第19話 父と息子


『──ごめんな、飛鳥』



 祈るような気持ちで伸ばした手は


 いとも簡単に振りほどかれた。



 あの時、父がどんな顔をしていたのかは


 もう思い出せないけど



『っ……ぉ、とぅ、さ……』



 声にならない声で必死に訴えた


 あの幼い頃の記憶は



 今でも、鮮明に覚えてる。





 お願い、どうか





 俺を






 置いていかないで……っ






 ◇


  ◇


 ◇


  ◇



 ピンポーン──


「……んっ」


 遠くの方で、インターホンの音が聞こえた気がして、飛鳥はゆっくりと目を覚ました。


 ベッド上で横になったまま、ふと視線をそらせば、自室の窓からはカーテンごしにユラユラと明るい光が差し込んでいて、今がまだ昼だと言うことを知らせてくる。


 そういえば、部屋で本を読んでいたのだと思いだして、再び視線を戻せば、側には読みかけの文庫本が、ページをそのままに転がっていた。


(……俺、いつのまにか、寝てたんだ)


 本を読みながら、うたた寝をしてしまったのだと気づくと、飛鳥は、そのまどろむような瞼を再び閉じる。



 なんだか、とても


 嫌な夢を見ていたような気がした。



 内容は、覚えてないけど──…




 ピンポーン──


 その後、何度目かのチャイムがなって、飛鳥は再び覚醒すると「今は、何時だろうか」と、部屋にかけられた時計を確認した。


 すると、インターホンを鳴らす人物が、誰だか納得して、慌ててベッドから起き上がると、自室をでて、飛鳥はそのまま玄関に向った。


 念のため、除き穴から外を確認し、玄関の扉を開ける。するとそこには、40代ぐらいの男が、両手を広げて立っていた。


「ただいま、飛鳥~」

「…………」


 玄関前で、にこやかに笑う男を見て、飛鳥は冷ややかな視線を向けた。


 スーツケースを傍らに置き、見慣れた黒のコートを羽織った黒髪の男。


「さぁ、今すぐ、の胸に飛び込んできなさい!!」


「俺のこと、いくつだと思ってんの。ボケたの? それともギャグなの?」


 明るく声を上げた、この男の名は『神木かみき 侑斗ゆうと


 飛鳥たちの『父親』だ。


 3人の子持ちとは思えない若々しくスレンダーな体格をしたこの男は、年のわりに陽気で明るい性格をしている。


 華や蓮と同じ髪質をした茶色がかった黒髪に、鼻筋の通った甘く整った顔立ち。


 その上、社交性が高く、誰とでも気兼ねなく話が出来るタイプのようで、遠く離れた海外での仕事も順調にこなしているようだった。


「連れないなー、昔はみんなして抱きついてきてくれてたのに。大きくなちゃって、まぁ」


「いつの話だよ」


「いやいや、久しぶりにパパが帰ってきたんだから、こんな時くらい感動のご対面~があってもいいでしょうに!」


「じゃ、10年くらい前にタイムスリップしてくれば?」


「わーん、助けてド〇えも~ん! 飛鳥クンがいじめるぅ~」


「とにかく上がれば、そこ邪魔だから」


「え!? なんかお前、塩対応増してない!?」


 久しぶりにあった息子の冷たい対応に、侑斗が、信じられないといった顔で声を上げた。だが、玄関先で立ち話をいていれば、確かに近所迷惑にもなるだろう。


 侑斗は渋々中に入ると、履いていた革靴を脱ぎ、半年ぶりの我が家に足を踏み入れた。


「ねぇ、なにコレ?」


 すると、父が手にしていた袋を見て、飛鳥が不思議そうに問いかける。


 スーツケースの他に、スーパーのものと思われるビニール袋が二つ。その中には、肉や魚のほかに、小麦粉や生クリームまで入っていた。


「何って、食材だよ、食材! 買い出ししてきたから、今日は父さんが夕飯つくるからな!」


「別に無理しなくていいのに……父さん、長旅で疲れてるんでしょ?」


 そう言って父の荷物を受け取ると、飛鳥は、そのままリビングへ歩き出した。


 そして、そんな息子の後を、侑斗がニコニコしながらついてくる。


「疲れてない、疲れてない! 可愛い飛鳥くんの顔みたら元気100倍ー」


「ア〇パンマンか」


「あれ? そういえばお前、大学は?」


「たいした講義ないから、休んだ」


「へー、誕生日やバレンタインだからって、いつもは休んだりしないのに、珍しいな」


「そう? 別に休めるなら休んでたよ、たまたまでしょ」


 そういって、振り返りもせず無愛想に歩いていく息子の姿をみて、侑斗は


「飛鳥~♪」

「わ!!?」


 唐突に、後ろから抱きついた!


