第160話 先輩とファン
五限目の講義が終わった、夕方17時50分。
赤い夕日が講義室を照らし、人がまばらになり始めたその時間帯。トントンと教科書やノートをまとめながら、あかりは深くため息をついた。
先日、飛鳥から借りた本「ランスの丘(中巻)」を読み終わり、下巻も昨日読み終わった。
だが問題は、いかにして本を返すかだった。
数日前までは、大学外でばったり会った時のために、本を持ち歩いていたのだが、何分文芸書は重いため、今は家に保管してある。
また会う約束を取り付けたいなら、やはり手紙を渡すのが一番いいとはおもうのだが……
(手紙なんて渡すところを見られたら、どうなるか……っ)
ここ2週間。彼とすれ違う機会は何度かあった。だが、彼はとにかく目立つのだ。正直、大学では、あまり接点を持ちたくない。
なぜなら──
「それでねー。神木先輩をうちのサークルに勧誘したいって部長がめちゃくちゃ頑張ってるんだけど、神木先輩、全くその気がないみたいでー」
このように、よく身近な女子の話題に上がるからだ。
(相変わらず、凄い人気……)
「サークルって、嫌がってる人、勧誘してどーすんのよ?」
「だって、もうすぐ夏休みだよー! サークルにはいってくれたら、神木先輩も夏の合宿きてくれるかもしれないし!」
「へー合宿、あるんだ?」
「そう! 海行くの! 海!」
自分の横で、神木先輩について語る安藤さんと、その友人の青木さん。あかりは、時折、相槌をうちながら、その話に加わっていた。
「それにね! 実は~うちサークルの花山ちゃんが、神木先輩のこと好きみたいで!」
「え? そうなの!?」
「そうなの~、花山ちゃんね、入学したての頃に、階段から足を踏み外しそうになったことがあったらしくて、その時に、神木先輩が階段から落ちそうになった花山ちゃんを、抱きとめてくれくれたんだって~」
「きゃー何それー、漫画みたーい!!」
青木が、頬を染め興奮気味にそう言うと、それを聞いた安藤が黄色い声を上げた。
確かにそれは、女子なら誰しも憧れる、学校一のイケメンと、ごくごく普通の女子が結ばれるラブコメ漫画に欠かせないハプニングの一つかもしれない。
「でしょ~。でも、花山ちゃん、私みたいに"普通の子"じゃ、釣り合わないとかいっててさー。だから、みんなで花山ちゃんを応援しよう!ってことになって、神木先輩サークルに誘ってるの!!」
「へ~なんかいいなー恋してるって感じ。でも、ちょっと分かるかも。神木先輩みたいなイケメンに抱き寄せられでもしたら、みんな恋しちゃうよね~」
「……」
抱き寄せられでもしたら──その言葉を聞いて、あかりは、ふと思い出した。
そう言えば、自分も抱き寄せられたことがあった。自転車から守ってくれた、あの時だ。
確かに、あんなことされたら、普通の女の子なら、恋の一つくらいしてしまうかもしれない。
(……神木さんが人気あるのって、きっと外見だけじゃないんだろうな)
その花山さんのように、何気なしに助けられた人の話が、男女問わず、よく話題にあがる。
彼は本当に良く気が付くのだ。相手の些細な変化を察知する洞察力に長けてる。その上、本当に優しい人なのだろう。
だが、どうやらその優しさ故に、色々なところで、色々な人々と、少女漫画顔負けの恋愛フラグを立てまくっているようだった。
果たして、彼の善意にあてられて、今どれだけの人が、彼に恋をしているのか?
