第259話 ミサとゆり


(確かこの辺りに……っ)


 夕方の住宅街──飛鳥は、狭山から聞いた住所と照らし合わせながら辺りを見回した。


 前に"あの人"を見かけた公園の前を横切って、あかりのアパートの通りから二本ほど奥へと進んだ細い路地。


 車がやっと離合できそうなくらいのその路地には、庭付きの一軒家が数軒建ち並んでいた。


 狭山から聞いた話だと、その路地の中間辺りにエレナの家があるらしい。


 青い屋根の家だと言っていた。


 二人だけで住むには広すぎるんじゃないかと言うくらい大きな西洋風の一軒家。


「……っ」


 小走りで、その路地の家を一軒ずつ確認し、すぐに該当の一軒家を見つけた。


 格子状になった門構えの奥には、5~6段ほどの階段があって、その上にその家はあった。


 少し薄汚れた白い壁と、群青色に近い青い屋根。築20年ほどの古びたその家を見た瞬間、飛鳥は思わず足を止めた。


 いや、動けなくなった──と言った方がいいかもしれない。


 なぜなら、それは、あまりにも似ていたから


 自分が幼い頃に、あの人と父と『三人』で暮らしていた、あの家に──…


「なんで……っ」


 一瞬にして、子供の頃の思い出したくない光景が、眼前に広がった。


 目の前に飛び込んできた情報量の多さに、軽く目眩を起こしそうになる。


 玄関を開けて、右手には自分が閉じ込められていた子供部屋があって、左手にはリビングとキッチンがあった。


 中央には、玄関からまっすぐ上にのびた木製の階段。そして、その先には両親の寝室と、父の仕事部屋があった。


(いくら、なんでも……)


 ──似すぎてる。


 中に入らずとも、その間取りが分かってしまうほど、この家は、あの頃住んでいた家に似ていた。


 まるで、子供の頃にタイムスリップでもしてしまったかのように…


 だけど──


(ッ……いや、落ち着け。同じなわけない)


 子供のように震え切った自分の心に、飛鳥は言い聞かせた。


 ──違う。


 ここは、星ケ峯ほしがみねじゃない。

 この家も「あの家」じゃない。


 外観や雰囲気が似ているせいで、幼い頃の記憶が混濁して錯覚してるだけだ。


(落ち着け、大丈夫。もう──)


 もう、あの頃のような、子供じゃない。


 何もできなかった、4歳の子供じゃ──…



「ミサさん、落ち着いてください!」


「!?」


 瞬間、怯える心を砕くように、女の声が聞こえた。


 よく見れば、玄関の扉が開いていて、声はそこから漏れてきたようだった。


 切羽詰まったような女の声は、酷く聞き覚えのある声で


 巻き込みたくないと──思っていた声で


(……あかり?)











