第129話 情愛と幸福のノスタルジア③ ~一緒に~


「夜中、私の部屋に──父親が入ってきたの」


「え?」


 その言葉に、侑斗は耳を疑った。


「扉の音で目が覚めたら、父親で……寝てる私の身体をいきなり触り始めて……声を出そうにも、怖くて出来なくて……ずっと、耐えるしか……なくて……っ」


「…………」


 静かな病室内が、一段と静まり返える。


 俯き、言葉をつまらせながら話すゆりのその姿は、あまりにも重く、侑斗は、ただ呆然と、その声に耳を傾けしかできなかった。


「暫くしたら出ていったから、それ以上のことは、何も無かったけど……次は何されるのか、ホントにわかんなくて……親の財布からお金盗んで、ホームセンターでいくつか鍵を買って、外から入ってこれないように、内側から鍵を取り付けたの。……あー、親の財布からお金盗むなんて、とか言わないでね? その時は、そうするしかなかったの。あの家に、私の味方なんて誰もいない。父親も母親も、みんな敵」


 苦痛な表情を浮かべながら話すゆりの話を、侑斗は、真剣な表情で聞いていた。


 中学1年生なんて、まだ子供だ。


 そんな子供に。

 しかも、血がつながらないとはいえ、自分の娘に。


 侑斗は、その義父のあまりの仕打ちに、憤懣を感じずにはいられなかった。


 この子は、一体どんな思いで、自分の部屋のドアに、一つ一つ鍵をとりつけたのだろう。


「……それで、それからは、家に帰るのが嫌になって、よく遅くまで、友達と遊んで帰ってたの。おかげでこんな不良娘になっちゃったけど……でも、この前は……帰ったら、もう私の部屋には父がいて……いきなり押し倒されて、それで……っ」


「ゆりちゃん、もういいッ」


「やばいと思って、友達からもらった、必死の思いで逃げてきたんだけど」


(んん!?)


 あれ? なんか違った! 思ってたのと違った!


 いや、よかった!

 よかったんだけど──金属バット!?


 突然、聞こえた物騒なワードに、侑斗はひどく困惑した。だが、どうやら未遂だったようで、いまだ腹ただしさはあるものの、それでも少しだけ安心する。


「でも、本当に、もうダメかと思ったの……ッ」


 だが、安心したも束の間、まるで、赤子のように泣き始めたゆりを見て、侑斗は目を見開いた。


「すごく……ッ、すごく……怖くて……っ」


 溢れんばかりの涙を溜めて、途切れ途切れに悲痛な声を漏らすゆり。そして、その手元には、大きな粒となった涙が、ぽたぽたと流れ落ちた。


 そして、涙を流す彼女は、今まで見てきた明るい彼女ではなく……


「お願い……だから、見逃して。私もう、あの家には帰りたくない……ッ」


 小さく体を震わせ、すすり泣く姿。


 そして、涙を流し懇願する姿に、侑斗は、酷く胸を締め付けられた。


 あの笑顔の裏に、こんなに辛い出来事があったなんて、考えもしなかった。


 中学1年の、その日から、一番安らげるはずの家の中で、この子は一人で自分の身を守りながら、6年間も過ごしてきたのだろう。


 きっと、その6年は、地獄のような日々だったのかもしれない。


 それこそ「いつ、死んでもいい」と、思ってしまうほどに──


「わかった。もう親に連絡するとか言わないから」


「っ、……」


 ゆりの頭に軽く手をのせると、まるで子供を慰める様に、侑斗は優しい手つきで頭を撫でた。


 すると、その手があまりにも優しかったからか、止めようにも止まらなくなったゆりは、自分の口元を手で覆いながら、声を上げて泣きつづけた。


(家に……帰りたくない、か)


 そして、ベッドの上で体を縮こませながら泣くゆりを見て、侑斗は、ふと自分の子供のころを思い出す。


 ◆


『じゃぁね、侑斗~。ママお出かけしてくるから、お昼はテキトーに買って食べてー』


 俺の母親は、浮気ばかりするような人だった。


 まだ幼い俺を残して、平気で不倫相手に会いに行くような人。


 何人、男がいたのかは知らないけど、公務員だった父は、それが原因で、家では酒ばかり飲んでた。


 もう、とっくに破綻した夫婦。

 そのくせ、いつまでたっても離婚はしないで……


 結局、母にとっての父は、金を稼いでくる、ただそれだけの男でしかなく、俺は、そんな両親を反面教師として「あのようにはなりなくない」と思い育ってきた。


 自分のことしか考えられない。

 子供すら道具として使うような、そんな最低最悪な親。


 特に母親は、父が仕事でいないのをいいことに、思春期真っただ中の息子がいるにも関わらず、昼間から、家に男を連れ込んでることもあって、見たくないもの、見せつけられた。


 何度、あの家に帰りたくないと思ったことだろう。

 何度、あんな家、早く出ていきたいと思ったことだろう。


 それを思うと、なんとなく似ている気がした。


 自分と、この子は──



 ───カタンッ!!


