第239話 愛された子と嫌われ者


「もしもし、お母さん?」


 自宅アパートにて、あかりは久しぶりに実家に電話をしていた。


 昨日、大学から戻るとポストに荷物の不在票が入っていた。


 差出人は、あかりの母親から──


 地元を離れ、こちらで一人暮らしを初めてから、母は時折こうして、あかり宛に荷物を送ってくれていた。


「うん。風邪なんてひいてないよ。そっちも元気そうでなにより」


 カーペットの上に座り込み、荷物の中を確認しながら母親の質問に答える。


 一人暮らしは慣れてきた?とか、大学はどう?とか、体調をくずしてないか?とか。


 すると、暫く雑談を繰り返したあと、どうやら実家の固定電話に着信が入ったらしく、母は少し慌てた様子で話を終えると、代わりに弟の理久りくが電話に出た。


『よぅ!』


 母から電話を受け取った理久が、明るく語りかけてくれば、あかりは久しぶりに聞いた弟の声に顔を綻ばせる。


「久しぶり。運動会楽しかった? 徒競走1番だったって、お母さんが行ってたよ」


『はぁ? 二人して、なんの話ししてたんだよ』


「だって今年は見に行ってあげられなかったし」


『別に見に来て欲しいとか、言ってねーし!』


「なによそれ。昔は『絶対見に来てね~』とか言って抱き着いてきたくせに!」


『もう言わねーし、抱き着いたりしねーよ!!』


 電話先で、顔を真っ赤にした理久が吠える。


 少し前までは、姉を見つければ、それはそれは嬉しそうに抱きついてきたものだったが、それも恥ずかしくなってきたのか、なんとも生意気盛りの弟になった。


『そういえば、姉ちゃん……冬、帰ってこないって、ホント?』


「え?」


 すると、少しの沈黙を挟んだあと、理久がまた問いかけた。


 両親には話をしたが、年末年始は実家には帰らないつもりでいた。


「うん……」


『なんで?』


「なんでって、お盆に帰った時、帰省ラッシュに巻き込まれて大変だったのよ。だから、冬はこっちでゆっくりして、また春頃帰ろうかなって」


『……』


 そう言うと、理久はまたもや黙り込んだ。


 その後しばらく沈黙が続き、同意も反論もない理久に、あかりは首を傾げる。


「理久?」


『……ねーの?』


「え?」


ねーの?』


 手にしたスマホから、少しくぐもった声が聞こえた。


『クリスマスも正月も”一人”なんだぞ? 姉ちゃん、寂しくねーの?』


 それは、どこか心配するような、そんな声だった。


 こちらに引っ越してきて、半年ほど。

 一人で暮らすのも、だいぶ慣れてきた。


 だけど──


「どうかな……一人で過ごすの、初めてだし」


 自分以外、誰もいない室内を見回す。去年までは、クリスマスもお正月も家族と過ごしていた。


 だが今年は───誰もいない。


『やっぱり、姉ちゃんが一人暮らし始めたのって、父さんと母さんのため?』


「……え?」


 不意に、確信めいた声が響いた。


 きっと理久は、もう分かっているのだろう。姉が、実家を出たワケを──


「ねぇ……私たち、親に恵まれてると思わない?」


『え?』


「お父さんもお母さんも、私達のこと本当に大事にしてくれてるし、私と理久の幸せを、無条件に願ってくれてる」


 親から愛情を与えられるのが、愛されるのが『当たり前』だった。


 何があっても味方でいてくれると、信じて疑わず、温かい場所で、愛される場所で、ずっと、あの『ぬるま湯』につかり続けてきた自分には


 親に怯えたり、親の機嫌を伺ったりする、エレナちゃんや神木さんの気持ちは、分からない。


 でも──


 愛された子には


 愛された子なりの悩みもあって……



「お父さんとお母さんが、私の幸せを願ってくれてるなら、私はに幸せにならなきゃいけない」


 ハッキリとした意志を秘めたその声に、理久はまたもや黙りこむ。


(やっぱり、姉ちゃん……あの時の話、聞いてたんだ…)


 だから、家族の反対を押し切ってまで、家を出たんだ。


 両親を『安心』させるために


『一人』でも幸せだって、証明するために──




『……姉ちゃんて、強ぇーよな』


 もう、あの頃とは違うのだろう。


 冷たい冷たい雪の中で、泣き崩れていた。


 あの頃の、姉ちゃんとは───



「うん……ありがとう」


 その言葉に、あかりがふわりと微笑む。まるで嬉しいとでもいうかのように──



 ◇



 その後は、また少しだけ話をすると、二人「またね」と言って電話を切った。


 通話を終えると、静まり返った室内で、あかりは一人ぼんやりと天井を見つめた。


《……姉ちゃんて、強えーよな》


 弟の言葉が脳裏に響く。


 強くありたい、何度もそう思った。


 もう、家族に、心配をかけたくなかったから。


 でも……


「さすがに、それは買いかぶりすぎかな私はただ……一人に、だけだもの」



 誰かを好きになるのが怖い。


 誰かに愛されるのが怖い。


 だって、その先に待つのは──……っ




「あ…………そう言えば、エレナちゃん、大丈夫かな?」


 不意に思い出して、手にしたスマホの履歴をスクロールすると、その中に《紺野 エレナ》と書かれた連絡先が表示された。


 あの日「消して」と突き放されて、絶対に消さないと誓ったエレナの連絡先。


(ちゃんと神木さんと、連絡取れてるかな?)


 あれから後も、エレナからの連絡は一切なく、蚊帳の外であるあかりは、状況を把握することすらできなかった。


 だが「関わるな」と言われたのだ。


 そして、それは、紛れもない飛鳥かれからの優しさで、今、ミサさんに嫌われている自分は、この件には、絶対に関わってはいけない。


「……仕方ないよね」


 関わったところで、火に油をそそぐだけ。


 それに、今は必死になってエレナちゃんを救い出そうとしてる、彼の足をひっぱりたくない。


 そして、それをよく分かっているからこそ、こちらから、電話をかけることなんてできなかった。


「エレナちゃん……」


 あかりは、胸の前でスマホを握り締めると、まるで祈るように、そっと目を閉じた。


 "どうか、もうこれ以上、あの子が傷つくことがないように"


 ──そう、願いながら。

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