第265話 あの頃と今
「神木くん!」
「!」
すると、そのタイミングで狭山が戻ってきた。
スーツ姿の狭山は、革靴の音を響かせながら、飛鳥の元に駆け寄ってくる。
「腕、大丈夫!?」
「大丈夫だよ。縫わずにすんだし。それよりごめんね、代わりに聞いてきてもらって」
「いや、いいよ。元はと言えば俺のせいでもあるし。それより、ミサさんのことなんだけど──」
すると狭山は、少し神妙な面持ちで話を始めた。
「ミサさん、あまり話にならない状態で、診察室でも上の空というか、時々笑ったり泣き出したりで、精神的にかなり参ってる感じで……出来るなら、このまま入院させた方がいいだろうって」
「……入院」
「うん。まぁ、娘を殺そうとするなんて正気の沙汰手は思えないし、暫く距離を置かせた方がいいだろうって……問題は、エレナちゃんをどうするかだけど」
そう言うと、飛鳥と狭山はエレナを見つめた。
祖父母は海外。しかもシングルマザーでその母親が入院となると、暫くエレナを預かる人が必要になってくる。
「どうしようか、ミサさんが退院するまで、一時的に施設に預けるって手もあるにはあるけど」
「施設か……」
「…………」
自分の行先について話をする飛鳥たちに、エレナが不安そうな顔をする。すると、それに気付いたのか、あかりが、そっとエレナの顔を覗きこみ
「ねぇ、エレナちゃん。良かったら、私の所にくる?」
「え?」
「ほら、私一人暮らしだし。部屋は狭いけど、エレナちゃん一人くらい大丈夫だよ」
「………」
そう言って、柔らかく微笑むあかりを見つめたまま、エレナは黙りこんだ。
すると、今度は飛鳥が
「あかり、エレナは俺が預かる」
「え?」
「まぁ、一応これでもお兄ちゃんだしね?」
「で、でも、神木さんの家には、双子の……っ」
──双子の
そう言って、心配そうに見つめてくるあかりを見て、飛鳥はその後、エレナの前にしゃがみ込むと、視線をあわせ、真っ直ぐにエレナをみつめた。
「エレナ、俺にはお前の他にもう二人、妹弟がいる。男女の双子の妹弟で、俺たちの母親が、昔、刺し殺そうとした"ゆりさん"が産んだ子供たち」
「……」
「帰ったら、エレナのことも含めて、あいつらに全部話すつもりでいる。話した上で、受入れてくれるかは分からないけど、もし、受け入れてくれなかったとしても……」
一瞬、言葉につまった。
もし受け入れてくれなかったら──その自分の言葉に、酷く胸がいたんだから。
だけど
「もし、受け入れてくれなかったとしても、エレナを一人にはしないよ。その時は、俺があの家を出て、暫くエレナの面倒を見る。どの道、母親があの状態なら入院も長引くかもしれないし……でも、俺の家や、俺と二人で暮らすのが嫌なら、あかりに甘えてもいいし、あの人がよくなるまで、施設やほかの親戚の世話になるのでもいいと思う。───エレナはどうしたい?」
「…………」
飛鳥の言葉に、エレナはしばらく考え込む。病院内に他の患者はなく、シンと静まり返っていた。
まるで時が止まってしまったかのように
「私は……」
すると、エレナはスッと息を吸うと
「私は、飛鳥さんのところに……行きたい」
そう言って、絞り出すような小さな声で放ったその言葉に、飛鳥は納得すると「じゃぁ、決まり」といって立ち上がり、再び狭山をみつめた。
「狭山さん。悪いけど、あかり送って行ってくれない?」
「え?」
「暗いなか一人で帰したくない。でも、俺はこの後、あの人の入院の手続きとか色々やらなきゃいけないことがあるから、送ってあげられないし」
「それは、別に構わないよ。元々、帰りも送り届けるつもりでいたし」
「そう。ありがとう、狭山さん!」
