第282話 始と終のリベレーション⑦ ~友達~
次の日──
私はただ空を見つめながら、呆然としていた。
食事を用意してきた看護師が、何度と声をかけたけど、食べる気にはなれず、返事をすることすらなかった。
(なんで、私が……っ)
心の底からは、嫌な感情が次々と溢れてきて、今にも押しつぶされそうだった。
どうして私が、こんな目に合わなきゃいけないの?
ただ、それだけを考えていた。身体に傷が残るだけじゃなく、夢まで諦めないといけない。
それが、悔しくて、悲しくて、気を抜けば、また涙が溢れてきそうだった。
だけど、涙を堪えれば、背中の傷は更に痛んだ。背中には、20センチほどの大きな傷が出来ていて、まだ抜糸もしていない傷口は、とても痛々しかった。
鋭利に尖ったガラスが、深く突き刺さったらしい。
午前中やってきた父の話だと、美術室の窓ガラスが割れて、外にいた生徒が気づいて先生に知らせてくれたそうだ。
その後、先生もすぐに駆けつけてくれたから、私に怪我をさせた4人の先輩の名前も、もう分かっているらしく、今はその4人の処罰をどうするか話し合ってると言っていた。
だけど、父の後にやってきた教頭先生は
『本当に、先輩の彼氏を誘惑したり、寝とったりはしてないんだね』
来て早々、まるで警察官が尋問するみたいに、そう問いただされた。他にも
『君は綺麗だから、その気がなくても、相手に気を持たせてしまうこともあるだろう。これからは、気をつけた方がいい』
そんなことも言われた。
父の前で、そんな質問されたのが嫌だった。人の彼氏を誘惑するような女じゃないかって、疑われたのが嫌だった。
綺麗だからなに?
私は、しっかり断った。
気を持たせたつもりもないし、勝手に好意をよせられて、それすらもダメだと言われたら、私はどうすればいいの?
納得いかない事ばかりで、質問攻めにされて涙をこらえていたら、それを見ていた父が、きつく先生を諌めくれた。
午後からは、担任の先生と美術の半田先生がきた。二人は『そのまま三階の窓から落ちなくて良かった』と言っていたけど、私はそれで良かったと思えるはずもなかった。
それに、どうやら半田先生は、私を呼び出してはいないらしい。昨日の放課後は職員室にいたそうで、私の話を聞いて、ひどく驚いていた。
(香織は……なんで、あんなこと言ったの?)
一人になったあと、友人の言葉に不信感を抱いて、行き場の無い感情がぐるぐるとかけめぐった。
私に危害を加えたのは、確かにあの先輩たちだ。だけど──
──コンコン!
「!」
瞬間、扉が開く音がして視線を上げると、学校帰りなのか、制服姿の香織が入ってきた。
「……香織」
「ッ──ごめんなさい!!」
「!?」
すると香織は、私の顔を見るなり、深く深く頭を下げてきた。
「ごめん! 今日、先生にミサのこと聞いて、怪我して入院したって聞いて……あの、私……ごめん。ごめんなさい!!」
「…………」
何度と謝るその言葉に、さっきまでの不信感が確信に変わった気がした。
元はといえば、香織の言葉がきっかけだった。
香織は、知ってたの?
美術室に、先輩たちがいること──
「……なんで、あんな嘘ついたの?」
私が問いかければ、香織は酷く青ざめた顔をして
「私、高橋くんのことが、好きなの……っ」
「……」
「昨日、先輩たちにミサのこと呼んでこいって言われて、つい、魔が差したの。ミサがいなければ、高橋くんと二人で帰れるかもしれないって思って……でも、まさか先輩たちが、ここまでするなんて思わなくて!!」
「ここまでって、なに! 怪我さえしなきゃ、私が怖い思いしてもいいと思ったの!?」
思わず、声を荒らげた。
怖かった。すごく、怖かった。4人もの先輩にいきなり責めたてられて……
「高橋くんが好きなら、そう言ってくれたら良かったじゃない!」
「言えるわけないよ! それに、今までだって、ずっと我慢してた!」
「!?」
「私の好きな人、みんなミサのこと好きになるの! 小学校からの幼馴染も、中学の時の先輩も、高橋くんも! みんな!! 自分の好きな人が、目の前でミサに『好きだ』っていってる姿を見るのが、どれだけ辛いことかミサにわかる!?」
「……」
「だから、早く彼氏作ってくれたら、もう好きな人をミサに取られることもないと思ったのに、ミサは、いつまでたってもモデルのことばっかりで……ミサの隣にいると、自分がすごく惨めになるの! 昨日だって、高橋君、私のこと、まるでオマケみたいにいうし! だから、先輩に呼び出されて少し注意されたら、ミサも変わるかなって……でも、まさか、こんなことになるなんておもわなくて、ゴメン……ゴメンね」