考えただけでも、恐ろしい。
「しかし青木は、ホント神木先輩の話題が付きないよね。ファンクラブ入ればいいのに!」
すると、再び安藤が口を開いて、あかりは、それを聞いて苦笑いをうかべた。
(あはは……ありそう、ファンクラブ)
「それがね、残念ながら、ファンクラブはないみたいでー」
「……え? ないの?」
だが、次に放たれた青木の言葉に、あかりはきょとんと首を傾げた。
「お! 倉色さんも、気になる!?」
「あ……うん。ファンがいるとかいってたから、てっきりあるのかと」
だが、青木の言葉に、僅かな光明がさした気がした。
熱狂的なファンさえいなければ、彼に話しかけて本を返すぐらい出来るかもしれない。
「だよねー、私も始めは、ないことに驚いたんだけど、でも、これには事情があって……」
「事情?」
「そう、神木先輩ね。高校時代、生徒会の副会長をしてたみたいなんだけど、その時にね」
◇◇◇
時は遡り、三年半前。
それは当時、高校二年生の飛鳥が生徒会の副会長に就任して、しばらくたったころの事。
「神木くーん!」
放課後、生徒会室にいた飛鳥の元につめかけたのは、同学年の澤口さんと、そのた数名の女子達だった。
「あれ、どうしたの?」
「神木くん、聞いて! 私達いいことおもいついちゃった~」
「いいこと?」
飛鳥が生徒会室からでると、澤口はパッと顔を明るくして
「そう! せっかく副会長に就任したんだしさ! 私達もっと神木くんのこと応援したいと思って! だからね、みんなでファンクラブ作ろうってことになったんだ!」
「…………」
呼び出された早々、投げかけられたまさかの提案。すると飛鳥は、にっこりと笑って
「え? なにそれ、迷惑」
と、はっきり言った。
「えぇ!? 迷惑!?」
「うん。気持ちは嬉しいけど、ファンクラブってアレだよね。絶対、女子の揉め事の原因になるやつだよね? それに俺、むやみやたらに写真とか撮られるの嫌いだし」
「えー!」
「ゴメンね~。でも、俺の応援してくれるっていうなら、他にもあるよ。例えば──」
そういって、飛鳥は一度、生徒会室に戻ると、数枚の書類を手にし、それを澤口達の前に差し出してきた。
「はい、こういうのとかね? 今、人手がたりなくて困ってたんだー。手伝ってくれる人いない?」
「あ、私やる~!」
「私も手伝います!!」
「わー、ありがとう!」
飛鳥がお願いすると、澤口以外の女子が率先して手を上げ始め、飛鳥はそれを見て、中にいる生徒会長に声をかける。
「会長、三人ふえるよー」
「流石だ、神木くん! やはり君が生徒会にいてくれてよかった!!」
「神木! お前その調子で、あと二人くらい口説き落として来い! マジで終わらねーから!!」
「てか、藤本先生。なんで明日配るプリント、前日にもってくるの!?」
「だからゴメンて!! 来週の修学旅行のこと考えてたらすっかり忘れてたんだよ!? 大丈夫、選び抜かれた生徒会メンバーであるお前たちなら、きっと終わる!」
何やら、なかで修羅場を迎えているらしい生徒会メンバーたち。
これも全て、藤本先生が、明日保護者に配わなくてはならないプリントを作成し忘れていたからだ。
「というわけで、俺、今忙しいから、この話は……」
「待って!」
「!?」
だが、再び生徒会室に戻ろうとした飛鳥を、澤口が引き止めた。
自身の胸を押しつけ、腕にぴったりと抱きついて離れようとしない澤口をみて、飛鳥は、眉を顰める。
「…………」
「もったいないよ~、揉め事なんて起こすつもりないし、絶対盛り上がるよ!
「…………」
「それに、女子だけじゃなくて、男子のファンもいるし! あと、私……っ」
「ねぇ、澤口さん、生徒会選挙の時にさ……」
「え?」
「俺の名前、勝手に生徒会に立候補した奴……誰?」
「…………」
◇◇◇
「──と言う感じで、笑顔で一刀両断されたあげく、偽造書類提出した犯人つきとめられて、こっぴどく注意されたみたいでね? それからは、神木先輩、怒るとめっちゃ怖い~てなって、ファンなら節度を守り、神木先輩を怒らせないように、各自密かに語り合おうということになったらしいよ」
(なにそれ、怖っ!?)
もはや、ホラーだった。
きっとその澤口さんに言った「誰?」は、あの笑ってるけど笑ってない絶対零度の笑顔で言われたに違いない!
だが、そんなあかりの反応に対して、安藤は
「なんかそれ、かっこいいかも……!」
「え?!」
なぜか、リスペクトし始めた。
「えぇ?! 今のなにが、カッコよかったの!? 私、恐怖しか感じなかったんだけど!?」
「何言ってんのよ、あかり! ちゃんと間違ったことを注意してくれるって、男らしくていいじゃん! やっぱり、男はただ優しいだけでもダメなんだよね~」
「きゃー、分かってくれるー! そうなの! 神木先輩は、見た目だけの男じゃないの! やっぱりイケメンは、中身もそろってイケメンじゃなきゃねー」
(あー、こうして熱狂的なファンが増えていくのか……)
あかりは、目の前で「神木先輩」を絶賛する、青木と安藤の話を聞きながら『やっぱり大学で、神木さんと話すのは絶対にやめよう』と、改めて思ったのだった。
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