第283話 始と終のリベレーション⑧ ~劣等感~

 それからは、あまり学校には行けなくなって、私は家に引きこもりがちになった。


 私への誤解は、父や母が、そのあと学校に掛け合ってくれたようで、一応は解けたらしいけど、今更、解けたところで、もう後の祭りだった。


「ミサ。これ、先生とクラスの子たちから」

「…………」


 部屋の中で蹲っていると、母が先生やクラスメイトからの手紙を持って来た。


 その中には「誤解して、ひどいこと言ってごめんね」とか「みんな待ってるよ」とか、学校に来ることを促す内容が書かれていた。


 だけど、もう誰も信じられなくなった私は


(本気で、そんなこと思ってないくせに……っ)


 それまでは、あまり人を疑わない性格だったのに、人の言葉を全て疑うようになっていた。


 本当は、まだ悪女だとか、そんな風に思ってるんじゃないかとか、先生に言われて仕方なしに書いてるんじゃないかとか。


 もう、あの空間(教室)に行くのが怖くて怖くて仕方なくて、学校に行けたとしても、保健室通いばかりを続けていた。


「ミサ、無理しなくていいからね」


 幸いだったのは、両親が理解ある人たちだったこと。


 引きこもりなんて褒められたことじゃないけど、父も母も、無理やり学校に行かせようとはしなかった。


 だけど、ずっと部屋に閉じこもってばかりの娘を見て、不安を抱かないわけもなく、学校には行けなくても、外に連れ出そうとはしていた。


「ねぇ、ミサ。写真のモデルになってくれない?」


 特に母は、必死だったと思う。ある日、私の写真を撮りたいと言ってきた。


 冬の寒い時期だ。クリスマス前で、イルミネーションがとても綺麗なところを見つけたから、そこに行って、今度写真集の入れる写真を撮りたいと。


 なにもファッションモデルじゃなくても、母専属のモデルになればいいと、私にモデルの仕事をお願いしてきた。


 それが、母の優しさだとは分かっていた。


 他人の手で無理やり絶たれた夢を、どんな形でもいいから、叶えてあげようとする親心。


 だけど、私は──


「もういいよ! だいたい、お母さんが撮りたい写真は”人を幸せにできる写真”でしょ!? 私、今すっごく嫌な顔してるの!! 人を幸せにしたいなんて、もう思えないよ! むしろ、あんな奴らみんな不幸になればいいのに!!」


 自分の心が、どんどん醜くなっていくのが分かった。


 人を怨んで、世界を憎んで、愛してくれる両親にすら、当たり散らして


『人を幸せにできるモデルになりたい』


 そう思って、ひたむきに夢を追いかけていた頃の自分が、まるで嘘みたいに、私の心は醜く歪んでいた。


「もう、ほっといて……夢を叶えたお母さん達には、私の気持ちなんてわかんないよ……!」


 私の両親は、二人とも夢を叶えた人たちだった。

 だからこそ、夢を叶えられなかった自分への”劣等感”が凄まじかった。


 努力する私を、一生懸命支えてくれたのに、あんなに応援してくれたのに、私は両親の期待に応えられなかった。


 そうするうちに、少しずつ、両親との間に溝が出来ていくのを感じた。


 幸せだった頃が、懐かしい。


 叶えられると思っていた。

 努力すれば報られると思っていた。


 私も、両親と同じように、自分にまっすぐに、胸を張って生きれる人間でいたかった。


 人を幸せにできる、優しい人間でいたかった。


 それなのに、もう私は、あの二人のようにはなれないと思った。


 誰かを幸せにするには、まず、自分の心が満たされていなくてはダメで


 人を恨んでばかりいる今の自分には、もう、それすら


 ──叶えられないと思った。




 ◆◆◆



(もう……死んだ方が……マシかな)


 一人、部屋に閉じこもっていると、そんなことを考えることもあった。


 服を着替えるたびに、身体の傷が目についた。

 自分の白い肌に刻まれた、痛々しい傷跡。


 純潔のはずの身体は、散々人から悪女だとか、汚れてるとか言われたせいか、本当に、穢れてしまったようにも見えた。


「汚い……」


 この傷も、この顔も、魔性の女だと思われる自分も、なにもかもが、気持ち悪い。


 未来に希望なんてもてなかった。


 あるのは不安だけで、この先、生きていくのが苦痛だった。


 机の引き出しからカッターを取り出して、その刃を手首に押し付けた。


 だけど──


「………」


 結局、傷付けることは出来なくて、カッターから手を離すと、私はその場に座り込んた。


 ──なんで、こんなことしてるんだろう。


 そう思うと、また涙があふれてきた。


「ぅ……帰り……たい……っ」


 帰りたい。帰りたい。


 幸せだった、あの頃に戻りたい。


 何も疑わず、純粋に笑っていた頃に戻りたい。



 ただただ『幸せ』になりたい。



 そう思って、何度と泣いた。





 ◆◆◆



 だけど、それから暫くたって、高校2年になったころ、一つの転機が訪れた。


 引きこもりがちな私は、その後すっかり保健室登校が定着していて、勉強が遅れに遅れていた。


 学校に行くのは月に数回で、あくまでも、留年しない程度に通っていたのもあって、そんな私を見て、さすがに心配になったのだろう。


『将来のためにも勉強はしっかりしておけ』と、家庭教師をつけられることになった。


(将来のためって……意味わかんない)


 夢がなくなった自分に、勉強なんて必要あるの?


 モデルを目指していた時は、勉強だって頑張っていた。


 海外に行った時のために、英語とかフランス語とか、父と直接会話をしながら覚えた。


 でも、そんな熱意も、夢を失ったと同時に、どこかへ行ってしまった。


 だから、家庭教師の話を父にされた時は、あまりいい気持ちにはならなかった。


 なにより、唯一安らげるこの家に、他人が入るのが許せなかった。


 だけど──


「初めまして、神木と申します」


 そんな時『家庭教師』として、我が家にやってきたのが──侑斗だった。


 それは、私が小学5年生の時、雨の中、傘を貸してくれた、あの日から


 ──約6年ぶりの再会だった。




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