「…………」
香織の言葉を、私はただ呆然と聞いていた。
「じゃぁ、なんで私と一緒にいたの?」とか「謝ってすむ話じゃない」とか、色々問いただしたいことは、たくさんあったけど、もう、話す気にすらなれなかった。
それは、信頼していた友人を、信じられなくなった瞬間だった。
人は、自分の欲のために、あっさり人を裏切るのだと、たとえ、友達でも腹の底では何を思っているのか、わからないのだと
そして、それは、再び学校に行ったときに、より深く実感することになった。
◆◆◆
「先輩の彼氏、寝とったんだって」
「それで、呼び出されて怪我したんでしょ?」
「うわー、自業自得じゃん」
「むしろ、彼氏取られた上に退学までさせられた、先輩の方が可哀想」
退院して、学校に行った頃には、かつて友人だった人達は、見事に手の平を返していた。
私に詰め寄った先輩たちは、素行の悪さと、他にも悪質ないじめをしていたらしく、今回の事件をきっかけに、退学処分を受けることになった。
だけど、これから進学や就職を控えた3年の先輩を4人も退学させるという、その容赦ない仕打ちに、何も知らない生徒は、逆に怪我をさせた先輩たちの方に同情の声を寄せていた。
断片的な噂は、尾ひれがついて瞬く間に膨れあがり、私が学校に復帰した時には、もうすでに”真実”とはかけ離れた噂が流れていた。
なぜなら私は、”先輩の彼氏を寝とって報復された卑しい女”と化していたから……
「よく学校、これたよね?」
「人の彼氏、寝とるなんて最低」
「性格、悪すぎるよね」
「でも、よく見ればミサって"魔性の女"って感じするよね? モデルの仕事も、案外枕営業とかしてたりしてー」
「あー、確かにヤってそう~」
「ていうかさ、今口説けば、一回くらいさせてくれるんじゃね?」
「なぁ、紺野~。人の男、寝取るくらいだったらさぁ、オレらと遊んでくれよー」
朝、教室に入れば、机の上には罵詈雑言の数々がラクガキされていた。
ビッチだとか、悪女だとか、他にも汚い言葉で罵られた。
(なに、これ……っ)
まるで、別世界にきたようだった。
仲の良かった、少し前まで笑いあっていたクラスメイトたちが、悪魔のように見えた。
そこには、全く違う『真実』が出来上がっていて、それを、あっさり鵜呑みにして、私を悪者扱いする友人たちが、恐ろしくて仕方なかった。
「お前ら、ふざけんなよ!!」
だけど、そんな私の味方をしてくれる人たちもいた。
私が学校にきたのを聞きつけたのか、隣のクラスの高橋君は、私をかばう様にクラスメイトの前に立ちふさがると
「紺野が、そんなことするわけないだろ!!」
そう言って私を守ってくれた。
それに、高橋くんのほかにも何人か、私の肩を持ってくれる人がいた。イジメは良くないと、守ろうとしてくれた人たち。
だけど、もうそんな人たちの言葉すら、信じられなくなっていて
「紺野、俺はお前のこと、信じてるからな!」
「……」
高橋君が、私の肩に触れて、優しく語りかけた。だけど、その教室には、香織もいて
「やめて……!」
私は、高橋君の手を振りはらうと
「もう、やめて! もとはと言えば、あなたが──」
思わず、高橋君のせいにしそうになって、言葉を噤んだ。
誰かのせいにしたかった。
誰かに、今の苛立ちをぶつけたかった。
だけど、高橋君は悪くない。
香織が、好きだったことも知らない。
この人は、ただ純粋に、私を好きでいただけで──…っ
「もう、ほっといて……ッ」
「紺野──!」
教室にいづらくなって、そのまま逃げるように走って帰った。
家に帰りついたら、学校に行ったはずの娘が泣きながら帰ってきて、それを見た父が酷く驚いていた。
自分とそっくりの父の顔を見ると、不意にホッとして、私は玄関先に座り込むと、その後、糸が切れたように声を上げて泣きじゃくった。
父や母のように、夢を叶えられなかった。
友達もいなくなった。
嫌な女だと、勝手に決めつけられて、もう、両親の"自慢の娘"ですらなくなった。
「うぅ、……あぁぁ、あぁぁぁぁ…ッ」
声を上げるたびに、まだ完治してない背中の傷がズキズキと痛んだ。
父はそんな私を何も言わずに抱きよせると、優しくそっと、頭を撫でてくれた。
その温もりに、涙はいっそう止まらなくなって、私は、まるで子供に戻ったみたいに
それから何時間も、父の腕の中で泣き叫んでいた。
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