第307話 約束と笑顔

「神木さん」


 ふわりと、いつもの柔らかな笑みを浮かべたあかりが目に入って、飛鳥はおもわず足を止めた。


 たかだか2ヶ月会っていないだけなのに、なんだか、とても長い間、会っていないようにも感じて、久しぶりに見たその笑顔に、自然と心が吸い寄せられるようだった。


「……どうしたの? 風邪でもひいた?」


 病院なんて場所にいきなり現れたあかりに、飛鳥が心配して声をかける。


 だが、特段体調が悪そうな訳ではなく、あかりは、飛鳥の傍に駆け寄ると、明るく言葉をかえしてきた。


「いいえ、体調は万全です。さっきエレナちゃんから『今から、お母さんに会いにいく』とLIMEが入ったので、ちょっと心配になって」


 そんな所は、相変わらずだなと思った。

 エレナを心配して、わざわざ病院までくるなんて……だが、あんな場面に居合わせて、心配するなというのも無理な話で


「あかりは、クリスマスは誰と過ごす派?」


「え?」


「やっぱり……恋人?」


 軽く小首を傾げて飛鳥が問いかければ、あかりは少し困惑した表情を浮かべた。


「えっと、私は……っ」


「俺は、家族と過ごす派!」


「へ?」


「はは、おかしい?」


 軽く笑って、再びあかりを見つめると、その後飛鳥は、エレナがいる病室の方に目を向けた。


「正直、迷ったんだ。本当にエレナをあの人に会わせていいか。もうこれ以上、エレナの心を傷つけたくはなかったから」


 まだ、あの二人を会わせるのは早いような気もして、正直迷った。


 もし、あの人が変わってなかったら、エレナは、また傷ついてしまうかもしれない。


 そう思ったら、不安だったから。でも──


「今日がクリスマスじゃなかったら、多分連れてきてないと思う」


「え?」


「俺、クリスマスは、って決めてて……だから、エレナにも、一番大切な人と過ごさせてあげたいって思った」


 クリスマスを親と過ごせるのは、きっと、数えるくらいしかなくて。


 母親が生きていて、エレナが会いたいと思っているなら、その機会は、できるだけ奪いたくないと思った。


 だから、小さな小さな希望を託して、今日、ここに連れてきた。


「心配しなくても、エレナなら大丈夫だよ。あの人、少しは反省したんじゃないかな? 泣きながら、エレナに謝ってたから」


「……っ」


 そう言って、笑いかければ、あかりは安心したのか、少しだけ涙目になって、その後また微笑んだ。


 不安げな表情が一変して、柔らかく笑うあかりの姿をみて、ふと、あかりと初めて出会った日のことを思い出す。


 二月の冬の日──あの日もあかりは、アイボリーのコートと赤いマフラーをしていた。


 何となく印象に残っていたのは、きっと、その雰囲気が、どことなく"ゆりさん"に似ていたから。


 でも、あの日、あかりが財布を落とさなければ、きっと声をかけることはなかった。


 声をかけなければ、自分たちは一生交わらないまま、ただの他人として過ごしていたかもしれない。


 そう思えば、なんだか少し、不思議な感じがした。


「一緒に待つ?」


「え?」


「エレナ、まだ暫く戻ってこないだろうし」


「エレナちゃんは、今ミサさんと二人きりなんですか?」


「うん。今頃は、ケーキでも食べてるんじゃないかな?」




 ◇


 ◇


 ◇



「お母さん、ごめんね。ケーキぐちゃぐちゃになっちゃった」


 その頃、病室では、2人座ってケーキを食べる、エレナとミサの姿があった。


 落としてしまったケーキは、箱の中でぐちゃぐちゃになってしまったけど、それでも、その味は変わらずに、優しく甘い味がした。


「いいのよ。どんなに形が悪くても、エレナと一緒に食べられて、とても幸せだわ」


「ほんと?」


「えぇ……それに、このケーキとっても美味しいわ。どこのケーキなの?」


「中央通りにある喫茶店だよ。飛鳥さんのお友達が働いてるの」


「あ、飛鳥の……お友達?」


 そう言われ、ミサは手元を止め、考え込む。


「友達って……どんな子なの? まさか、悪い友達じゃないわよね!?」


(あぁ、こういう所は、まだ変わってないかも……)


 不安げに表情を歪めたミサに、エレナは複雑な顔をする。多少は改善しつつあるが、やっぱりちょっと性格的にまだアレだ。


「大丈夫だよ。隆臣さん優しい人だし、それに、隆臣さんと話してる時の飛鳥さん、すっごく楽しそうなの! お互いに信頼しあってるって感じで、友達以上の関係みたい」


「と、友達以上……の関係?」


 その言葉に、ミサは更に戸惑う。そのお友達が、いい子なのは分かった。だが、友達以上の関係とは、一体……


(隆臣って名前からして、男の子よね? でも、友達以上って……そう言えば、あの子、私に似て凄く綺麗に成長してたけど、まさか、男の子とそう言う……)


「お母さん、ケーキ落ちちゃうよ?」


「え? あ……」


 少しとまどいつつも、ミサは慌てて取り繕うと、フォークから落ちかけたケーキを、再び口にする。


 すると、それからしばらくして、またエレナが話しかけてきた。


「あのさ、お母さん……」


「なに?」


「その……ここのお店のケーキ、とってもオシャレで可愛いのもがいっぱいあってね。だから……」


「?」


「だから、その……お母さんが良くなったら、一緒に行きたいなって……っ」


 ぽつりぽつりと、遠慮がちにつぶやいたエレナに、ミサは小さく唇を噛み締めた。


 モデルを目指すことにばかり気を取られていて、二人でどこかに出かけたりなんて、あまりしたことがなかった。


 怪我をさせたくなかった。

 守りたかった。


 でも、その一方で、エレナが経験するはずだったものを、全て奪ってきた。


「エレナ……」


 ミサは申し訳なさそう眉を下げると、エレナの頭をそっと撫でる。


「えぇ……行きましょう、二人で」


 そう言って笑いかければ


「……うん」


 エレナは嬉しそうに笑って、涙をうかべた。


 ただ、ケーキを食べに行こう。


 そんな、他愛もない約束に、涙が出るほど胸がいっぱいになるのは


 きっと、今が『幸せ』だから──



「本当は、このケーキも、すごく可愛かったんだよ!」


「ふふ、そうなの?」


「うん! ほかにもネコさんとかウサギさんのケーキもあって、どれにしようか、すごく迷っちゃって……」


「そう、じゃぁ、今度は、そっちのケーキも食べに行かなきゃね?」


「うん!」


 その娘の笑顔に、ミサは、また涙が浮かべた。


 なぜなら、久しぶりに見た気がしたから。


 作り笑いではない



 娘の『本当の笑顔』を──




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