最終章 愛と泡沫のアヴニール

第449話 彩音と蒼一郎


 ミーンミーンと、せみが鳴く。


 夏の陽射しが、燦々と照りつける8月上旬。


 高梨たかなし 蒼一郎そういちろうは、行きつけの花屋で、菊の花を買っていた。


 宇佐木うさぎ市・かがり町。


 桜聖市から、電車とバスを乗り継ぎ4時間ほどかかる、その田舎町は、あかりの実家がある町だった。


 のどかで落ち着いた町並み。

 緑豊かな山々と、キラキラと水面が輝く美しい河川かせん


 そして、空には、まるで綿飴のような入道雲が、もくもくと空を彩っていて、鮮やかな夏の日を描き出す。


 だが、そんな夏の午前中。行きがけに花を買った蒼一郎は、緩やかな坂道を上り、高台にある墓地へやってきていた。


 5年前に亡くした恋人──倉色くらしき 彩音あやねの元に。


「彩音。今日は、こっちにきた」


 いつもは、彩音の兄の家である倉色家に行って、仏壇の前で手を合わせる。


 だが、今日は、仕事が休みだったため、少し遠方にある、この霊園までやってきた。


 蒼一郎は、花立を持つと、まずは花を生けることにした。


 暑いこの時期には、生花が、すぐに枯れ果ててしまう。だからか、蒼一郎は、先に花に水を与えた。


 夏の頃、花立には、造花と一緒に生花を生ける家も多く、そして、倉色家もそのようで、花立の中には、造花と一緒に、菊の花が生けてあった。


 だが、その菊の花は、もうしおれていて、蒼一郎は、枯れた花だけを取り除くと、水を変えた花立に、新しく買ってきた菊の花を生けた。


 そして、その後は、バケツに水をみ、碑石ひせきを磨く。


 高台にあるからか、そこには、清々しい風が吹いていた。だが、それでも、夏の暑さには適わず、蒼一郎の額には、微かな汗が滲む。


 だが、そんな暑さをものともせず、蒼一郎は、一心不乱に碑石を磨き続けた。


 まるで、でもするように──


「……ごめんな、彩音」


 心の傷は、いつまでも埋まらなかった。


 大切な人を亡くした悲しみは、そう簡単には、癒えるはずがなく。


 そして、何よりも辛かったのが、その大切な人を傷つけ、死に追いやったのが


 他ならぬ──自分の『家族』だということ。


「俺さ。最近よく、見合いを進められるんだ」


 すると、蒼一郎は、苦笑いを浮かべながら、彩音に語り始めた。


「いつまでも、亡くなった彼女のことを引きってないで、自分の人生を生きろってさ……まぁ、俺も、もう35だし。子供のこととか、考えたら早くした方がいいって」


 碑石を磨く手を止めることなく、蒼一郎は、彩音が生きていた頃のように、近況を語る。


 結婚のことを言われ始めたのは、彩音の三回忌が過ぎたあたりからだった。


 友人や職場の同僚、そして、彩音の親族である倉色家のみんなも、俺の将来を案じてくれる。


 だから、自分でも、このままではダメなのかもしれないと思って、恋をすべきなのか考えた。


 周りを見回せば、同級生のほとんどが、結婚して家庭を持っていた。


 子供が産まれと幸せそうな話を聞く度に、彩音とこんな家族を作りたかったと思った。


 だけど、亡くなった人は、もう二度と戻ってこない。


 だからこそ、別の誰かと、未来を歩まなきゃいけない──


「でもさ。いろんな女性にあったけど、やっぱり、彩音以上に、いいなって思える人には出会えなくて……俺は、やっぱり、彩音と一緒になりたかった」


 まるで水浴びでもさせるように、碑石に水をかけては、丁寧に拭きあげた。


 彩音が亡くなったのは、冷たい雪の日だった。

 今とは、真逆の季節。


 これから暖かくなり、春に向かおうという頃、彩音は命をたった。


 たった一つ。

 が、未来を邪魔したばかりに──


「世の中って、なんでこんなに、障がい者に冷たいんだろうな……」


 日本の障がい者の総数は、964.7万人。

 これは、人口の約7.6%に相当すると言われている。


 彩音のように、見えない障がいを抱えた人を含めたら、もっと多くなるかもしれない。


 そして、その障がい者の数は、年々、増え続けてるにも関わらず、古くから根付いた偏見の眼差しは、今もなくなることはない。


 そして、その『偏見』という『刃』を、自分の両親が、隠し持っていたのが、なによりも辛かった。


 自分の親が、障がい者に対して、あんなにも心無い言葉を浴びせるなんて……


「おかしいよな。10年も付き合ってて、お袋も親父も、彩音のこと、気に入ってたのに、片方だけ耳が聞こえないってわかった瞬間、反対してきて……彩音、俺たちは、どうすれば、よかったんだろう?」


 どうすれば、結ばれた?

 どうすれば、彩音は死なずにすんだ?


 恋をしなければよかったのか?

 俺が、告白なんてしなければよかったのか?


 すると、その瞬間、蒼一郎のピアスが煌めいた。


 右耳で光るピアスは、彩音とお揃いのピアスだった。


 彩音が、聞こえない左耳に一つをつけ、残りの一つを、対になるように、蒼一郎が右耳につけていた。


 そしてそれは、プロポーズと一緒にプレゼントした物だった。


 一組のピアスを二人で。まるで結婚指輪のように、永遠を愛を誓って手渡した物だった。


 でも、二人の未来は、思い描いたようにはならなかった。


 どんなに深い愛も

 強く繋がった絆も


 泡沫のように、儚く消えていった。


「お袋は、結婚させようと躍起やっきになってるけど、やっぱり俺には無理そうだ」


 この先、結婚はしないと決めた。


 だって、改めてわかった。

 俺には、彩音しかいなかった。


 明るくて、前向きな彩音に、どれだけ励まされたことだろう。


 例え、障がいがあっても、彩音は、他のどの女の子よりも、魅力的な人だった。


 だから──


「俺は、結婚しないよ。この先も、ずっと彩音だけを思ってる……でも、一つだけ心配してることがあるんだ」


 碑石を磨き終わり、線香を灯した蒼一郎は、手を合わせながら、呟く。


「もしかしたら、俺たちのせいで、あかりちゃんが、未来を諦めてるんじゃないかって──」


 障がいのある人間は、恋をしてはいけないのか?


 好きな人と家族になりたい。そんな囁かな未来ですら、諦めなくてはいけないのか?


「あかりちゃんには、俺たちのようになってほしくないなぁ……彩音も、そう思うだろ?」


 彩音と同じように、片耳難聴の女の子。


 きっと、自分たちの結末は、あの子の心に、大きな不安を植え付けてしまっただろう。


 だからこそ、願う。


 どうか、どうか、彩音が可愛がってた姪の将来が


 泡沫へと消えてしまいませんように──…


 あかりの未来を案じ、蒼一郎は、祈るように瞳を閉じた。




 ミーンミーン…

 霊園には、せみの声が響いていた。


 夏の空の下。

 鳴り止むことなく響き続ける、その声は


 まるで、泡沫の未来をうれうように、強く儚く鳴り響いていた。






*あとがき*

https://kakuyomu.jp/works/16816927861981951061/episodes/16817330655859096885

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