番外編 ⑧ お兄ちゃんとバレンタイン

お兄ちゃんとバレンタイン ①


「痛った……ッ」


 それは、2月13日の夜のこと。


 神木家のキッチンでは、珍しくエプロンをした華が、小さく悲鳴をあげていた。


 その声に、リビングのソファーに座り二人してテレビを見ていた飛鳥と蓮が、何事かと振り返ると、どうやら包丁で指を切ったらしい。華は自分の指先を、苦々しい表情で見つめていた。


「さっきから、なにやってんの?」


「なにって、明日バレンタインだよ。友チョコ作ってるの!」


 夕飯を食べたあと、いきなりキッチンでガサゴソと、お菓子作りをはじめた華。


 だが、"友チョコ"と言うことは、渡す相手は"女の子だけ"だろうと、飛鳥と蓮は瞬時に推察した。


 だが、果たして何人にあげるつもりなのか、横に置かれたチョコの量を目にし、微かに顔をしかめる。


「そんなに作って、誰に渡すの?」


「えーと、葉月に、美空に、えりちゃんに、花山さん、相沢さんに……」


「「…………」」


 切った指をかるく消毒し、華はリビングの棚にある救急箱の中から絆創膏をとりだすと、次々に女の子の名前をあげはじめた。


 ──バレンタイン。


 本来なら、本命チョコ一個ですむはずなのだろうが、女の世界はなにかと大変だなと、二人はその友チョコの数に驚愕する。


 すると、絆創膏を貼り終えた華は、再びキッチンにもどると、またザクザクとチョコを刻み始め、飛鳥は、ソファーから立ち上がると、その華の様子を伺い見る。


「あーもう、チョコって刻むのめんどくさいよねー」


「それ違うよ、猫の手って昔教えただろ?」


 すると、どこか危なっかしい手つきの華を見て、飛鳥はため息混じりに忠告しはじめた。


「分かってるよ! けど、けっこう力使うから、指先で押さえとかないと、なんか」


「あのさ、固いもの切る時は両手使えよ。包丁の先端を片手でおさえて、そこを軸にして包丁を動かすんだよ。それだと指切断しそう」


「ひぃぃぃ、怖いこといわないでよ!?」


「だから、危ない。目を逸らさず包丁みてろ」


「もう、うるさいな~! 飛鳥兄ぃが、変なこというからでしょ!」


「はぁ……ちょっと貸して。チョコ刻むのは俺がやるから、華は湯煎につかうお湯沸かして」


「え! やってくれるの?」


 瞬間、華の顔がパッと明るくなる。


 このままじゃ妹の指が大変なことになりそうだと思ったのか、飛鳥は深くため息をつき、華から包丁を受けとると、代わりにチョコレートを刻み始めた。


「やったー、ありがとう!」


 力仕事から解放され、華が兄の横で嬉しそうに笑う。すると、そんな二人を見て蓮は


「兄貴、チョコ作ったことあるの?」


「いや……でも大体わかるよ。刻んで溶かして、混ぜて固めればいいんだろ?」


 キッチンに立ち、チョコを刻む兄をみて、蓮は「ふーん」と相槌を打つと、再び視線をテレビに戻した。


(……兄貴って、華に甘いよな)


 うちのお兄様は、妹にとてつもなく甘い。


 ──まぁ、それも今に始まったことではないのだが。




 ***



「やった~完成~!」


 そして、一夜開けて次の日。


 蓮がリビングに顔をだすと、そこでは、いつもより早起きした華が、万歳と手を挙げながら喜びの声をあげていた。


 どうやら昨夜、固めていたチョコが無事に完成したらしい。ダイニングテーブルには可愛くラッピングされたチョコレートが20個近く置かれていた。


「素晴らしい出来だね!」


「そりゃ、ほとんど俺が作ったからね」


 華の隣で、兄が微笑む。だが、その笑みは「やっと終わった」とでも言いたそうな、少し呆れた笑みだ。


「いやいや、愛情は私の方がたっぷり入ってますから!  でも、流石にちょっと作りすぎちゃったかなー?」


 すると華はチョコを手にしながら、改めて渡す相手を考え始めた。


 そして、──


「ねぇ、飛鳥兄ぃ。コレに、渡してきてくれない?」


「…………は?」


 瞬間、よくわからないことを言われ、エプロンをし朝食の準備を始めていた飛鳥は、おもむろに眉を顰める。


 どうやら、渡す相手よりも、チョコの方が多かったのか、華が飛鳥の友人である隆臣にも渡すことを考えたらしいが……



「…………?」


「うん。どうせ会うでしょ?」


「まー……会うけど」


 確かに、今日も大学に行く前に、隆臣と待ち合わせをしている。


 確かに、会うには会うのだが……


「お願いね、お兄ちゃん!」

「……」


 すると、再び可愛らしくお願いしてきた華に、飛鳥はしぶしぶチョコを受けとり、そして、そんな兄の姿を見て、蓮は少しばかり可哀想な気持ちになったとか。

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