第216話 後悔と優しい言葉


「あかりには、話してもいいと思ったから──」


 再び視線が合わさると、あかりは目を見開いた。


 声のトーンは、いつもと変わらず柔らかいはずなのに、その瞳が、あまりに真剣で……


「ここから先は、絶対聞き逃して欲しくないから、ちゃんと聞いてて……お前、なんで今日、エレナを追いかけたの?」


「……」


「あの人から、電話があったって言ってたし、家の場所まで知られてるって、結構ヤバいとおもうんだけど……俺、この前いったよね?『他人を気にかけるのもいいけど、その前に、自分のことも考えろ』って」


「それは……」


 夏祭りの夜、飛鳥から忠告された言葉を思い出して、あかりは、まるで叱られた子供のように縮こまった。


 確かに注意された。でも……


「あの時の、エレナちゃんを見たら、どうしても追いかけなくてはと、身体が勝手に動いてしまって」


「…………」


 そのあかりの返答に、飛鳥は苦々しげに眉根を寄せた。


 そうだと思った──


 あの雨の日、倒れた自分をわさわざ家の中に招き入れて、介抱してくれたあかりなら、きっと、エレナを見捨てることも出来ないと思った。


 どうして、あかりは、こんなにも、他の誰かを優先しようとするんだろう。


 もっと、自分のことも、大事にして欲しい。


 今日、あの人が、あかりの住所まで知ってると聞いて、すごく怖くなった。


 もし、あかりに、なにかあったら──?


 そう思ったら、話すべきだと思った。


 あかりに、今の立場を分からせるためには、忘れたかった、あの過去を話すのが、一番いいと思ったから……


「お前、もう二度と、この件には関わるな」


「……!」


 あかりにとって、非情な言葉を投げかける。


 エレナを心配しているあかりに、これを言うのは、とても酷かもしれない。


「それは、できません!」


 すると、あかりは、案の定、その忠告を聞き入れず、思ったより気丈な返事を返してきた。


「……『できない』じゃなくて『やれ』って言ってるんだけど?」


「できません。だってそれって、この先エレナちゃんが助けを求めてきても『無視しろ』ってことですよね! そんなの」


「さっきの話を聞いてたら分かるだろ。あの人は、怒ると何をするか分からない。それに、エレナの気持ちも考えろ」


「……っ」


「今日、なんでエレナがお前から逃げたのか、なんで、あかりを避けてたのか……わかるだろ」


 あかりの気持ちは、痛いほどわかる。


 あんなにも、エレナを心配して、エレナの気持ちを理解しようとしていた。


 だけど


 エレナにとってのあかりは


 きっと、俺にとっての


 ゆりさんみたいな人で




 だからこそ、あかりを巻き込みたくない。




 そんな、エレナの気持ちも




 よく分かった。





「頼むから、俺の言うこと聞いて……エレナのことは、全部、俺が引き受ける。だからもう、あの人には関わるな」


「…………」


 あかりの肩を掴むと、しっかりと目を見て語りかけた。


 掴んだ肩は、思ったよりも細くて、簡単に壊れてしまいそうだと思った。


「……返事は?」


 すると、飛鳥が問いかけたあと、あかりは、長い沈黙を経て


「─────はぃ」


 と、小さく小さく、了承した。


 その言葉は、どこか納得がいっていない様にも感じた。


 それでも、今、エレナとあかりを守るには


 こうするしかなくて──…



「凄い……ですね、神木さんて……っ」


「え?」


 すると、その後、一段と弱々しい言葉が返ってきて


「……私、いつもそうなんです。肝心な時に役に立てなくて……今日だって、神木さんがいなかったら、私一人では、きっと、どうにも出来なくて……っ」


「…………」


 俯くあかりの表情は、わからなかった。


 だけど、その肩は震えていて……


「……あかり?」


「その"ゆりさん"て方、それから、どうなったんですか?」


「…………」


 不意に尋ねられた質問に、思考がとまる。


 話すか話さないか、迷った。


 だけど、一度目を閉じ、ゆっくりとあの頃を思い出すと、嘘偽りなく、あかりに話すことにした。


「……助かったよ。出血は多かったけど、一命はとりとめて。その後は、色々あって、俺の父と結婚して……俺の、母親になってくれた」


「え?」


「さっきの双子の、華と蓮は……そのゆりさんが産んだ子……でも、死んじゃった。あの子達が、まだ2歳の時に」


「どうして……」


「病気……心筋梗塞で」


「…………」


 重苦しい話に、あかりが口を噤む。


 あかりが、何を思っているのか、それはわからなかった。


 だけど──


「じゃぁ、前に話していた『大切な人』って、その『ゆりさん』のことだったんですね」


 悲しげに視線を落としたあと、あかりはまた、小さく言葉をかけてきた。


 大切な人──


 その言葉に、前にあかりと喧嘩した時のことを思い出した。


 大切な人を失いたくないと


 失うのが怖い──と


 そんな弱い心を見透かされて、一方的に避けてしまった、あの時のこと。


「そうだよ……俺にとって、ゆりさんは、本当に感謝しても、したりないくらいの人で……なにがなんでも、守りたかった人で……子供の戯れ言かと思うかもしれないけど、約束したんだ。ゆりさんに『絶対、守るから』って──」