 第259話『ミサ と ゆり』










 ◆◆◆


 階段から降りてきたエレナを抱きとめると、あかりは、玄関先できつくエレナを抱きしめた。


 ガチガチと歯を鳴らす勢いで震えるエレナ。


 そして、その首筋には、かきむしったような細い傷が出来ていた。


 爪で引っかいたような数本の傷。


 夕陽の色で始めは気づかなかったが、近くで見れば、頬も少し腫れているように見えた。


 モデルをするエレナは、怪我には人一倍気をつけていた。


 そんなエレナに残る痛々しい傷痕に、あかりは今、起こっていることの異常さを垣間見る。


「エレナちゃん……一体」


「エレナ」


「……っ」


 ──瞬間、冷たい声が響いた。


 あかりがゆっくりと階段の上へ視線をむけると、その先で、まるで肉親の敵のように鋭い視線をむける女と目が合った。


「ミサさん……っ」


 その存在を直視して、あかりはゴクリと息を飲む。


 階段の上から見下ろすミサは、酷く虚ろな目をしていた。二階の窓から差す夕日が、背後からミサを照らせば、その逆光がミサの表情に深く影を作る。


 金色の髪と、青い瞳と、きめ細かな白い肌。


 その光景は、まるで女神のように美しいのに、どこか、まがい物のような得体の知れない恐怖を感じた。


「──誰?」


「え?」


 だが、綺麗な瞳を細めた瞬間、ミサはあかりを見つめながら、そういった。


 誰──と、聞かれて一瞬考える。


 前に、飛鳥と共にミサを目撃し、その後一方的にかかってきた電話で言葉を交わしたことはあった。


 だが、こうして、ミサと直接、目と目を合わせて会話をするのは──初めてだった。


「あ、私は……」


「フフ、フフフ」


 すると、何がおかしいのか、突然ミサが笑いだした。


 くすくすと笑いながら、細い指先を階段の手すりに滑らせたミサは、その後ゆっくりと階段をおりてくる。


 紺のスーツを身にまとったミサ。


 上着は少しだけはだけていて、タイトスカートから覗く綺麗な足が一歩一歩進む度に、金の髪が揺れた。


 ギシ──


 古い木製の階段をおりきると、玄関先の廊下が微かに軋む音がした。


 目の前まで来たミサが、再びあかりとエレナを見下ろす。


 すると──


、あなたなのね」


「え?」


 まるで壊れた玩具のように、笑うミサにあかりは困惑する。


「ふふ、あはは……今度はエレナなの? エレナを──あは、あはは…!」


 明らかに様子がおかしい。


 瞳に光がない。

 言動だっておかしい。


「ミサさん、落ち着いてください…!」


「ふふ、また……また、奪おうって言うの? 私から、今度はエレナを……っ」


(え、また……?)


 言われたことの意味が分からなかった。まるで、前にも何かを、あかりに奪われたことがあるような口ぶり。


(……どういう……こと?)


 状況が、よくわからない。

 だが、困惑するあかりを、ミサはさらに睨みつけると


「エレナから離れて!!」


「……ッ」


 鬼の形相で訴えてきたミサに、あかりは一瞬、手を緩めた。


 だが、自分の胸の中で震えるエレナをみれば、この腕を離すなんて出来るはずもなく


「離れてって言ってるでしょ!?」


「ミサさん……っ」


「いつもそう、あなたはいつも私から大切なものを奪っていく!! 侑斗も、飛鳥も、私の大事なもの全て!!!」


 力強く叫び、思いをぶつけてくるミサの姿を、あかりは身動きひとつ取れず見上げていた。


(ゆうと……?)


 そして、聞き覚えのない名前と聞き覚えのある名前。それが同時に飛び出してきて瞬間、あかりは、前に飛鳥から聞いた話を思い出した。


 幼い頃「ゆり」という名の女の人に助けられたという話。


 だけど、そのゆりは、ミサに刺されたあと


《助かったよ。出血は多かったけど一命はとりとめて……その後は、色々あって、俺の父と結婚して、俺の母親になってくれた》



「───…っ」


 瞬間、線が一本に繋がった気がして、あかりはヒュッと息を飲んだ。


 確か、その"ゆりさん"は、後に神木さんの父親と結婚して、それで──


「ねぇ、どんな気分だった?」


「……え?」


「私から何もかも奪って……侑斗から愛されて、飛鳥から母親と呼ばれて、さぞ、いい気分だったでしょうね?」


「…………」


 勘違いされていると思った。


 ミサさんから、大切な夫と息子を、その"ゆりさん"と───


「っ……違います、私は」


「うるさい、うるさい、うるさい!!! 何が違うのよ! 飛鳥を保護したなんて言って、本当は侑斗をたぶらかして、全部仕組んだことだったんでしょう!! その上、今度はエレナまで奪うの!?」


「ッ──ミサさ」


「もう、いい加減にしてッ!!!!」


 叫んだと同時に、ミサは靴箱の上にあった一輪挿しを掴んだ。


 筒状の花瓶が、頭上高く振り上げらる。


 その光景に、あかりは咄嗟にエレナを抱きしめると、きつく目を閉じる。


「あなたなんて、いなくなってしまえばいいのよ!!!」


 そう叫んだミサが、一輪挿しを振り下ろす。


 すると、その一輪挿しは、その後、激しい音を立てて無惨にも、砕け散った。








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