第278話 始と終のリベレーション③ ~出会い~


 子供の頃は、あまり人を疑わない性格だった。


 たまに、からかわれたりすることはあったけど、友達もいたし、接する人はみんな優しくて、何より可愛かったから、困っていたら道行く人が、よく声をかけてくれた。


(どうしよう……)


 そしてそれは、私が小学5年生の時。学校帰りに、急に雨が降ってきた時のことだった。


(お父さん、今日はお仕事で出かけてるのになぁ……雨、やむかな?)


 こんな日に限って、いつも家にいるはずの父は、作家との打ち合わせで外出していて、帰りも遅くなると言っていた。


 雨の中、一人立ち尽くし、私は物陰で雨宿りをしながら、次第に強くなる雨をみて途方にくれていた。


 すると──


「大丈夫?」

「?」


 突然声をかけられた。


 顔をあげれば、私の前にはグレーの乗用車が停まっていて、その車の中から、40代くらいの男の人が声をかけてきた。


「傘、忘れたのかい?」


「あ、はい」


「お父さんか、お母さんは?」


「……今日は仕事で」


「そうか。それは困ったね。雨、もっと酷くなるみたいだから、お家まで、おじさんが送って行ってあげようか?」


「え? いいんですか?」


 まさに、渡りに船だった。


 両親から、知らない人の車には乗らないようにとは言われてたけど、雨は止まないし、自宅までは、まだ距離があるし。


 なによりその男性は、とても人の良さそうな人に見えたから、私は素直に送ってもらうことにした。


「すみません。ありがとうござい──」


「エレナ!」


「!?」


 だけど、その瞬間、また別の声が聞こえて、驚きつつも視線を上げると、今度は、傘をさしたが、私と車の間に割りこんできた。


「すみません! 大丈夫です。送って頂かなくても……!」


 黒髪でスラッと背が高くて、どこか人なっこそうなお兄さん。そして、そのお兄さんは、私を車から遠ざけながら、おじさんと話し始めた。


「え? 君は?」


「あ、俺は、この子ので」


「え!? お兄ちゃん!? 全くにてないけど」


「あはは、よく言われます」


(お……お兄ちゃん?)


 そして私は、突然のことに顔を青くして立ち尽くした。


(お兄ちゃんって、なに? エレナって誰? 私のこと?)


 知らないお兄さんが、知らない名前を呼びながら、あたかも兄のように振舞ってくる。


 その恐ろしい状況に、声も出せずに困惑していると、おじさんは、お兄さんと話を終えたあと、また車を走らせて、私たちの元から遠ざかっていった。


「はぁ……」


 すると、おじさんの車を見送ったあと、お兄さんが深くため息をついた。


「さっきの人、知り合い?」


「うんん、違います」


「……やっぱり。ダメだよ。知らない人の車に乗ったりしたら」


「え? でも、あのおじさん、いい人だったよ」


 わざわざ送ってくれるなんて、とても親切な人。私はそう思ったけど、お兄さんは


「いい人に見せかけて近寄ってくる悪い人もいるんだって……君、すごく可愛いし、気をつけないと、怖い人に誘拐されちゃうよ?」


「怖い人?」


「そう。世の中、いい人ばかりとは限らないから。お父さんとお母さんから、教わらなかった?」


「教わった……」


「じゃぁ、なんで乗ろうとするかな!?」


「だ、だって……っ」


 軽く怒られて、私は慌てた。だけど、お兄さんは、私を心配して声をかけてくれたんだと思った。


「あの、それよりエレナって」


「あー、兄妹のふりするなら、それっぽく名前言っとかないと怪しまれるかなーって……君、エレナちゃんって感じだし」


「私、エレナじゃありません。ミサです!」


「あはは、ごめんごめん。ミサちゃんね」


 そう言って爽やかに笑うと、お兄さんはその後、私の前に自分の傘を差し出してきた。


「これ、使っていいよ」


「え? でも、お兄さんは?」


「俺の家、もうそこだから」


 私が普段使う傘より、一回り大きな黒い傘。


 お父さんが使ってるのと同じくらいのその傘は、幼い私を、すっぽり覆い隠すようだった。


「でも……それじゃ、お兄さんが濡れちゃうし。それに、この傘返す時どうしたら……」


「別に返さなくていいよ。家に親父の傘が腐るほどあるから、捨てて! じゃぁ、帰り気をつけろよ!」


 そう言うと、お兄さんは私の手に無理やり傘を握らせたあと、自分の鞄を傘代わりにして、雨の中走り出した。


 傘を手に、呆然とお兄さんを見送って、ふと、その傘に目をやると、傘には


(かみ……き?)


『神木 侑斗』と名前が書いてあった。



 その時、私はまだ10歳の小学5年生で、侑斗ゆうとは、15歳の高校1年生だった。


 この時は、後に"夫婦"になるなんて、全く想像もしなかったけど


 これが、私と侑斗の──最初の出会いだった。




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