第141話 情愛と幸福のノスタルジア⑮ ~諦め~

 

 ──ピンポーン!


 それは、ゆりが出ていって、もうすぐ二ヶ月になろうとする五月下旬のこと。


「お久しぶりでーす。侑斗さんと飛鳥くんはいますか~」


 ある日突然、ゆりが尋ねてきた。


「え? なんで……っ」


「あー、給料が出たんで、感謝の気持ちをこめて、すき焼きでもしようと思って♪」


 玄関を開けて呆然とする俺に向かって、ゆりはスーパーの袋をいくつか抱えて、前と変わらない笑顔でニコリと笑う。


 そんな、ゆりを見て俺は……


「お前、どんだけ食う気?」


「なっ! ちがうよ! これは作りおきの分! お兄さん、料理下手だし、どーせろくなもん食べてないんでしょ?」


 会えて嬉しいはずなのに、結局いつものようにしか振る舞えない。それでもゆりは、俺の言葉に少しだけむくれた顔をしたあと


「たくさん食材買ってきたから、作って冷凍させておくね」


 そういって、またふわりと笑う。


「っ……」


 わざわざ、俺たちのために料理を作りに来てくれた。それが妙に嬉しくて、胸の奥が熱くなる。


 だけど、自分の思いに気づいたあと、改めてゆりを直視するのは、どうにも気恥ずかしく、俺は、おもむろにゆりから視線をそらすと


「そ、そう……ありがとう」

「……お兄さん?」


 目を合わせようとしない俺を見て、ゆりが不思議そうに、俺の顔を覗き込んできた。


(っ……頼むから近づかないでくれ!)


 てか、不意打ちとかやめ欲しい!

 いきなり、来るとか、本当やめて欲しい!


 内心は、全く穏やかじゃない。


「お前、来るなら連絡してからにしろ。いきなりは、ちょっと……っ」


「え? ダメだった?」


「ダメっていうか、ほら……部屋、散らかってたりとか?」


「あはは、なんだそんなこと~。私は別に構わないよー。洋服が散らかってようが、エロ本落ちてようが、全く気にしないよ~」


飛鳥こどもいるのに、エロ本落ちてるわけないだろ!?」


「ゆりさん!」


 すると、玄関先の話し声に気づいたのか、飛鳥がダイニングから駆け出してきた。ゆりはそれに気づくと、大手を広げて飛鳥を抱きとめる。


「飛鳥~久しぶりー! もう相変わらず可愛い~」


「ゆりさん、どうして、今まで来てくれなかったの?」


「ごめんね。色々忙しかったんだー」


 そう言いながら、ゆりはまた、ギューっときつく飛鳥を抱きしめると、飛鳥はゆりの胸で、苦しそうにしながらも嬉しそうにはにかむ。


 不思議だ。


 ゆりがいるだけで、場の雰囲気が一気に明るくなった。沈みきった家の中が、まるで息を吹き返すように色づいて、自然と空気も心も温かくなる。


「ねぇ、お兄さん。今日泊まってもいい?」


「え? あ……あぁ、いいけど」


「やったー! 飛鳥、今日は、久しぶりに一緒にお風呂入ろ~」


「うん!」


 突然のことに、一瞬思考が止まりかけた。


(泊まるのか……今日)


 その瞬間、あの日のことを思い出して、わずかに心中がざわついた。


 少し前まで、当たり前のように一緒に過ごしていたのに、なにを動揺してるんだろう。


 大体、俺は、ゆりをどうしたいんだ?


 いや、どうしたいってなに?

 なんか、軽く犯罪臭する。


(……30のオッサンが、12も年下の女子高生に恋するとか、もうキモイって言われてもおかしくないレベルだぞ。マジで、ロリコンだったのか、俺?)


 どうしたい?

 

 ──なんて考えても、どうすることも出来ない。


 好きだと気づいても、そう簡単な話ではなくて。


 なぜなら、12歳も離れた年の差に加えて、俺は離婚したばかりのバツイチ子持ちなわけで、こんなに若くて可愛い女の子が、そんな男を、わざわざ好いてくれてるはずがない。


 もしかしたら──なんて思ってしまう自分が、おこがましい。


 今はただ、会いに来てくれたのが、ただただ嬉しくて。


 だから、たまに会えて、こうして顔を見れるなら……それだけでいい。


 そして、いつか


 ゆりに"好きな人"でもできれば





 きっと、諦めもつくはずだ。



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