第12章 二人の母親

第171話 ミサと秘書

 桜聖市の中心街から徒歩で10分ほど歩いたところに、ビルが立ち並ぶ、ビジネスタウンがあった。


 その中の一角、聳え立つ30階建てのビルの中で、ミサは事務として働いていた。


 薄いブルーのシャツに、紺のスーツ。


 スカートから伸びたスラリと細い脚には、無難な黒のパンプスを合わせ、一見地味なその姿も、金色のつややかな髪と、凛とした美しさのせいか、フロアの中でも一際目立っていた。


 男女問わず、見惚れてしまうような絶世の美女。


 それが、神木飛鳥の産みの母親である、紺野ミサの姿だった。


 息子と同じく、柔らかくサラリとした金色の髪は長く腰元まであり、長いまつげの奥に見えるのは、青く美しい瞳。


 人形のように白く滑らかな肌と、細く美しい指先。


 そして、服越しからも分かる形の良い胸と、くびれた腰。


 華奢だが、その身体には、女性特有の柔らかさや気品を携えており、その姿はとても41歳には見えないほど、若々しく美しいものだった。


 実際に、こちらに引っ越してきて、初めてこの会社に面接にきた日。


 フロア内では「すごい美人が、面接にきた!」と、噂になるほどだった。


 まぁ、入社が決まった際、ミサの実年齢を聞いて、驚きと感嘆の声が同時に沸き起こったのも事実だが……


「紺野さん、もうあがりますか?」


 夕方五時を前にし、ミサがパソコンのキーボードをうち終えた頃、隣のデスクに座っていた、女子社員が声をかけた。


 茶色に染めた髪を後ろで一つに結い、可愛らしいピンクのシュシュをつけた、まだ20代の若々しい女子社員の名は、羽田。


 最近入社したばかりの新人社員だ。


 ミサは、パソコンをシャットダウンしたのち、視線を流すと、羽田の問いかけに返事を返す。


「えぇ、仕事も片付いたし」


「あの、もし良かったら、今から一緒に食事とかどうですか? 私、紺野さんとお話したいな~って、ずっと思ってて!」


「……え?」


 可愛らしい笑顔を浮かべ、食事に誘う羽田にたいして、ミサは少しだけ間をとると


「……ごめんなさい。せっかく誘ってくれたのに……家で娘が待ってるの。もう帰らないと」


 そう言って、ミサは柔らかく微笑むと、ノートパソコンをバッグにしまい、ミサは帰り支度を始めた。


「え!? お子さん、いるんですか!?」


「あ! 俺、見ましたよ、雑誌!」


 すると、ミサの向かいに座る男性社員の山下が、ミサと羽田の話に割り込んできた。


「4年生でしたよね、エレナちゃん! 紺野さんそっくりで、びっくりしましたよ~」


「えぇ!? 4年生って、そんな大きな娘さんがいるんですか!?」


 すると、羽田はパッチリとした目をさらに丸くして驚いた。


 その羽田の反応に、ほかの社員達は


「あ~そっかー! 羽田はまだしらないのか、紺野さんの年齢!」


「まだ、新人だしなー」


「え? 年齢?」


 羽田とミサを取り囲むようにして、集まった社員達がドッと笑いだす。


 ミサは、羽田をみつめ、申し訳なさそうに微笑むと


「ごめんね、羽田さん。私、もう41なの」


「えぇ!? 41!?」


「だよなー分かるわ、その気持ち!!」


「20代の後半でも十分いけるもんね、紺野さん!」


「あ、あの!?ごめんなさい!! 私もしかして、失礼なことしてました!?」


 すると、さっきよりもさらに目を丸くして、羽田が慌てふためく。


 それも、そうだろう。アラサーだと思っていたお姉さんが、まさかのアラフォーだったとは……


「いいえ。私もここに入社して、まだ半年くらいだから、羽田さんと同じ新人だし、気にしないでね」


 慌てふためく羽田を宥めるように、ミサが声をかけると、その綺麗な笑顔をみて、羽田は頬をあからめる。


 物腰の柔らかいミサの雰囲気。


 それは、同じ女性でも見とれてしまうほどで……


「それじゃぁ、私はこれで……折角誘ってくれたのに、ごめんね」


