第245話 警報と母親

「じゃぁ、あなた達は二人姉弟なの?」


「──!」


 何気なしに問われた質問に、華は無意識に身構えた。


 別に警戒するような質問じゃない。


 それはよくある、ありきたりな問いかけで、普通に「兄がいる」と伝えても、なんら問題はないはずだった。


 だが──


「え、あ……俺たち──」


「蓮!!」


 口を開いた蓮の言葉を、華がとっさに遮る。


 辺りはしんと静まり返り、雨の音だけが響くと、華は口を真一文字に結び、再びミサを見上げた。


「ぁ、あの、すみません。私達、急ぐので……!」


 冷やかな視線を送るミサに、華はオドオドしく、そう言い放った。


 宝石のように綺麗なブルーの瞳は、兄と同じようで、全く違う。


 華は、身がすくむ思いをしながらも蓮の腕をぎゅっと握りしめると


「蓮、帰るよ!」


「え!? ちょ、華!」


 その後、改めてミサに会釈をすると、華は蓮の腕を引くようにして、その場を走り去っていった。


「…………」


 すると、雨の中、まるで逃げるようにかけて行く二人の背を見つめ、ミサは、小さく呟く。



「蓮くんと──ハナちゃん……ね」










 第245話 警報と母親











 ◇◇◇


「おぃ、華!」

「…………」


 蓮の腕を掴み、その後いつもの帰り道に戻った華は、呼びかける声にも気付かず、雨の中、早足で進んでいた。


(──なに、あの人……っ)


 傘を借りて、そのお礼をしたいと言うのはすごく礼儀正しいし、人としてとてもよく出来た人だと思う。


 だけど……


(なんだろう。まるで)


 誘導──されているみたいだった。


 自分たちに『兄』がいるのを知っていて、聞き出そうとでもしているかのような…


(あの人───)


「華!」


「あ、ごめん……」


 無言のまま進む華に、やっとのこと蓮の声が届くと、華は一旦立ち止まり蓮を見やる。


 すると、ずっと腕を掴んでいたせいか、傘からはみ出した蓮の制服の袖は雨によりしっとりと濡れていて、華はそれに気づき、慌てて手を離す。


「ぁ、ごめん! 濡れちゃってる……!」


「大丈夫だよ、このくらい。それよりお前こそ、大丈夫か?」


「ぁ……うん」


 大丈夫。と返したあと、安堵と同時に視線を落とす。


 さっきは、突然のことに動揺を隠せなかった。


 綺麗な女の人。それも、兄にそっくりな──…


「ねぇ……あの人、やっぱり飛鳥兄ぃと、何か関係があるんじゃないかな?」


「………」


 華がそう言うと、蓮は眉を顰めた。


 前にあった時は、ただ「兄にそっくりな綺麗な女の人」くらいの認識しかなかった。


 だが、今回再会して、妙な懸念を感じてしまった。


 良くはわからないが、漠然と何かが"警報"を鳴らす。


 もう、あの人に関わってはいけない──と








 ◆


 ◆


 ◆



「……」


 その後ミサは、双子と別れたあと、コツコツと靴の音を響かせながら自宅へと向かっていた。


 黒い傘に雨が落ちる音を聞きながら、ミサは住宅街を抜け、自宅近くの公園の前に差し掛かると、先程あった双子の姉弟のことを思い出す。


(やっぱり、あの子達……侑斗の子供なのかしら?)


 もし、本当にそうだとしたら、きっと、あの子達には、もう一人──兄弟きょうだいがいる。


「飛鳥……」


 そう呟いた瞬間、腹の底から意もしれぬ笑いが込み上げてきた。


 クスクスと声が漏れ、ミサは慌てて口元を押さえると、その声を必死になって抑え込む。


「フフ……あれから、何年経つかしら」


 別れた時、飛鳥はまだ4歳だった。

 私に似て、とても綺麗な子だった。


 細くてサラサラの金色の髪と、愛嬌のある笑顔。吸い込まれそうなくらい青く綺麗な瞳はらあまりにも、まっすぐで──


 可愛くて仕方なかった。

 飛鳥さえいてくれたら、もう、それだけでよかった。


 あの子は私の──全てだった。


「今、どうしてるのかしら……」


 あれから、16年。

 飛鳥は、もう──20歳。


 一体、どんな男の子に成長したのだろう。


 身長はどのくらい伸びただろうか?

 小柄で可愛らしい飛鳥は、よく女の子に間違えられてた。


 でも「お母さんにそっくりね」と言われると、ニコニコ笑って喜んでた。


 今もあの面影は、変わらずに残っているだろうか?


 好きなものはどうだろう?

 もう、変わってしまったかもしれない。


 嫌いなものは?

 克服出来ただろうか?


 二十歳なら、大学に行っているのかもしれない。

 それとも、もう働いているだろうか?


 妹弟がいるのは、楽しい?

 友達は、どのくらいできた?

 好きな子や恋人はいる?


 飛鳥は、今




 ────どうしてる?







「分からない……っ」




 分からない。

 知らない。


 何もかも──


 4歳の時から、私はあの子のことを


 なにも、知らない。



 あの子は今『幸せ』だろうか?


 私の元を離れて


 阿須加ゆりの息子になって


 飛鳥は、今──






 幸せ?













 ザ───────


「……………」


 もう時期自宅につくという頃、雨が一段と強くなる。


 アスファルトに打ち付ける雨は踊るように地面を跳ねて、ヒールを履いたミサの足元を冷やす。


 そして、それと同時に思い出したのは、最後に電話を交わしたあの日、侑斗から言われた言葉──


《飛鳥のことを思うなら、もう二度と飛鳥の前に現れるな》


「……っ」


 ぎゅっと傘をにぎりしめ、ミサはその場に立ち尽くす。頭の中では、容赦なくその言葉が反響していた。


 分かってる。

 分かってる。


 それがあの子にとって一番いいと思ったから


 この16年間、一切、探さなかった。


「何、してるの……私」


 あの子たち(双子)に、ほかに兄弟がいるを聞いて、どうするの?


 住所を聞いて、どうしたいの?


 分かってる

 分かってる

 分かってる


 会えないのも

 会ってはいけないのも


 なにもかも、分かってる。


 でも……


「っ、……ぅ…」


 抑え込んだ口元から、悲痛な声が漏れる。


 手が震える。

 目頭が熱くなる。


 分かってる。

 分かってる…

 分かってる……


 はずなのに──……っ





「──飛…鳥……っ」






 ──会いたい



 どうしようもなく、あの子に


 飛鳥に、会いたい。





 せめて








 一目でもいいから……っ





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