第286話 始と終のリベレーション⑪ ~幸福~

「私、神木さんが好き……っ」


 それは自分でも驚くくらい、唐突だった。


 気がつけば、侑斗に向けてそう言っていて、顔を真っ赤にしたまま見つめれば、少しだけ驚いて、同じように頬を赤らめた侑斗と目が合った。


 外で鳴く蝉の声なんて、もう聞こえなくなるくらい、私たちの空間は、そのたった"二文字"に支配された。


 鼓動は、ますます早くなって、身体は火を噴くように熱くなって


「ぁ……俺は」


 瞬間、侑斗が渋ったのが分かって、私ははっと我に返った。


(私、何言って……っ)


 後先考えず、言ってしまった言葉に酷く後悔する。


 いきなり、教え子に告白なんてされたら、困るに決まってる、なにより、私は──


「ご、ごめんなさい! 嫌ですよね! こんな学校にすら行ってない子」


 誰が好き好んで、引きこもりの女の子を彼女にするだろう。


 きっと、フラれるんだ。そう思った時


「……嫌じゃないよ」


「え?」


「むしろ……っ」


 そう言った侑斗は、珍しく顔を赤くしていて、その時の照れたような、驚いたような、それでいて困ったような侑斗の表情は、今でも、よく覚えてる。


「神木さん?」


「あ、ごめん……別に、学校行ってないから嫌だとか、ダメだとか、そんな風には思ってないよ。誰にだってあると思う、居心地の悪い場所って、俺にもあるから」


「え? 神木さんも、学校に行きたくないとおもったことがあるの?」


「いや、俺はその逆」


「逆?」


「俺は、自分の家にいたくないんだ」


 正直、驚いた。いつも和の中心にいるような侑斗が、家庭環境に悩みを抱えているなんて思わなかったから。


 だけど、そのあと聞いた話に、私は納得した。


 侑斗の母親は、侑斗が子供の頃から浮気ばかりの人で、そのせいか父親もお酒に溺れてばかりだったらしい。


 家に帰るのが嫌で、家庭教師のアルバイトをしているのも、その居心地の悪い家から早く出ていくため。


「俺の母親、本当に最低な人で、親父のことも俺のことも、金稼いでくる道具みたいに思ってなくて……だから、早く金貯めて、独り立ちしたい」


「……」


「もう、あの母親に振り回されるのは嫌なんだ。だから俺、このバイト辞めるわけにはいかなくて……だから、ミサちゃんの気持ちは、すごく嬉しいけど、今は答えられない」


 今は──その言葉に、不意に胸の奥が熱くなった。


 理屈では分かっていた。私たちは『家庭教師』と、その『教え子』だから。


 でも『今は』と言われて──もしかしたら、その先で、結ばれる日が来るんじゃないかと思った。


「待っててもいい……ですか?」


「え?」


「その……神木さんの望みが叶うまで、待っててもいいですか? それまでずっと、好きでいてもいいですか? もし、いいなら……私が高校を卒業して、神木さんが一人暮らしできるようになって、もう家庭教師じゃなくなったら……また、告白しても、いいですか?」


 すごく大胆なことを言ったと、今でも思う。だけど、それだけは確認しておきたかった。


 このまま、好きでいてもいいか?

 すると、侑斗は


「うん。……でも、次は、俺の方から告白したい」


「……っ」


 瞬間、私は真っ赤になって、嬉しさのあまり、涙が溢れてきた。


「っ……何も、泣くことないだろ」


「だって、嬉しくて……っ」


「ほら、涙ふいって…」


「ん……」


 優しく、頬に触れられば、胸がキュンとした。


 私には、この人しかいないと思った。この人とじゃなきゃ、ダメだと思った。


 私は、その侑斗の手に、そっと自分の手を重ねると


「神木さん、私、引きこもり治す。学校にも行って、ちゃんと卒業する。そして、いつか一緒に、外に出かけられるようになりたい」


 部屋の中だけじゃなくて、普通の恋人同士みたいに、色々なところに出かけてみたい。


 すると侑斗は、私の手を優しく握り返して、約束してくれた。


 来年は二人で、色々なところに出かけようって…




 ◇◇◇



 それから私は、少しずつだけど、学校にも行けるようになった。


 教室は相変わらず怖かったし、未だに悪女とか噂する人もいたけど、我慢できた。


 私には、侑斗がいたから。侑斗との約束が、私に力をくれる気がした。


 そして、それから、無事に、高校と大学を卒業した私たちは、約束通り"恋人同士"になった。


 侑斗は社会人になって、母親の反対を押し切って一人暮らしを始めて、私もなんとか引きこもりを治して、近所のパン屋さんで働くことになった。


 正式に付き合うことになったあとは、両親にもきちんと報告した。


 初めはすごく緊張した。元、家庭教師なわけだし。


 だけど、両想いだとわかってから、私たちは家庭教師と生徒という関係はつづけながらも、無意識に甘い空気を醸し出すことがあったようで、どうやら付き合わずとも、親にはバレバレだったらしい。


 一度は、家庭教師を変えるべきか夫婦で話し合ったらしいけど、私が高校に行くようになって、様子をみることにしたらしい。


 それを知った時は、すごく恥ずかしかったけど、父も母も、私たちを責めることなく、二人の交際を認めてくれた。


「侑斗、今日はどこに行くの?」

「ミサが、前に行きたいって言ってた所」


 それからは、二人手を繋いで、色々なところに出かけた。近所の公園から始まって、人の多いデパートとか遊園地とか。


 夏祭りやクリスマスの夜は、侑斗の家で二人っきりで過ごしたりもした。


 初めての夜は、すごくドキドキしたけど、侑斗は、とても優しかった。どちらからともなく距離が近づけば、自然とキスをして身体を重ねた。


 背中の傷を見られるのは、少し不安だたけど、侑斗は、その傷ごと、私を愛してくれた。


 幸せだった。誰かと愛し合うことが、こんなにも幸せなことだなんて、それまでは知らなかった。


 そして、それから1年は、2人だけの時間を過ごして、いつしか隣にいるのが当たり前になった頃


 ──私たちは、結婚した。


 それは、あの雨の日、初めて出会ってから10年。正式に付き合い始めてから1年後の春の日だった。


 私たちは、お互いに隠し事をしないようにと約束して、どんな苦難も、二人で乗り越えようと誓って、結婚した。


 幸せだった。これ以上ないくらいに


 だけど、そんな私と侑斗の元に、またひとつ幸せが訪れた。


 それは、新居に引っ越して暫くたった


 ──1月12日。


 白い雪が降りつもる寒い夜に



 飛鳥が、産まれてきた。



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