 ちなみに、侑斗と飛鳥の身長差は約10センチほど。その上飛鳥は小柄だからか、胸の前で抱きこめば、その身体はすっぽりと、侑斗の腕の中に収まった。


 だが、それをされた息子の方は、たまったものではない!


「ちょっと、なにすんの!?」


「あー、落ち着くー。飛鳥って、ホントいい匂いするよねー」


「うわっ、マジで、キモイからやめて!?」


 冗談なのか本気なのか、父の言葉に飛鳥が鳥肌を立たせた。だが、それでも侑斗は、腕の中の飛鳥を、ギューッと抱きすくめると


「ありがとな飛鳥。お前、大学休んだんだろ?」


「…………」


 その言葉に、飛鳥は、否定も肯定もせず黙り込む。すると、侑斗は飛鳥を見て、優しく微笑んだ。


 忙しい中、誕生日にわざわざ帰ってくる父を、誰もいない家に一人帰省させるのを躊躇ったのだろう。


 口では憎まれ口を叩いても、この子は昔から、とても思いやりのある子だった。


「あ~~!! 飛鳥が男の子でよかったぁぁぁ!! 女の子だったら絶対嫁にはやれなーーい!」


「…………」


 だが、その後も猫のように擦り寄る父を背に、飛鳥は、ただただされるがまま。


 そう、侑斗のスキンシップはちょっと、いや、かなり激しい。


 特に子供達に対する愛情表現は、必要以上に過激なもので、思春期を迎えた双子達からは、おもむろに嫌がられる始末。


「ねぇ、それ程ほどにしないと、いつか嫌われるよ」


「あはは、わかってるよ。でも、さすがにもう出来なくなるかもなーって思うと、感極まって抱きしめたくなったんだよ。だから、そんな目で見ないで、お願いだから!」


 呆れた視線を向ける息子を見て、侑斗は渋々飛鳥から離れると、まるで、子供の機嫌を直すように、ポンポンと頭を撫でた。


「まぁ、いくら二十歳になったとはいえ、お前が父さんの子であることに変わりはないんだ。いつもは、あの子達の"親代わり"なんだから、俺がいる時くらいは、素直に甘えていなさい」


 そう言って、侑斗はより一層柔らかな声を発すると


「飛鳥、誕生日おめでとう」


「………」


 その、いつもと変わらない優しげ父の言葉に、飛鳥は目を細める。


 もう何度と聞いてきた『おめでとう』の言葉。


 だけど、こうして面と向かって言われると、はやりどこか……恥ずかしい。


「ぅん…………ありがと」


 飛鳥は、その後頬を染め、父から視線をそらすと、小さく小さく、それだけを呟いたのだった。





 

 ***



 ──そして、その日の夕方!


「華、蓮~お帰り~!」


 双子が帰宅すると、侑斗が満面の笑みで、華と蓮を出迎えた。だが、抱き締めようと大手を広げて駆け寄ってきたエプロン姿の父!


 それを見た双子は


「なんの罰ゲームだよ!?」


「ていうか、今、私たち、それどころじゃいの!!」


 バッサリ一蹴すると、玄関の鍵を閉めるや否や、双子は、ガクンと崩れ落ちゼーゼーと肩を揺らし始めた。


「おかえり、早かったね?」


 すると、そんな妹弟きょうだいの帰宅をみて、後から出てきた飛鳥がにこやかに語りかける。


「大丈夫?」


「大丈夫じゃねーよ!? 兄貴が大学いかなかったから学校終わったら、もう十数人待ち構えてたんよ! なにあれ、怖ぇぇ!!?」


「ていうか、すっごい足が早い人がいたんだけど! 自転車並みのスピードの人がいたんだけど! なにアレ! 誰なのアレ!?」


「あぁ……それ多分、陸上部の早坂さんかな。確か、メダル目指してるんだよね」


「メダル!? て、まさかオリンピック!!?」


「うん。夢は金メダルとることですって言ってたから『応援してるね!』って返したら、なんかスイッチ入っちゃったみたいで」


「おい! なんのスイッチいれてんだよ!? 明らかに違うやる気スイッチオンになってんじゃん!? 兄貴、その笑顔の殺傷力、少しは自覚して!!」


「ていうか、飛鳥兄ぃ、いつもあんな人達相手に逃げてるの!! 逃げられるの、アレ!?」


「逃げられるわけないじゃん。いつも、つかまってるんだよ」


 なにやら玄関先で、醜い言い争いをはじめた子供たち。そして、その話を聞いていた侑斗は


(あれ? もしかして、本当に、大学行きたくなかっただけなんじゃね?)


 さっきの息子の優しさは、もしかしたら『自分の勘違い』かもしれない。

 

 そんなことを、漠然と思ったのだった。

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