第123話 偏愛と崩壊のカタルシス⑨ ~父~


「お兄さんさ……この子、もういらないの?」

「は?」


 誰もいない静かな公園に、ゆりさんの声が響くと、その言葉に、父が不機嫌そうな声を発する。


「だってこの子『自分は、いらない子だから』って、いってたから」


「…………」


 グッと父が押し黙る。


 なにを考えているかは、分からなかったけど、その顔はとても険しい顔をしていた。


「……飛鳥は、妻が引き取ることになってる。だから……」


「それは飛鳥の気持ちをきいて決めたの? この子は、お父さんと一緒にいたいんだって」


「…………」


 父は、依然、変わらない表情で、ゆりさんをじっと見つめていた。


 なにも返事を返さない父に、俺の不安は更に高まって、ゆりさんにしがみつく手に更に力がこもった。


「この子、幼稚園やめさせられて、部屋に鍵かけて、ずっと閉じ込められてたんだって」


「──え?」


「モデルやってるのは知ってる? 本当は嫌で辞めたいのに、お母さんが怖くて、そんなこと言えなくて……それて追い詰められて、今日、家出してきた」


「……っ」


 その瞬間、父がやっと表情を崩した。


 ──父は、知らない。


 俺が閉じ込められてたことも。

 幼稚園にいってないことも。


 そして、モデルの仕事をしていることも。

 きっと、なにも──


「この子、まだ4歳だよ。大人と一緒に仕事して、こんな環境におかれてるから、こんなしっかりした子になっちゃたんだろうけどさ。4歳って、本当ならもっと甘えてわがままいっててもいい頃だよ。お兄さんは、この子みてどう思うの?」


「……」


 父をまっすぐに見つめる、ゆりさんの言葉は、俺の心にも、ひどく突きささった。


 自分が子供らしくないのは、よく理解していた。


 でも、わがままなんて許されなくて、思ったことを素直に口にするなんて、怖くて出来なくて。


 そして、それは、今も変わらなくて……っ


「飛鳥……お前」

「……ッ」


 続けざまに、父に名前をよばれて、体がビクリと震えた。

 恐る恐る顔を上げれば、父のその顔は、あまりにも無表情で、俺はそれを見て、また泣きそうになったけど、涙が溢れそうなるのを必死にと堪えた。


 どうしよう。

 もしまた、拒絶されたら──


「閉じ込められてたって、本当なのか?」

「……っ」


 なんて、言っていいのかわからなくて、だまりこんだ。

 言葉が、うまく出てこない。


「何も、言わなきゃわからないだろ! どっちなんだ!!」


「ひ……ッ」


 瞬間、黙りこくる俺に、父が痺れを切らし声を張上げた。俺は怖くなって、ゆりさんの後ろに、顔をうずめるようにして隠れた。すると──


「ちょっと、ちょっと! なに余計に追いつめてんの!?」


 そんな父をみて、ゆりさんが顔を歪めた。


「信じらんない! お兄さん、父親でしょ!? もうちょっと優しく聞いてあげてよ!」


「君は部外者だろ? 他人が口を挟まないでくれ」


「まあ、部外者ですけどね! でも、家出するほど追い詰められてんだよ!? マジそれはないわ!」


「っ……じゃぁ、どうしろって言うんだ! 大体、本当に飛鳥は、俺といたいって言ったのか!? もう、ミサが飛鳥を引き取るって話はついてるんだ! 今更──」


「う……っ、ごめっ……ごめんなさいッ」


「「!?」」


 父の言葉を聞いて、涙が堪えちれなくなった俺は、またポロポロと泣き始めた。


 そんな俺を見て、父とゆりさんは、一瞬沈黙したが──


「あーもう! ほんと最低! お兄さん最低すぎる! 鬼畜! ハゲろ!」


「なんで、初対面の子にそこまで言われなくちゃならないんだ!!」


「私は、今日初めて飛鳥に会ったけど、この子が嘘をついてるとは思えない! 父親と母親、どっちがいいか考えて、飛鳥は父親を選んだんでしょ!」


「……っ」


「子供だからって、なんでも勝手に決めていいわけじゃない。気持ちくらいは、話くらいは聞いてやりなよ! そのうえで無理なら、ちゃんと無理な理由を話して、納得させてあげればいい。それなのに、話も聞かないで、大人が勝手に決めたことに子供はただ黙って従ってろての!? 子供は親の一部じゃない、子供だって、一人の人間なんだから!」


「………」


 二人は口論を始めたあと、ゆりさんの言葉を最後に、父が口を噤んだ。


 すると、その言葉には、なにか思うところがあったのか、父は深く息をついたあと、俺の目線に座り込んで、今度はゆっくりと落ち着いた声で話しかけてきた。


「飛鳥、俺は……お前はミサの所にいたほうがいいと思ってる」


「……」


 だけど、紡がれた言葉は、あまりに残酷で。


 あぁ、やっぱり。

 お父さんにとって俺は……っ


「俺はな、飛鳥。ろくな家庭で育ってきてないんだ。子供のことなんて道具みたいにしか思ってない、そんな親の元で育ってきた」


「……え?」


「でも、それが嫌で仕方なくて、絶対あんな奴らみたいになるかって思って結婚したはずのに……いざ、結婚してみたら、だんだんうまくいかなくなって……改めて思ったよ。あんな家庭で育った俺が、幸せな家庭なんて築けるわけなかったんだって……」


「……」


「飛鳥、俺はきっと父親には向いてない人間だ…それでもお前は……俺と、一緒にいたいと思うか?」


 そう言って、悲しそうな笑みを浮かべた父の顔は、大好きな父の優しい顔だった。


 一緒にいたい。


 そういえば、一緒にいても……いいの?


「……っ、う、ぉ……れ……っ」


 必死に思いを伝えようと、声を出した。


 だけど、たった一言。伝えるだけでいいはずなのに、うまく言葉が出てこなくて──


「飛鳥……!」


 すると、ゆりさんが、俺の名を呼んで背中にそっと手を当てた。優しく背を押されて、ふとゆりさんを見上げれば、ゆりさんは優しく笑っていて


 それは、まるで、頑張れと、励ましてくれているようにも見えて……


「……っ、お父さん……っ、おれ」


 父の前に立つと、必死に声を絞り出した。


「ッ……おれ……おれは、おとうさんと……いっしょに、いたい……っ」


「……」


「おいてかないでッ……おれも……つれてって……っ」


 ひくひくと泣きながら、必死に訴えた。

 すると──


「……そうか」


 と一言だけいって、父は優しく微笑むと、その瞬間、手をつつんだ温かい感触に俺は目を見開いた。


 見れば、父が俺の震える手をギュッと握りしめていて──


「わかった。なら、俺ももう一度、ミサとちゃんと話してみるよ」


「……っ」


 大きくて暖かい父の手に、ひどく安心して、ぎゅっと、その手を握りしめれば、またそれを父が握り返してくれた。


「ひっく……ぅ、……お、とぅさ……っ」


 一度は振りほどかれて、絶望した。


 でも、そんな俺の手を、父はまた握り返してくれた。


 伝わったんだ。ちゃんと自分の気持ちが……


 言いたかったこと

 伝えたかったこと


 それを、しっかり自分の声で伝えられた。


 そう思うと、涙が止まらなくなって、俺はそのまま父に抱きつくと、しがみついたまま声をあげて泣き続けた。


 そして、そんな俺を、父は泣き止むまでずっと抱きしめてくれた。

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