第364話 美男子と美魔女


 家族が忘れ物を届けに来たと聞き、急いでエントランスに向かったミサ。


 だがそこで見たものは、沢山の女子社員に囲まれた飛鳥の姿だった。


 数にして、5~6人。


 たまたま通りかかったのかはわからないが、飛鳥と、そう年の変わらない、まだ20代前半の若い女性ばかりが、ミサが、ずっと会いたいと盲愛もうあいしていた息子に群がっていた。


(な、なんで、飛鳥がここに……?)


 だが、いち早く疑問を抱いたのは、そこだった。てっきり、エレナがきたのかと思っていた。それなのに……


(飛鳥が、忘れ物を届けに来てくれたの?)


 そうなのだろうか?

 いや、そうなのかもしれない。


 でなくては、飛鳥がここにいるはずがない。


 だが、そう思いつつも、まだ理解が追いつかなかった。まるで、夢でも見ているようで。


 だって、飛鳥がいるのだ。

 ずっと、会いたかった、あの子が──…


「ねぇ、私たち、もうすぐお昼休みなの。よかったら一緒に食事にでもいかない?」


 だが、その後、女子社員の一人が、飛鳥の腕に擦り寄った。その言い寄られている姿に、ミサは少しばかり複雑な心境を抱いた。


(っ……さすがは、侑斗の息子ね。あんな所は父親そっくりだわ)


 侑斗も昔、あんな感じで、よく職場の女の子たちに囲まれていた。


 人当たりがよく爽やかだからか、妻子持ちにも関わらず、モテていた!


 だが、ミサは、分かっていない!


 飛鳥が人を魅了する要因の大半が、自分のずば抜けて美しい容姿を引き継いた結果であることに!!


「すみません。俺、荷物届けたら、すぐに帰らないといけないので……」


 そんな中、まだミサに気づかない飛鳥は、馴れ馴れしいお姉様方に、あくまでも低姿勢で返した。


 相手は、自分より目上で、なによりミサが働いている職場の社員たち。あまり無下には扱えなかった。


 ちなみに、すぐ帰らないとと言ったのは、嘘ではない。帰ったら、可愛い双子の妹弟たちに、お昼を作ってやらねばならないからだ。


「えー、残念。じゃぁさ、連絡先、交換しよう~」


「いや、それはさすがに……っ」


 だが、この機会を逃がすまいと、それでもグイグイ迫る女子社員お姉様たちに、飛鳥は困り果てた。


 お弁当を渡すという使命がなければ、適当にあしらい撒くことも出来たが、今はここを離れるわけにもいかない。


 だが、そんな困り顔の飛鳥をみて、ミサもまた、母親としての気持ちを強くしていた。


(……どうしよう。飛鳥が困ってる)