すると、にこりと笑った飛鳥は、その後あかりに視線を移す。
「あかり、お前は狭山さんに送ってもらって」
「え、でも……」
「大丈夫だよ。狭山さん、すごく信用できる人だから、俺が保証する」
「っ……そう、ですか……わかりました」
「紺野さん。紺野さんの、ご家族の方ー」
すると、奥の廊下から、看護師が呼ぶ声がした。飛鳥はそれに気づくと
「じゃぁ、俺たちいくね。狭山さんもあかりも、今日はありがとう」
飛鳥が綺麗に微笑むと、その飛鳥の横で、エレナがぺこりと頭を下げた。
静かな病院の中、立ち去っていく飛鳥とエレナ。
その後ろ姿を見つめながら、あかりが悲しそうに俯くと、そんなあかりをみて、狭山が声をかける。
「あの、大丈夫? お、俺の車が嫌だったら、タクシー呼ぶよ?」
「あ、いえ、嫌だなんて……ただ」
「ただ?」
「エレナちゃん、私のところに来るかなって思ってたんですけど……やっぱり本物のお兄さんには、かなわないんだなって」
「………」
そう言って、あかりが再びエレナ達の方に視線を向けると、狭山も同時にその方向を見つめた。
視線の先には、同じ金色の髪をした兄妹がいる。とてもとても──綺麗な兄妹が
(そっか、あの二人……本当に兄妹なんだ)
◆
◆
◆
「あかりのところに、行きたかった?」
看護師に呼ばれ、ひととおりの説明を受けたあと、飛鳥は薄暗い廊下を進む中、ずっと黙ったままついてくるエレナに声をかけた。
すると、エレナはふるふると首を振ったあと
「うんん、私、もう……お姉ちゃんに迷惑かけたくない……っ」
瞬間、その頬にまた涙が伝って、エレナは再びポロポロと泣き始めた。
「うっ、ぅ……私…っ、私、なんで電話しちゃったんだろう……巻きこみたくないっておもってたのに……私のせいで……っ、お姉ちゃん、死んじゃうところだった…っ」
「………」
きっと、怖かったに違いない。
自分も、そうだった。
あの人が、ゆりさんを傷つけた姿は、今でも脳裏に焼き付いてる。
何度と夢に見て
何度、うなされたかしれない。
そして、あのとき自分も
ゆりさんを巻き込んだ自分をせめた。
同じだと思った。エレナも──
だからこそ、エレナは、あかりのところには、いかないような気がした。
「もう──大丈夫だよ」
涙を流すエレナに、幼い頃の自分が重なって、飛鳥はエレナの前に腰を落とすと、その小さな体をそっと抱きしめた。
「もう、大丈夫……」
──大丈夫。
あかりは傷ついてない。
エレナも助かった。
もう何も怖がる必要はない。
ひくひくと泣くエレナを抱きしめ、飛鳥は何度とそうと囁きかけた。
止まらない涙が、飛鳥の服にシミを作ると、エレナはすがりつくように飛鳥の服を掴み、まるで糸が切れたように、声を上げて泣いていた。
エレナの泣き声を通して、16年前、刺されたゆりさんを見つめながら、泣き叫んでいる自分の姿を思い出した。
弱かったあの頃
何もできなかったあの頃
だけど、エレナとあかりを助けたことで、同時に、あの日の自分を救ったようにも思えた。
「ッ……ありがとう」
そう言って、エレナをきつく抱きしめれば、飛鳥の瞳にも自然と涙が滲んだ。
守りたくても、守れなかった。
何度と失って、何度と後悔した。
だけど
エレナとあかりは、今、生きて、俺のそばにいてくれる。
「ありがとう……無事でいてくれて……っ」
それは決して、自分一人の力だけでなしえたことではないけれど
それでも、こうして、誰かを守れたことが
何だかとても
────誇らしく思えた。
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