第217話 好きと衝動
その後、兄からLIMEをもらった華と蓮は、公園を出て、自宅へむかっていた。
大通りを進み、その先の横断歩道の前で立ち止まると、蓮が信号機のボタンを押す。
すると、信号が青に変わるのを待つ間、華がやっと口を開いた。
「ねぇ、ホントに帰るの?」
「そ、そりゃ、終わったって書いてあったし……なにより、卵も早くしまいたいし」
「そ、そうなんだけど……っ」
そうなのだ。いくら常温でいいとはいえ、いつまでも卵を外気に晒しておくわけにはいかない。
卵のためを思うなら、今すぐ帰った方がいい。
のだが……
「いやいや、待って!? でも、女の子連れ込んでたんだよ!? こんな時、どんな顔して会えばいいの!?」
「どんなって……」
「見て見ぬふりしとくべき!? それとも、いつもみたいに、笑って『ただいまー』って言った方がいいの!? どうしよう……あ! いっそ葉月に聞いてみようかな! お兄ちゃんが、家に女の子連れ込んだ時の対処法!」
「それは、やめろ!」
パニック気味の華が、スマホを握りしめながら血迷ったことを言い出し、蓮が慌てて制止する。
葉月には、確かに兄がいる。
だが、そんなことを相談したら「うちの兄が女の子連れ込みました~」と報告するようなものだ。
すると、その瞬間、信号が赤から青に変わった。
「馬鹿なこと言ってないで、行くぞ。とりあえず、帰って兄貴の反応見て考える」
「えー! 見てからって。なに、その行き当たりばったりな感じ!?」
二人言い合いながら、信号を渡る。
だが、そこから暫く進んだ先、大通りから中の路地へ曲ろうとした瞬間──
「!?」
「キャッ!?」
蓮が急に立ち止まり、華はその背にぶつかった。
「ッ……ちょっと、いきなり立ち止まらないでよ」
「兄貴がいる」
「え?」
その路地の先を覗き込めば、そこから少し離れた自宅マンションの前で、兄と、さっきの女の人の後ろ姿が見えた。
なにを話しているのか?
内容は、遠すぎて分からないが、その女の人を見つめる兄の表情が、なんだかとても真剣で、二人は、その場から動けなくなった。
(……っ、どうしよう)
お兄ちゃん、あの人と
一体どんな話をしているんだろう──
第217話 『好きと衝動』
◇◇◇
「あかりは……俺のこと、どう思う?」
まるで逃げ場を塞ぐように、飛鳥はあかりの肩を掴み、真っ直ぐにそう問いかけた。
ずっと、気になっていた。
さっきの話をきいて、あかりがどう思ったのか?
あの人が『人を刺した』と聞いて
俺が、その女の『息子』だと聞いて
「俺の、母親は……人を……刺し殺そうとした人で……俺には、その人と"同じ血"が流れてる。おまけに髪の色も目の色、顔立ちまで……何もかも、そっくりで……っ」
「……」
「あかりは、あの人に似てる俺を見て、どう思う? やっぱり…………怖い?」
情けないくらい、声が震えているのがわかった。
ずっとずっと、怖かった。
自分が、あの人に似すぎていることが
そして、それを打ち明けたあとの
周りの反応が──
容姿が似ていく度に
その不安は少しずつ大きくなっていって
いつか自分も
あの人のようになってしまうかもしれない。
そう思ったら、話せなかった。
もし、話して
受け入れてくれなかったら?
『犯罪者の息子』だと思われたら?
そう思うと、怖かった。
また、大切な人達を失ってしまうかもしれない。
また『独り』に、なってしまうかもしれない。
そう思ったら
誰にも話せなかった。
意地の悪い質問なのかもしれない。
でも、あかりなら
あかりだったら……
嘘偽りなく『正直』に話してくれると思った。
『本音』で俺と
向き合ってくれる気がした。
「私は……」
すると、数秒の沈黙を挟んだあと、あかりが小さく声を発した。
どんな言葉が来ても、受け入れようと思った。
飛鳥は、あかりをみつめたまま、きつく唇を噛み締め、その先の言葉を覚悟をする。
「私は"好き"ですよ。神木さんのこと……」
「え……?」
だけど、その先の言葉に、飛鳥は目を見開いた。
いつもと変わらない、柔らかな雰囲気で笑うあかりの反応は
拍子抜けするほど
予想とは、かけ離れたもので──
「……好……き?」
「はい。正直にいうと、ミサさんのことは"怖い"です。前に電話が来た時も、話すら聞いて貰えなくて……なんだが、一方的に敵意を向けられているようにも感じて」
「……」
「でも、そのミサさんのことと、神木さんは全く関係ありません。例え親子でも、雰囲気や容姿が似ていても、私はあなたが、とても『優しい人』なのを知っていますから、今更『怖い』だなんて思ったりしませんよ。……だから、どうかこれからも、お友達として仲良くしてください」
「………っ」
その言葉に、自然と胸の奥が熱くなった。
ちゃんと、受け入れてくれた。
そう、思ったら──
「ッ……あかり」
瞬間、掴んだ肩を引き寄せると、飛鳥はあかりの身体を、きつく抱きしめた。
細い背に腕を回して、限界まで肌を寄せれば、一回り小さいあかりは、いとも簡単に飛鳥の腕の中に収まった。
「ッ、神木さ……」
「ありがとう……本当に……ありがとう…っ」
動揺するあかりの身体を、よりきつく抱きしめて、ただただ感謝の言葉を繰り返した。
腕の中にある、その温もりに、思いのほか安心していた。
嬉しかった。
突き放さず、今までと『同じ関係』を望んでくれたことが
怖がることなく
『俺自身』を見てくれたことが──
「ありがとぅ……あかり…っ」
ほのかに甘い香りのする髪に顔を埋めて、何度と囁きかける。
もし、いつか
華と蓮に、同じように打ち明けたとして
あの二人も
あかりと同じように言ってくれるだろうか?
自分たちの母親を傷つけた女の「息子」ではなく
今まで通り
ただの「お兄ちゃん」として
接してくれるだろうか──…?
出来るなら
そうであって欲しいと思った。
今の「幸せ」が
兄妹弟としての「絆」が
どうか
どうか、永遠に
壊れることがないように──と…
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