 助けなければ──そう思い、ミサはゴクリと息を呑んだ。


 体は、飛鳥に会うことを、微かに躊躇していた。

 自分は今、飛鳥に嫌われている。


 大事な我が子に、消えない傷と恐怖を植え付けて、どの面下げて会えと言うのだろう。


 だけど──…


「飛鳥!」


「……!」


 瞬間、声をあげれば、その声に、飛鳥がピクリと反応する。


 目を合わせるのは、十数年ぶりに再会した、あの夜、以来。


 心臓は、ドクドクと鼓動を早め、その後、飛鳥がゆっくりと振り向けば、青く美しい二人の瞳が、お互いの姿を映し出す。


 数ヶ月ぶりの再会。


 その瞬間、ミサは足を踏み出した。カツカツとヒールの音を響かせながら、飛鳥の元へ進む。


 嫌われていてもいい。この先、二度と「母親」と思ってくれなくてもいい。


 ただ、今は飛鳥が、ここまで会いに来てくれた。

 もう、それだけで──…



 コツ……と暫くして、ヒールの音が止まった。


 自分よりも背が高くなった飛鳥は、とても綺麗な青年に成長していた。


 あの頃の、幼い日の飛鳥は、もういない。


 目の前にいるのは、立派に成長した我が子の姿。だが、それでも、面と向き合えば、自然と涙が出そうになる。


 ミサは飛鳥の傍に立つなり、必死に涙をこらえると


「飛鳥には、もう心に決めた人がいるから、どんなに口説いても、ダメよ!」


「!?」


 と、まず女子社員たちを宥め、飛鳥を守ることに徹したのだが


 心に決めた人がいる──その発言に一番驚いたのは、飛鳥自身。


「え?」


「あ~紺野さん! やっぱりこの美男子くん、紺野さんの知り合いだったんですね! ていうか、彼女いるんですかー」


「え、えぇ!(彼女というか、彼氏だけど)」


 ミサは、飛鳥の恋人であるを思い浮かべながら、女子社員たちを宥める。


 すると、飛鳥に恋人がいると知り、納得したのか諦めたのか、女子社員たちは「飛鳥くん、また遊びに来てね~」などと明るく手を振りながら去っていった。


「「…………」」


 そして、二人だけになった飛鳥とミサは、その後暫く黙り込んだ。


 空気がピンと張りつめ、お互いにかける言葉を探す。


「あのさ……」


 すると、その沈黙を破り、先に飛鳥が口を開いた。心に決めた人がいる。あの発言には、流石の飛鳥も困惑せざるを得なかったから。


「さっきの、なに?」


「え?」


「心に決めた人がいるってやつ」


 心做しか視線を鋭くし、飛鳥が問いかければ、ミサは小さく萎縮する。


 昔とは、まるで立場が逆転したような。

 そんな二人の姿。


 今のミサは、あの頃のように、飛鳥を怒鳴りつけていたミサではなく、まるで叱られた子供のように怯えていた。


「あ、あの、それは……エレナから聞いて」

「エレナから?」


 その話に、飛鳥は一層、眉をひそめた。


(エレナのやつ、俺がのこと好きって、話したんだ)


 まさか、この人の耳にまで入るとは思ってなかった。なにより、それは避けたいとすら思っていた。


 あかりは、どことなく、ゆりに雰囲気が似ている。


 そして、この人は、父が愛したゆりさんへの嫉妬心によって、何の関係もない、あかりに牙をむけた。


 もし、自分があかりを好きだと知ったら、この人は、またあかりを傷つけるかもしれない。


 そんな懸念が、どうしてもあったから──…


 だが、まさかこの時のミサが、飛鳥が隆臣と付き合っていると勘違いしているなんて、飛鳥は想像すらせず。


「し、心配しないで……!」


「え?」


「あ、飛鳥が本気で(隆臣くんを)好きなら、私は応援するわ」


「…………」


 その言葉に、飛鳥は一驚する。


 あの頃とは違い、雰囲気の柔らかくなったミサ。しかも、応援するだなんて……


「認めて、くれるの?」


「え、えぇ……素敵な子だし、隆臣あの子となら、飛鳥も幸せになれると思うし」


「………」


 そう言われ、軽く少子抜けした。


(まさか、そこまで思ってくれるなんて……)


 正直、昔のミサは、全身に棘をまとっているような人だった。


 抱きしめられる度に、チクチクと肌を刺されているような、そんな茨の鎧を着たような人。


 そのせいか、安らいでいたはずの母の腕の中は、いつのまにか恐怖で蝕まれていた。


 だけど、そんな棘が根こそぎ落ちたかのように、自分の気持ちを受け入れようとするミサに、緊張していた心が、微かに和らいだのを感じた。


(……変わったんだな、本当に)


 優しい姿に、安心した。

 あの頃の、壊れる前の母に、やっと戻ってくれた。


 そう思えば、胸の奥で何かが込み上げてきた。


 それがなにかは、わからなかったけど、改めて気づかされたのは、この人の子供だった頃の自分が


 今もまだ、自分の中にいたということ──


「飛鳥……っ」


 するとミサは、今度は目に涙をためながら、飛鳥の名を呼んだ。

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