「あ、いえ。お疲れ様でした!」


「お疲れ様」


 他の社員達に見送られ、ミサがフロアをあとにすると、羽田がポツリと呟く。


「41だったなんて……どうやったら、あんなに綺麗なままでいられるだろう?」


「ね~子供産んでるのに、体型全く崩れてないし、美魔女ってあんな人のこと言うんだろうね~」


「それだけじゃないわよ。紺野さん、仕事も早くて丁寧だし、オマケに、英語だけじゃなくてフランス語もできるみたいで、この前は、秘書課の応援も頼まれてたわよ」


「すごいなー。美人で、ママで、仕事もできてって、なんかカッコイイですねー。憧れちゃう」


「あー、俺も紺野さんが、あと10歳若ければ、アタックしてたのにな~」


「そうか、あれだけの美女なら40代でも、俺はOKだけどな。あんな美人連れてデートしたら、優越感スゲーだろ」


「バカねー、あんた達なんて見向きもされないわよ! ねぇ、課長もそう思いません?」


 すると、女子社員の1人が、奥に座る男性に同意を求めるように問いかけた。


 課長と呼ばれたその男は、ミサと同じく40代の引き締まった体格をした男だった。


「そうだな」


「課長ヒデ~! 課長はあんな美人みて、なんとも思わないんすか!?」


「俺に妻がいるからな。それに、紺野はやめとけ」


「え? なんでですか?」


 その言葉に、全員が首を傾げる。すると、課長は少しだけ声を重くし


「アイツは、副社長のだからな」





 ◇◇◇




 コツコツ──


 広々としたフロアの廊下に、ヒールの音が響く。


 仕事を終えたミサは、エレベーターの前で足を止めると、深くため息をついたあと、下階に降りるボタンを押した。


 エレベーターを待つ間、手首につけた腕時計を確認すると、時刻は5時過ぎ。


 ここから自宅までは、徒歩で40分ほどかかる。


 今日はモデルの仕事もレッスンもないため、家ではエレナが一人で待っていた。


 できるだけ定時に上がれるようにこころがけてはいるが、それでも、家に帰りつくのはどんなに早くても、6時前。


(早く、帰らなきゃ)


 ピンポン──


 暫くして、エレベーターがつくと、ミサはその中に乗り込んだ。


「紺野くん!」


 だが、その直後、男が一人同じくエレベーターの中に乗り込んできた。


 グレーのスーツを品よく着こなした40代くらいのその男は、どこか飄々とした雰囲気の優男だ。


「……なにか?」


「はは、相変わらずつれないなー君は。だが、副社長に向かって、その態度はいかがなものかな?」


「…………」


 ミサが、一切視線を向けることなく隣にたった男に不躾に返事を返すと、副社長と名乗った男は、軽く口角を上げて、舐めるような視線を向けた。


 男の名は、沢木さわき

 この会社の社長の息子で、現・副社長。


 また、厄介な男に捕まった。


「……それは、失礼いたしました。以後気をつけます」


「秘書課への移動の話、断ったらしいね。もったいない。折角この私みずから、君を推薦したというのに」


「秘書課に採用するなら、もっと若くて気立ての良い娘が好ましいかと思いますが」


「そんなことはないさ。君がいるだけで場が華やぐ。先方の評判もいい。みんな君に見とれていたよ。それに、私としても、君が私の秘書として、そばにいてくれると仕事も捗るんだが」


「……先日、秘書課の仕事を引き受けたのは、秘書課の子が一人早退して、人手が足りないと頼まれたからです。それに、私は娘がいますから、定時に上がれる事務の方が」


「君は相変わらず娘さんの話ばかりだ。そんなに家族が大事なのかい?」


「……」


「そうか。なら、こういうのはどうかな?」


「!?」


 すると、男はミサの腰にスルリと手を回してきた。


「私の、愛人になるというのは?」


「……っ」

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