第279話 始と終のリベレーション④ ~夢~
若い頃は、モデルを目指していた。
きっかけは、小学6年生の時、たまたまスカウトされたからだったけど、本気でモデルを志そうと思ったのは、父の若い頃の写真を見たからだ。
「え? お父さん、モデルしてたの?」
スカウトされたその日。たまたま家にいた母にモデル事務所の名刺を見せた際、父が昔、モデルをしていたことを聞かされた。
なんでも、若い時はあまり翻訳の仕事がもらえなかったらしく、翻訳家として独立を目指す傍ら、副業でモデルのアルバイトもしていたらしい。
「ルイ、もともと目立つこと好きじゃないのに、その頃、ちょうど猫を飼い始めたみたいでね。『写真撮られるだけで、猫ちゃんの餌代稼げるならいいかなー』って軽い気持ちではじめたら、思ったよりハードな仕事だったって、後から後悔してた」
「なに、そのいい加減な感じ」
「ふふ、ルイらしいでしょ。でも、普段はやる気なさそうにしてるくせに、一度スイッチが入ったら別人みたいになるの!」
「別人?」
「うん。カメラ向けたら、空気が変わるっていうか……ルイにとってモデルは副業だったけど、どんな仕事も一切手を抜かない真面目なところは、ルイの尊敬すべきところかな」
「へー……」
ただただ相打ちをうちつつ、話をきいていると、母はその後、押し入れの中をがさごそと漁り始めた。
すると、少し大きめのダンボールから、雑誌を1冊取り出した母は、それをパラパラとめり、私の前に差し出してきた。
「これ、私が初めて撮ったルイの写真」
「……!」
その雑誌を手に取ると、そのページには、まだ若い頃の父がいた。
セピア色に染まったその写真は、父が23歳の時、香水の広告モデルをした時のものらしい。
それを見た瞬間、母が空気が変わると言っていた意味がわかった気がした。
そこには、いつも部屋の奥でペンを走らせている父とは全く違う父の姿があった。
(綺麗……)
一見女性と見間違えるほどの、だけど確かに男性だとわかる表情で微笑む父は、正直、娘の自分からみても見惚れてしまいそうなくらい、とてもとても綺麗だった。
まるで映画のワンシーンを切りったような、どこか欲情的な姿。
それは、子供の私が見るには、少し恥ずかしくなるくらい色っぽい写真だったけど、きっと世の女性たちは、こぞってこの香水を購入したのだろう。
不思議と目にしただけで、その香水の香りが、写真から立ち込めてくるかのようだった。
「私ね、ルイのこの綺麗な顔が大好きなの」
すると、雑誌に釘付けになる私に向けて、母がまた話しはじめた。
「え? 顔?」
「うん……人の"心"って案外顔にでるんだよね。人相ってやつ。本当に心根の優しい人ってね。容姿の美醜に関わらず、すごく綺麗な顔をするの。そして、そういう人が映る写真は、見る人を幸せにしてくれる。私が写真家を目指したのはね。誰かを幸せにできるような写真を撮りたかったからなの。ただ目にしただけで、心が癒されたり、励まされたり、そんな誰かの心に響くような、素敵な写真を撮りたいと思った」
「……」
「ルイはね、本当にまっすぐで思いやりのある人だったから、この人なら、きっと沢山の人を幸せにできるんじゃないかっておもったの……私、この心根の綺麗な顔に惹かれて、ルイのこと、もっともっと撮りたいって思ったんだー」
まるで恋する少女のように、愛おしそうに写真を眺める母をみるのは、少し恥ずかしかった。
でも母は、あの父のまっすぐな心を映し出すかのような綺麗な顔に惹かれて
父を好きになったのだと思った。
(綺麗な顔か……)
すると、私は
「ねぇ、私は?」
「え?」
「私の顔は、綺麗?」
幼い頃から、綺麗な顔だと言われていたし、よく父にそっくりだとも言われていた。
だけど、私の『心』はどうなのだろう?
少し不安になって、問いかけた。
すると、母は
「当り前じゃない! ミサも、とっても綺麗な顔してる!」
「ほんと?」
「うん。純粋でまっすぐで、眩しいくらい。私、ミサのその綺麗な顔が大好きよ。だから、これからも、私達の自慢の娘でいてね」
嬉しかった。
父と同じように、心根の綺麗な顔をしていると言われたことが、自慢の娘だと言われたことが……
「ねぇ、私にも……なれるかな?」
「え?」
「その、モデルに。お父さんみたいに凄いモデルにはなれないかもしれないけど、私も誰かを幸せにできるような、そんな素敵なモデルさんになってみたい!」
それは、本気で何かを目指したいとおもった瞬間だった。
私も、父のように、母のように、誰かを幸せできる大人になりたいと思った。
「そうね。ミサなら、きっとなれるよ」
「そ、そうかな?」
「えぇ、だってミサはルイの娘だもの。でも、これだけは覚えていて……どんなに才能や素質があっても、最後に夢を叶えることが出来るのは、それに見合う努力をした人だけ。だから、ミサもやるなら本気でやりなさい」
「うん、頑張る!」
母は、私の夢に一切反対することなく「がんばれ」と、背中を押してくれた。
あの頃は、本当に幸せだった。
両親に愛されて、夢もあって、きっと未来は明るいものだと、信じて疑わなかった。
だから、大丈夫だと思っていた。
きっと私も、父と母と同じように
──『幸せ』になれると思っていた。
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