第306話 再会と夢


 コツコツと病院内を歩く。


 白い壁でおおわれた病棟の中。精神科に続く重厚な扉を開けて中を進むと、ミサの部屋の少し前で、飛鳥が急に足を止めた。


「エレナ。ここからは、お前一人でいっておいで」


「え? 飛鳥さんは、行かないの?」


「うん、俺は……行かない」


 先程買った二人分のケーキの箱を手渡しながら、飛鳥は小さく首を振ると


「二人だけで、会っておいで」


 そう言って優しく微笑んだ。だが、エレナはそんな飛鳥を見て、悲しそうに目を細める。


「飛鳥さんは、やっぱりお母さんのこと……まだ、許せない?」


「…………」


 エレナの言葉に、思わず息を詰める。


「エレナは、許して欲しいの?」


「…………うん」


 飛鳥が問いかければ、小さく小さく声が響いた。遠慮がちに……だけど、願うような、こうような、そんな、小さな声。


「……そっか」


 苦笑して、エレナの頭を撫でてやると、飛鳥はまたいつものように微笑みかけた。


「大丈夫だよ。まだ、少し心の整理が出来てないだけだから」


「……ホント?」


「うん……」


 少し、ほっとしたようなエレナに、また微笑みかけて、飛鳥はそっと背中を押す。


「じゃぁ、面会は30分だけ。俺は、病院の外で待ってるから」


「外で? 寒くない?」


「うん。それに下の外来すごく混んでたし、中で待ってた方が、風邪引きそう」


「あー、確かに」


 すると、ケーキの箱を手にしたエレナは、一度深く深呼吸をして、病室を見すえた。


 不安や恐怖が、全て消えたわけじゃない。


 会って、何を話せばいいのかも、まだ、よく分からない。


 それでも───


「じゃぁ、いってきます」


 複雑な感情が入り交じった表情で、エレナが歩き出すと、飛鳥が見守る中、スライド式の扉を開けて、エレナはその中をみつめた。


 扉を閉めずに、開け広げたままにしたのは、まだ不安だから……


 あの日、母親に首を絞められそうになった、あの恐怖が、まだ消えていないから。


 でも───


「お……母さん?」


 恐る恐る問いかければ、病室の奥に佇む母の姿が見えた。


 自分と同じストロベリーブロンドの髪と、自分とは違う青い瞳をした──お母さんの姿。


 外の陽の光が優しく照らすその病室に佇む母は、前見た時よりも、すこし痩せていたけど、それでも、いつもと変わらず、綺麗だった。


「エレナ……?」


 すると、名前を呼ばれた瞬間、スっと背筋が伸びる。体がこわばり、エレナは咄嗟に声を上げる。


「ぁ、お母さん、あの私、──ごめんな」


「エレナ!!!」


 ──刹那、エレナの身体をミサがきつく抱きしめた。


 ごめんなさい、と言おうとしたその言葉は言えず、手にしていたケーキの箱は、その反動で床におちた。


 その代わりに、エレナを抱きしめたミサは、涙ながらに、何度も何度も


「ごめん……っ、ごめんね。エレナ……っ、ごめんなさいッ」


 そう言って、謝り続けた。


「ッ……おかあ……さん」


 その言葉に、不意に涙があふれてきて、エレナはきゅっと母の服にしがみついた。


 懐かしい香りがした。


 幼い頃から、ずっとそばにいてくれた、暖かくて優しかった頃の


 お母さんの温もりが、そこにはあった。



 帰ってきたのだと、思った。


 嫌われてはいないのだ、思った。


 本音を

 思いを


 全部、伝えても



 また、こうして、抱きしめてくれた───



「お母さん、私……っ」


 振り絞って、言葉をつむいだ。


 まだ、伝えていないことがあった。



 残酷な言葉かもしれない。



 それでも───




「お母さん、私……お母さんの夢、叶えてあげられなくて……ごめんね……っ」


 大粒の涙が、頬を伝って、それは、ミサの肩にゆっくりと染み込んで、ただただ、泣きじゃくった。


 遠い昔に、母と約束をした。


 モデルになることは、母が喜んでくれるからと、頑張った『夢』だった。


 でも、もう───



「いいのよ……もう」


「……!」


「私が、間違ってたの……ごめんね、エレナ……私のために……今まで──ありがとう……っ」


「っ……」


 柔らかく笑って、そう言ったミサをみて、また涙が流れて、ミサとエレナは、二人は抱き合ったまま、声を上げて泣きわめいた。



 どこから、おかしくなったのだろう。


 どこから、すれ違っていたのだろう。



 全ての始まりは


 そこに、あったはずのものは




 ただ、母を思い、娘を思う



 互いの『愛情』だったかもしれないのに……



「お母さん……大好き……これからも、ずっと一緒にいて……っ」






 ◇


 ◇


 ◇


「…………」


 そして、そんな母と娘の声を病室の外で聞いて、もう大丈夫だと悟った飛鳥は、ゆっくりと目を閉じ、静かにその場を立ち去った。



 エレベーターに乗って一階まで下りると、外来をそのまま素通りして、病院から出た。


 季節は──冬。


 だが、外は凍てつくほどの寒さはなく、不思議と温かさを感じるような、そんな冬の日だった。


 どこかで腰かけて待とうと、飛鳥は辺りを見回し、ベンチを探した。すると、その視線の先で、ふと見慣れた女の姿が見えた。


 アイボリーのコートに赤いマフラーをして立ち尽くす


 栗色の髪の女の子──




「──あかり?」


「……!」


 呼び掛けて、目が合えば、あかりは、またいつもの柔らかな笑みをむけて


「神木さん」


 そう──飛鳥の名を呼んだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る