第121話 偏愛と崩壊のカタルシス⑦ ~公園~


 その後、お姉さんに手を引かれ、すぐ側にあった公園まで行くと、傷を水で綺麗に洗いながし、お姉さんは絆創膏を貼ってくれた。


 遊具が少しだけある、こじんまりとしたその公園は、2月の寒い頃で、しかも平日だったからか、俺たち以外、誰もいなかった。


「……ありがとうございました」


 公園のベンチに腰かけ、俺はお姉さんに丁寧にお礼をいう。

 すると、お姉さんは、シャツにカーディガンしか羽織っていない俺の姿を見て、ブレザーのジャケットを脱いで、俺の差し出してきた。


「それじゃ、寒いでしょ? これ着ていいよ?」


「お姉さんは、寒くないんですか?」


「私は大丈夫。中にいっぱい着てるし!」


 ニコリと笑ったお姉さんは、俺にジャケットを羽織らせ、その後、ベンチに座る俺の前にしゃがみこんだ。


「ねぇ、さっきから気になってたんだけどさ。アンタ、本当に4歳?」


「え?」


「いや、敬語達者だなーっていうか、しっりしてるなーっていうか。4歳なら、普通はもっと」


「ふつう?」


 公園についてから、ずっと、俺はお姉さんに敬語を使っていた。だけど『目上の人には、敬語を使いなさい』と、厳しく母に躾られた俺にとって、それは、当たり前のことで……


「お母さんが、大人の人には敬語を使いなさいって」


「マジか? お母さん、メッチャ教育ママじゃん。どおりで、しっかりしてるわけだ」


 敬語のことも、しっかりしてるって言葉も、よく大人から言われる言葉だった。だから、特に疑問に思うこともなかったけど


「ねぇ、私には敬語使わなくていいよ。さっきみたいに」


「え?」


 そう言って、お姉さんは、また笑ってくれて、俺は目を丸くした。


 そういえば、さっき泣きじゃくってた時、敬語を使うのを忘れてた。


「なんで……お姉さんは怒らないの?」


 だけど、その瞬間、母に怒られた時のことを思い出して、目頭が熱くなった。でも、お姉さんは、またふわりと笑って


「怒らないよ」


 と、頭を撫でてくれた。


 誰かに撫でられたのは、久しぶりだった。でも、撫でられると、昔のことを思い出して、目に涙が滲んできた。


 父も母も、昔はよく笑いながら、俺の頭を撫でてくれていた。


 それなのに、なんで───…っ


「それにしても、アンタの髪、すごく綺麗だね~」


 だけど、その後、お姉さんが、また明るい声を発して、俺は我に返った。


 お姉さんは、俺の金色の髪を優しく撫でてくれて、その感触が、すごく心地よくて、なんだか温かい気持ちになった。


「そう……かな?」


「うん。光に当たったらキラキラしてて、とっても綺麗。これ地毛なの?」


「うん、お姉さんは?」


「え? 私の染めてんの! ミルクティ色、可愛いでしょう~」


 淡くて明るい髪の色に、明るい性格。お姉さんの笑った姿は、悩みなんてなにもないようにみえて、とてもとても眩しかった。


「お姉さんは、不良なの?」


「はぁ!? 不良じゃないし?!」


「でも、髪そめてるんでしょ?」


「まー、確かに染めてるし、学校も、よくサボってるけど、一応これでも、いいところのお嬢様なんだけどなぁ~」


「そうなの? 俺の知ってるお嬢様とは全然違う」


「あはは。まーどっちかというと、ギャルだけどね~」


 すると、お姉さんが立ち上がり、ベンチに腰掛けると、俺たちは二人で並んで、他愛もない話をした。


 そして、その穏やかな時間に、気持ちが落ち着いて、少しずつだけど表情がやわらぎはじめた頃、お姉さんは雑談のついでに、俺のことを聞き始めた。


「今日は、なんであんな所にいたの? 家はこの辺?」


「わかんない」


「わかんない?」


「だって、家出……してきたから……っ」


 自分で言っていて、なんだか凄く不安になった。


 家出なんてして、もし、お母さんにばれたら、きっと大変なことになる。


「へぇー、家出かぁ……」


 すると、お姉さんが、ボソリと呟いて、俺を更に不安になった。


 どうしよう。

 お姉さんを困らせちゃうかも?

 やっぱり、帰らないと……だめかな?