 約束した。ゆりさんと──


 もう、あんな風に、傷つくところも、苦しむところも、見たくなかったから。


「なのに……俺、その日、いつもより帰りが遅くなって……いつもはしない回り道をして帰って……ほんの10分程度だったけど、あの時、俺がもっと早く帰っていたら……もっと早く救急車をよべていたら……母さんは、助かったかもしれなくて──…っ」


 心の底から溢れ出すように、溜たまりにたまった懺悔の言葉が、次々に、喉から溢れてきた。


 あの時、俺が──


 その後悔は、今でも、ずっと残っていた。


 俺が、早く帰っていれば

 回り道さえしなければ


 母さんは、助かったかもしれないのに



 華と蓮から


 母親を奪うことも、なかったかもしれないのに


 そう、思ったら───…




「あなたは、何も悪くない」

「……え?」


 すると、再び声が響いた。


 視線を上げれば、あかりが悲しそうにこちらを見つめていて、二人の間に静かに、秋の風が吹き抜けた。


 それは、髪を揺らし、あかりの頬をかすめて


「『あれは、仕方なかったんだ』『だから、あなたが気に病む必要は無いはないのよ』……これは昔、私を"支えてくれた人達"がかけてくれた言葉です。私を心配してかけてくれた──『優しい言葉』」


「………」


「私にもあります……ずっと、後悔していること……私も昔、間違った選択をして後悔して、酷く自分を責めて、どうしようもなかった時期があって……でも、それを、家族が必死になって支えてくれました。『あかりは、何も悪くない』って──」


「………」


「でも、ダメなんですよね……ほかの誰が許しくれても『その日の自分』を許せるのは……自分だけなんですよね?」


「………ッ」


 今にも泣き出しそうな声で、あかりは、そう言って、そんなあかりの姿に、不意に目の奥が熱くなるのを感じた。


 ずっと、一人で抱えていた「後悔」


 それは、誰かに許されて


 癒える傷ではなくて



 自分自身で



 乗り越えなくちゃいけないもので




 だけど、ただその思いに



 共感してくれる人がいたことが





 ──なんだが、すごく嬉しかった。





 あかりには



 どんな「後悔」があるんだろう。



 あかりには



 どんな「忘れたい記憶」があったんだろう。




 そう思ったら



 無性に、あかりのことが知りたくなって…




「あかりは──」



 だけど、とっさに言葉を飲みこんだのは



《あなたには、話しません……!》



 あの夜、あかりが言った言葉が


 よぎったから



 きっと、話してくれないと思った。



 あかりは、まだ




 俺に、心を許していない気がしたから──








「あの……神木さん、大丈夫ですか? なんだか、泣きそうな顔してますけど」


「……!」


 すると、酷く暗い顔をしている飛鳥をみて、あかりが、心配そうにその顔をのぞき込んできた。


「ッ……泣くわけないだろ。もしかしてお前、俺のこと泣き虫だとか思ってないよね?」


「え、と……っ」


「否定しろよ、そこは」


 さっき、エレナのことは全部引き受けると言った手前、弱々しいところは見せたくなかった。


 だが、あかりの前で、散々失態を繰り返してきたからか、説得力はあまりないようで


「言っとくけど俺、どちらかというと、あまり泣かないタイプだから! ただ、なんていうか……やっぱり話すのは、結構きつくて、今になって、気が抜けたというか……っ」


「………」


 バツが悪そうに、飛鳥が目をそらすと、あかりは、あの雨の日、彼に言った自分の発言を思い出した。


「あの……ごめんなさい。私、あの日、何も知らず『誰かに話せ』だなんて言ってしまって……確かにそれは、簡単に人に話せるような話ではありませんでした」


 すると、申し訳なさそうに、シュンと沈んだ顔をしたあかりを見て、飛鳥は目を細めた。


 確かにずっと、話したくないと思っていた。


 でも──


「謝らなくていいよ……あかりのおかげで俺も少しだけ変われた気がするから」


「え?」


「話せば楽になるって、案外、その通りなのかもしれない。あの後、弱音をはいたら、父親に励まされて、友人に怒られた。でも、2人とも、俺の欲しい言葉をかけてくれた。素直に弱音を吐くのも悪くないかなって思わせてくれたのは、あかりが、話を聞いてくれたおかげだよ。──ありがとう」


 飛鳥がそういうと、あかりも少し安心したのか、また、いつものように、柔らかく微笑んだ。


 その姿が、その笑みが


 なんだか、とても優しくて──




「あのさ、あかり──」


 すると、あかり肩を掴んでいた手に、自然と力がこもった。



 もしかしたら、あかりなら……



 あかり、だったら──



「あかりは……俺のこと、どう思う?」




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