、それを受け入れた上で、前を見据えてる。


 それなのに──


「何が……あかりを、そんな風にしたの?」


 止まらない涙は、静かに流れ落ちた。そして、あかりのその涙を見る度、飛鳥は胸を痛めた。


 何が、そんなに怖いのか?

 何が、あかりをそうさせるのか?


 俺が、あかりのその恐怖を、取り除いてあげることができれば、あかりも少しは寄りかかってくれるだろうか?


 あかりの過去に、なにがあったのかはわからない。


 こんなに近くにいるのに、あかりは、何も教えてくれないから。


 でも……



「俺は、あかりの力になりたい。だから、教えてよ。あかりの昔のこと──」




 ◇


 ◇


 ◇



 優しい声は、絶え間なく降り注いだ。


 見た目は女の子なのに、その声は確かに男の人だった。


 心地よい声。ずっと聞いていたいと思うくらい、好きになってしまった──神木さんの声。


 だけど、その声を聞く度に、涙が溢れた。


 これ以上、優しくしないでほしい。

 もう、何も言わないでほしい。


 でなくては、溢れてしまう。

 揺らいでしまう。


 もし、ここで全て吐き出したら、あなたは、私を受け入れてくれるのでしょうか?


 寄りかかってもいいと、優しい声をかけてくれるでしょうか?


 きっと、あなたなら、そう言うのでしょうね?


 でも──



《あかり。嘘ついてゴメン》



 あの日の記憶が、いつまでも脳裏に焼き付いて離れない。


 残像のように眼の裏に焼き付いている光景は、真っ赤に染まった水面と真っ白な雪。


 泣き叫んで

 うずくまって

 立ち止まって

 心を病んだ


 あの頃の記憶は、きっと一生なくならないし、一生なくしてはいけないもの。


 だから、私は、あなたの気持ちには答えられない。


 だって、私は、あの日



『あのさ、あかり。少し、話したいことがあるんだけど……今から、うちに来ない?』


 あの日、私は




 人を──





 人間だから。






「話したくありません!!」


「……っ」


 瞬間、一気に空気が張りつめた。


 あかりの拒絶の声が、部屋全体を包みこみ、飛鳥を見上げて、珍しく感情的になったあかりが、泣き叫びながら答えた。


「話したくありません! 力になってもらいたいなんて思ってません! 私、乗り越えたんです! 全部全部、乗り越えて、今やっと前に進めてるんです! だから、これ以上、私の決心を鈍らせないでください!!」


「……っ」


 あかりの声が、鼓膜を震わせ、直接、飛鳥の胸を突き刺した。


 それは、諦めさせるには、十分すぎる言葉だった。


 優しい彼は、こう言えば、もう深く介入してこない。そう思って、あかりは更に言葉を続けた。


「前にも、言ったはずです。私は一人が楽なんです。だから、ただのお友達で、いて……欲しかったのに……っ」


 壊したのは、どっち?

 先に好きなったのは、どちらから?


 そんなの、もう、よくわからない。


 だけど、これで確実に終わる。


 出会って、喧嘩して、笑いあって、打ち解けて、あなたとの時間に安らぎを感じた、これまでの日々。


 全部、全部、何もかも、終わりを迎える。


「どいて、ください……っ」


 組み敷かれたまま、あかりがハッキリそういえば、飛鳥はゆっくりと退き、その後、起き上がったあかりは、服の袖で涙を拭いながら、また呟いた。


「少し外で、頭を冷やしてきます。30分ほどしたら戻りますから、神木さんは、その間に、着替えておいてください」


「え?」


「さっき、着替えたいといっていましたよね。今日は、ありがとうございました。私の頼みを聞いてくれて……とても楽しかったです。いい思い出になりました。今日のことは一生忘れません。だから」


「何、言ってんの?」


 まるで、別れを告げるような空気を察して、飛鳥が強く呼びかけた。まっすぐに見つめる瞳に、気持ちが揺さぶられる。


 だけど、これでいい。

 これで──


「もう、耐えられないんです」


「……」


「その気持ちは、私には辛すぎます。だから、今日ここで、してください」


 私は、なんて酷い人間なんだろう。

 あなたの傷つけることしか、言えない。


 だけど、これでいい。

 私は、あなたには相応ふさわしくないから。


 だから、いっそ、嫌いになってください。



「今まで、ありがとうございました」



 ここまで言えば、きっとあなたなら







 ──わかってくれますよね?






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