「じゃぁ、私とだね!」


「……え?」


 だけど、その次に放たれた言葉に、俺は目を見開いた。


 不安そうに俯いた俺に、お姉さんは明るく笑顔でそう言って、その言葉に、俺は、お姉さんの服を掴むと


「おねぇさんも、家出してきたの!? なんで!? なんで家出したの!? お姉さんも、お母さんが……怖いの?」


 俺と同じように、この人も家出してるのかと思うと、なんだか安心して、思わず問いかけた。

 すると、お姉さんは、酷く深刻な顔をしながら


「アンタ……もしかして、お母さんに、いじめられてるの?」


「っ……よく、わかんないっ……でも、お母さんは、俺のためって……だけどッ、部屋に鍵かけて出してくれないし……おれ、モデルだって本当は……っ」


 堪えていたものが押さえきれなくなって、俺はまたひくひくと泣き出した。お姉さんの服を握りしめたまま、今までの辛かった出来事を全部、その人にはなしてた。


 塞ぎ混んでいたものが

 溜め込んでいたものが


 次々に溢れ出してきて──


 言葉も思考もぐちゃぐちゃで、正直、何を話したのかは、よく覚えてないけど、お姉さんは、そんな俺の話に、ただひたすら耳を傾けてくれた。


「ねぇ……お母さんのこと、好き?」


 すると、全て話おえて、お姉さんはそう言って


 ──ただただ「怖い」


 もう、それしか思い浮かばなかったことに、また涙が溢れてきた。


 お母さんは、いつも優しくて、いつも笑っていて


 俺は、そんなお母さんが



 ────大好きだった。




 はず……なのに。




 もう自分の中には、あの頃の母はいないのだと気づいて、また涙が止まらなくなった。


「う……うぅ……ふぇっ」


「モデル、やりたくないの? それ、お母さんには言った?」


 俺は、フルフルと首を横に振ると


「言えないッ、怖いもん……っ、それに、おとうさんも……でていっちゃったし……俺、もうっ」


 母のことに加えて、父に置いていかれたことも思いだして、余計に苦しくなった。


「君は、お父さんといたいの?」


「ぅん……でも、俺……もう、お父さんの子じゃないって……っう、ぅ……お父さんには……もう、おれ……いらない子……だから……っ」


 その言葉は、ひどく心に突き刺さっていた。


 全てを、断ち切られた気がしたから。


 何もかも『諦めろ』と


 言われたような気がしたから……



「っ、ひっく……ぅ……」


「……そっか」


 泣きじゃくる俺を宥めながら、お姉さんは、その後、空を見上げて、またうーんと考えこんだ。


 そして──


「お父さんの携帯の番号とか、わかる?」


「? うん、お父さんと……お母さんのは覚えてる」


「マジで? すごいね、本当!」


「恐い人に連れてかれたら、大変だから……色々覚えなさいって、言われた……っ」


「あー、確かに超絶可愛い顔してるもんね? てか、アンタ、家の住所も覚えてるんじゃないの?」


「ッ……覚えてる、けど」


「まー、家には帰りたくないか……よし! じゃ、とりあえず、お父さんを呼ぼっか!」


「!?」


 瞬間、明るく放たれた言葉に、俺は困惑した。

 お父さんを──?


「え!? でも……っ」


「このまま、泣いてても何も始まらないよ。私がついててあげるから、ちゃんと言いたいこと、お父さんに伝えてごらん?」


「……っ」


 そういうと、お姉さんは、またふんわりと優しく笑って、俺の頭を撫でた。


 その笑顔をみると、なんでか不思議と、大丈夫なような気がして──…


「おい、アスカー!」


 だけどその時、公園の外から声をかけられた。


 名前を呼ばれて、振り返ると、高校の制服を着た男の人が数人、こちらに向けて声を掛けてきた。


「なにしてんの~、またサボり~?」


「うっさいな! 今、人助け中、あっちいって!」


 その声に、お姉さんはベンチから立ち上がると、めんどくさそうに男達を追い返した。


 俺は、そんなお姉さんを見上げて


「おねえさん、アスカって名前なの?」


「ん? あー違う違う。『阿須加あすか』は名字だよ。名前はゆり。私、阿須加 ゆりっていうの! そういえば、アンタ名前は?」


「おれは、神木……飛鳥」


「えー、そこも同じ~。不思議ー、なんかの縁かな~」




この日、俺を助けてくれた


この人の名は「阿須加あすか ゆり」



正直、この時は、想像もしていなかったけど



後に、この「ゆりさん」は





俺の新しい「家族」となり


      


       



双子の赤ちゃんを出産する








      

そう、この人が


 

          

華と蓮を産み





         

俺を我が子のように、愛してくれた人





のちの「神木 ゆり」






          


俺たち兄妹弟きょうだい








        



「母親」となる人だった。







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