「……!」


 だが、その瞬間、背後から、何かが落ちる音が聞こえた。


 振り返れば、病室の入口で、買ってきた飲み物を落とし、顔を青ざめさせている飛鳥の姿が見えた。


「ゆ、ゆりさん、どうしたの? なんで、泣いてるの!?」


 血相を変えて、ゆりのもとへ駆け寄ってくる飛鳥。


 あ、ヤバい!──そう思った侑斗は、すぐさま飛鳥をなだめ始める。


「飛鳥、落ち着け! 大丈」


「あすか~! 聞いてよー。飛鳥のパパがね。私のこと、いじめるの~」


「!?」


 だが、その瞬間、ゆりが、目を赤くして飛鳥を見つめた。そして、そのゆりの言葉に、侑斗は瞠目する。


 確かに、強引に聞き出したかもしれない!

 だが、別にいじめたわけではなく


「っ……お父さん、なんで? なんで、ゆりさんのこと、いじめるの!」


 ヤバい、うちの天使が今にも泣きだしそうだ!!


「いや、まて飛鳥!? 俺はいじめてな」


「──ふふ」


 すると、今度は、くすくすと笑いを堪えるゆりの姿が目にはいり、侑斗はハッとした。


 どうやら泣き真似らしい。侑斗はそれに気づくと、ゆりに顔を近づけ飛鳥に聞こえない声で話しかけた。


「あのさ。俺今、飛鳥から失った信頼を取り戻すのに一生懸命なんだよ。ただでさえ、パパ<ゆりさん、なんだからさ。マジでそういうのやめてくれない!?」


「自業自得~学校に連絡しようとする鬼畜パパには、このくらいしないと気が済まなーい♪」


 さっきまで泣いていたのがウソのように、小悪魔じみた笑みを見せるゆりに、侑斗は落胆する。


「飛鳥、ゆりちゃんは退院後行くところがなくて泣いてるんだよ! 俺のせいじゃない!」


「え? 行くところないの?」


 飛鳥は、それを聞いて心配そうに、ゆりを見上げる。


「しかし、家に帰らないにしても、退院後どうするつもりだ? お金もそんなにないんだろ?」


「まー、何とかするよ。バイトさえ見つかれば、お金だってなんとかなるし。それまではマンガ喫茶とか、最悪、公園で野宿でもするし」


「あのな、それじゃ本末転倒だろ。女子高生が公園で野宿なんて……」


「そんなこと言ったって……これ以上、友達の家にお世話になるわけにもいかないし」


「あ、じゃぁさ──」


 すると、二人の会話を聞いていた飛鳥が、急に声を上げた。飛鳥は、ゆりの手をぎゅっと握りしめると


「俺たちと暮らそうよ!」


「え?」


「これからは、俺がゆりさんのこと守ってあげる! もう絶対に傷つけたり、悲しませたりしないから、だから、俺と一緒に暮らそう!」


 にこりと満面の笑みを浮かべて、幼児らしからぬ発言をさらりと発した飛鳥を見て、ゆりは


「え!?」


 不覚にも顔を赤らめた。そしつ、それを聞いた侑斗も慌てて声を上げる。


「ちょっとまて、飛鳥ぁぁ!!? お前、いきなりなに言ってんの!? てか、お前なにその歳で、完璧なプロポーズ決め込んでんの!? 一緒に暮らそうじゃないだろ!? マジで、一回お父さん通して!!」


「ねぇ、飛鳥って本当に4歳? もしかして、怪しい薬飲まされて、体が縮んじゃったとかと、そんな感じじゃないの?」


「バカいえ! リアル4歳児だ!!」


 4歳にして、これとは、なんと末恐ろしい。

 侑斗とゆりは、飛鳥の今後の行く末をひどく案じたとか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る